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「名言との対話」 ジャック・ルネ・シラク「光であっても闇であっても国の歴史と向き合うことは、未来と向き合うことに等しい」

ジャック・ルネ・シラク(1932年11月29日 - 2019年9月26日)は、フランスの政治家。

裕福なユダヤ系の家庭に誕生。フランス国立行政学院(ENA)を卒業。34歳、 国民議会議員に初出馬し当選し、ポンピドー首相、大統領時代に以下の要職をこなす。社会問題相付雇用担当大臣、経済・財政相付大臣、首相付議会関係担当大臣、農林・地方開発大臣、内務大臣。42歳でジスカール・デスタン大統領の下で首相。パリ市長(1977年から1995年)。社会党のミッテランと初の大統領選を戦い敗れる。54歳、首相。再びミッテランと争い敗北する。

1995年に三度目の大統領選でミッテランに勝利し、第22代フランス大統領(第五共和政)となる。2002年には極右の国民戦線のマリー・ル・ペンらを破り欧州統合を推進した。在任は1995年5月17日 - 2007年5月16日。 シラクは日本びいきで40回以上来日している。大相撲ファン。

シラクの著書 『ジャック・シラク』を読了した。この本はシラクの演説集で、1942年の7月のフランス・ヴィシー政権の1万3千人以上のユダヤ人の監禁、強制送還事件について、ナチという「占領者の罪深い狂気に手を貸したのは、フランス人とフランス国でした」とし、取り返しのつかないことをしたと大統領として国家の責任を初めて認めている。

前任のミッテランは共和国としてもフランスとしても関係がないとしていた。また、2017年の大統領選でもル・ペンは「フランスに責任はない」と主張してたが、マクロンが当選した。新大統領は「フランスに責任があった」と述べている。

第二次大戦中のフランスにおける惨劇をナチスの蛮行とし、フランスは被害者だとする考えは根強いものがあり、現在でも論議になっている。日本においても負の歴史を直視する人々と光を強調する人々の戦いがながく続いている。光と闇が存在する全体としての歴史に向き合うことが未来に向き合うことになるというシラクの歴史観を改めて意識したい。

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