見出し画像

4月18日。高橋荒太郎「会社を訪問したらトイレを見る。トイレが汚かったら、取引はしない」

高橋荒太郎(1903年年10月19日ー2003年年4月18日)は、昭和期の実業家 。

香川県小豆島出身。小学校卒業後、商店で丁稚として働きながら神戸商業補習学校を卒業。朝日乾電池に入社。同社常務を務めたのち、提携先の松下電器に移る。専務、副社長、会長などを務めた。松下幸之助の片腕として活躍し、「松下電器の大番頭」と呼ばれた。

1979年刊行の高橋荒太郎『松下幸之助に学んだものーー人をつくる事業経営』を読んだ。以下、高橋荒太郎の仕事哲学を紹介する。

・ 事業というものは、困難の瀬戸際に立った時、その拠りどころをしっかりとつかんでないと、どうしても迷いを生じ、腰がくだけてしまう。

・仕事というものは、部下を信じて独創力と責任感に任せない限り、大仕事はできない。

・野望は持たずに、些細なことでも、与えられた仕事に全力を尽くしやりとげることに専念するのがポリシーだった。

この本にはオビで松下幸之助本人の言葉が写真付きで記されている。見出しは「高橋顧問に改めて敬服」となっており、「私の意を素直に汲み取り、私以上の真剣さで経営に取り組む姿に、逆に教えられることが多かったのである」と書いてある。

高橋荒太郎は経営方針や基本方針を常に語ることの重要性も説いている。一度聞いただけでは深く理解できないからだ。何回も、何十回も聞いているうちに、理解が少しづつ進んでくることは私自身も経験している。環境や状況は常に変化し、聞く方の問題意識も変わる。その都度、腑に落ちる部分が違う。思い当たる深さが違う。だから、経営者は理念や方針を熱をもって語り続けることが大事なのだ。その前提として、理念や方針は考え抜かれたものでなくてはならないことは当然だ。組織はそれを拠りどころとして荒波を乗り越えていくのである。

高橋荒太郎を尊敬している、オリーブを扱う小豆島ヘルシーランド株式会社の創業者、柳生好彦さんから、数年前に小豆島を訪問した折にこの「トイレ」の話は直接聞いている。この企業もトイレをきれいにしてあったことで、高橋の知遇を得たのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?