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「名言との対話」9月27日。宇野重吉「舞台に立つ人間は日本語に対する責任がある」

宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年9月27日 - 1988年1月9日)は、日本の俳優、演出家、映画監督。本名は寺尾 信夫(てらお のぶお)。

滝沢修らと劇団民藝を創設した。飄々とした風貌と軽妙な演技を持ち味とし、『ゴドーを待ちながら』『夕鶴』などの舞台に出演。演出家としても多くの作品を残しており、リアリズムを基調とした近代的な芸を追求した。

映画・テレビでも活躍し、主な映画出演作に『愛妻物語』『第五福竜丸』『金環蝕』など。映画監督として4本の作品も発表している。長男は俳優・ミュージシャンの寺尾聰。宇野重吉の芸名は、中野重治と鈴木三重吉に由来している。

宇野重吉は多くの演劇人に影響を与えている。

長浜 忠夫は、アニメ・人形劇の監督・演出家・脚本家・作詞家。 宇野重吉に師事するなどして演劇を学び、人形劇団の演出部に所属していた際にNHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』で演出を担当。

北林 谷榮は、日本の女優・声優。初めての老け役は27歳の時だ。宇野重吉の強い勧めによるものであった。30代後半で、既に老女役は北林といわれるようになる。
米倉 斉加年は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。演劇と人生の師は宇野重吉だ。宇野からは「普通にいえ」と「思えば出る」とアドバイスを受けている。 宇野重吉のアドバイスどおり、舞台、テレビ、映画、放送の四本足で歩こうとした。

大滝 秀治は、日本の俳優・ナレーター。文化功労者。師匠の宇野重吉からは「活字が見えなくなって初めて台詞が言葉になる。舞台は言葉だ」との教えを受けて愚直に取り組んだのだが、稽古中に宇野からもらった言葉を全部清書して持っていいたという。

NHK人物録。「あの人に会いたい」で宇野重吉の映像をみて、肉声をきいた。宇野重吉が生涯追求し続けた言葉へのこだわり。インタビューの中で宇野重吉は今の子どもたちの話す日本語の乱れを嘆く。自らの声質を「ビフテキ声ではなくて、たくあん声」であると分析し、それが民話などを語るのに適しているのだとユーモラスに話す。

「芸は長く続けていればこそ、その命が輝くのです」という宇野重吉は、「舞台に立つ人間は日本語に対する責任がある」が信条だった。「芝居は言葉」。「音色、質感」。、、、、

存在感のあった名優・宇野重吉は「「夕鶴」(木下順二)のよひょう、この役は俺だ」と感動し、病気を顧みず、全国公演をして、その3か月後に73歳で死去している。ライフワークに出会ったのだろう。

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