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「名言との対話」1月4日。夢野久作「これを書くために生きてきた」

夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 - 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の幻想文学作家。享年47。

福岡市出身。父は玄洋社系の国家主義者の大物である杉山茂丸。その長男。修猷館卒業後、志願兵。除隊後、慶應義塾大学文学部に入学するが中退。禅僧、農園主、能の教授、新聞記者と種々の経歴を持つ。1926年、『あやかしの鼓』を雑誌で発表し、作家生活に入る。『缶詰の地獄』『いなか、の、じけん』等、因縁と心理遺伝を題材とした作品を表した。

作品を読んだ父親が「夢の久作が書いたごたる小説じゃねー」と評し、それを使って夢野久作というペンネームにしている。「夢の久作」とは九州福岡の方言で、「夢ばかり見る変人、夢想家」の意味である。

一人の人物が話し言葉で事件の顛末を語る独白形式と、書簡をそのまま地の文として羅列し作品とする書簡形式という独特の文体を用いた。

「アッという間、夢、幻、このように一生を懐古するする人は多い。その間に経験することは、年齢も、出会いも、すべてが初めてのことだから、うまくたちまわることはなかなかできない。生まれて死ぬ間は、会って別れての連続である」という夢野久作の感慨には共感を覚える。いつだれとどのような場所で出会うか。人の運命は出会いによって変わることは確かだ。

夢野久作『ドグラ・マグラ』(上。角川文庫)を読んだ。 小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』と並ぶ日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる、構想10年の畢生の奇書『ドグラ・マグラ』は、比類のない評価を得た。

「精神医学の未開の領域に挑んで、久作一流のドグマをほしいままに駆使しながら、遺伝と夢中遊行病、唯物化学と精神科学の対峙、ライバル学者の闘争、千年前の伝承など、あまりにもりだくさんの趣向で、かえって読者を五里霧中に導いてしまう。それがこの大作の奇妙な魅力であって、千人が読めば千人ほどの感興が湧くにちがいない。探偵小説の枠を無視した空前絶後の奇想小説」というのがアマゾンの紹介だ。

ドグラ・マグラとは、「幻魔作用」となっている。舞台は福岡の九州帝国大学の医学部精神病科である。、、、、脳髄が物を考える。狂人。自我亡失症。脳。胎児のみる夢。神の否定。夢。時間。仮死。、、、。狂人の書いた推理小説という設定で、夢野の思想と知識の集大成である。一度読んだくらいではよくわからない難解な内容だった。そういった本を奇書というのだろうか。

夢野久作は「これを書くために生きてきた」と語っているように、10余年かけて書いた畢竟の力作である。30代半ばから40代後半にかけて構想、執筆し、1935年に自費出版で刊行された1500枚の長編である。完成した翌年に47歳で死去しているから、まさにライフワークとなった。それを果たした人である。

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