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「名言との対話」9月22日。松原正行「よりおいしい料理をお値打ちに真心を込めたサービスで提供し、多くの人々に外食の楽しさを感じていただく」

松原正行(1930年9月22日〜2010年10月1日)は日本の経営者。「木曽路」の創業者。

1950年、松原清子が名古屋市に「喫茶松葉」を開店。3年後の1953年、大橋正行が婿養子として松原清子と結婚し、「喫茶松葉」のマスターとして働き始める。

1957年、松原正行は「株式会社まつば喫茶」の代表取締役社長に就任し、喫茶松葉の多店舗化が始まる。音楽喫茶などの特色を売りに、名古屋でも指折りの喫茶チェーンを創りあげる。

1966年、しゃぶしゃぶの木曽路1号店が名古屋市に出店。木曽路以外にもファミリーレストラン「地中海」や、民芸風居酒屋「居来瀬」、カフェバーの「ビッグウエンズデー」など、様々な業態の外食店舗の開発に着手する。

1975年にセントラルキッチンを設立。1980年、「地中海グループ」の各社が合併し「株式会社木曽路」が発足。1982年、東京の銀座や赤坂に進出。東京の老舗料理店にしかなく、なかなか手の届く価格になかったしゃぶしゃぶにいち早く目をつけ、質を維持しながらも当時の価格の半額で、しゃぶしゃぶを提供する、という挑戦に打って出た。

1987年、中部地区の外食企業としては初めて名古屋証券取引所2部に上場を果たす。同年、関西に進出。1990年、九州にも進出し全国的チェーンとなる。

多店舗展開をにらんで、教育システムを整備し、独自の人材育成や日本文化の伝承に力を注いでいる。1993年、松原正行社長が会長。2000年、東京証券取引所第2部に上場。2001年、東京証券取引所第1部に指定。

店名は、島崎藤村『夜明け前』の書き出しにある「木曽路は総て山の中である」が由来だ。 木曽路は旧中山道の通称である。長野県塩尻市から木曽郡を経て岐阜県中津川市へ抜ける国道19号線だ。全工程が約540kmの街道に69ヶ所の宿場が置かれ、そのうち11宿が木曽にある。木曽川に沿って険しい峠を越え、深い谷を抜け、山の底を縫うようにして伸びている道だ。俳優の加藤剛の「木曽路より 夢見る男 帰りけり」という句があるように、木曽路という言葉には風情がある。

私はしゃぶしゃぶの「木曽路」には東京に出てきてから、何度も足を運んでいる。ブログをひも解いてみる。2008年、赤坂の「木曽路」で、多摩大の新任教員4人と野田先生(学長代行)との懇親会をしたのが初めて。2009年、野田先生と「木曽路」で食事。2010年、久しぶりに野田先生と二人で赤坂の「木曽路」で食事をしながら、いろいろな話をしている。私はこの間も、多摩ニュータウン店もたびたび訪れている。このチェーンは質の高さと価格とのバランスがよく、「お値打ち」という感じもする。

木曽路グループは現在、「しゃぶしゃぶの木曽路」のみならず、居酒屋「素材屋」、和食レストラン「鈴のれん」、鶏料理専門店「とりかく」、南欧をイメージしたバル「ワイン食堂ウノ」、九州味巡り「ここの」、からあげ専門店「からしげ」など幅広く展開している。

「木曽路」は、創業者松原正行の死後数年後に起こった不祥事や、現在のコロナ禍での苦境を乗り越えようとしている。「よりおいしい料理をお値打ちに真心を込めたサービスで提供し、多くの人々に外食の楽しさを感じていただく」という基本理念に戻って発展して欲しいものだ。

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