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「名言との対話」4月8日。植田康夫「どんな場所でも自分の書斎に変えられるということのほうが大事なのではないでしょうか」

植田 康夫(うえだ やすお、1939年8月26日 -2018年4月8日)は、日本編集者ジャーナリスト。享年78。

上智大学文学部新聞学科卒。「週刊読書人」勤務。編集長、取締役、退社。上智大学文学部新聞学科助教授、教授。取締役『週刊読書人』編集主幹、編集参与、代表取締役社長、顧問。上智大学名誉教授。大宅壮一・東京マスコミ塾の第一期生で、後に大宅壮一文庫の副理事長もつとめている。

1983年に私の所属する「知的生産の技術」研究会で『私の書斎活用術』という本を編んだことがある。16人の知的生産者の取材報告だが、「子供部屋との兼用書斎で執筆を続けるタフガイ」というタイトルで当時は毎週月曜日発行の『週刊読書人』勤務で、上智大学で非常勤講師の42歳の植田康夫を紹介している。

「限られた時間、限られた空間に負けることなく、敢然と知的生産に挑む姿には心底尊敬の念を抱いた。サラリーマンをやりながら、これほどの活動を行う人がいるのだから、時間がないとか、書斎がないとかいうのは言いわけにすぎないことがわかる。全国のサラリーマンよ、植田氏を見習おうではないか。」(1981・8・29)。これは取材後の感想である。2DKの6畳を娘と併用。通勤電車の中で原稿を書く。足を進行方向に向けて160度開いて固いノートを台にしてボールペンで書く。その姿を実演してもらった。その後、私も試してみた。年中無休で朝6時から2時間執筆する。これが縁で『週刊読書人』に書評を頼まれて「副業、複業」をテーマに書いたことがある。

手にした植田康夫編『読書大全』(講談社)は、『週刊読書人』の創刊25周年企画で過去の「読書論」を編集した本だ。五味康介、高田宏、尾崎秀樹、水田洋、、などの小論を読んでみた。

『編集者になるには』(ぺりかん社)では、出版は「人間的な全的な活動」を開花させる仕事であるから、覚悟があるなら小さな出版社で仕事をすることをすすめている。また編集者を志すなら布川角左衛門『本の周辺』の最終章「編集者という仕事」を読めという。芸術家、職人、実務家の才能の統一が編集者という論考である。

2014年の日本作家クラブ主催の小中陽太郎先生の『翔べよ!源内』(平原社)が第一回野村胡堂文学賞の受賞し、その祝賀パーティで久しぶりにお目にかかった。週刊読書人の社長という名刺をもらった。

どこでも書斎として活用せよという植田康夫は「時間の使い方は、時間の制約のある勤め人の方がうまい」「会社の仕事と、物書きとしての自分の仕事とを関連づけるようにしています」などと語っていて、30代に入ったばかりの私は影響を受けている。

植田康夫の生涯を眺めると、テーマが一貫していること、そして関わった組織などと長く誠実に付き合っていることが印象的だ。夢は明治以来の編集者の歴史をたどり、書籍と雑誌双方の編集の方法を体系化したい、だった。

それは、『出版の冒険者たち。 活字を愛した者たちのドラマ』(水曜社)という死去する2年前の著作になったのだろうか。

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