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「名言との対話」5月30日。安芸ノ海節男「双葉山に勝った自分がみっともない相撲は取れない」

安芸ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県出身の大相撲力士。第37代横綱。

安芸ノ海は不滅の69連勝という不滅の記録を残した大横綱・双葉山の連勝記録をストップさせた平幕力士である。その偉業が目立つので、本日までこの力士が横綱にまでのぼったことは知らなかった。

1836年(昭和11年)春場所7日目から始まった双葉山の連勝は、1939年(昭和13年)春場所3日目まで続いていた。当時は1年2場所制だったから、丸3年にわたって勝ち続けたのである。

4日目の相手の安芸ノ海は前頭三枚目で初顔合わせだった。「打倒双葉」を合言葉に研究に励む出羽海部屋では、双葉の弱点をつかみ、その作戦を安芸ノ海に授け、双葉山が破れる「世紀の大一番」となった。このときラジオ中継の和田信賢アナウンサーは、「双葉敗る! 双葉敗る! 双葉敗る! 時に昭和14年1月15日。旭日昇天まさに69連勝、70連勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭・安藝ノ海に屈す! 双葉、70連勝ならず! まさに70、古来やはり稀なり!」と絶叫した。

「今日の双葉山に挑む者」との連載連載を持っていた近藤日出造の取材に答えて、初日対戦相手の五ツ嶋が「オレなんかダメだが、うちの安芸ノ海は面白いよ」と語ったことは、後に「世紀の予言」と語り草になった。

その安芸ノ海は「ひいきの人が、貸し家が二軒ついた家をほうびにくれたよ」と語っていた。それほどの大事件だったのだ。師匠たちからは 「勝って褒められるより、負けて騒がれるようになれ」と諭された。

連勝を止められたとき、双葉山は「我いまだ木鶏たり得ず」(ワレイマダモッケイタリエズ)と安岡正篤に打電したというエピソードがある。荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。真人(道を体得した人物)は他者に惑わされることはないという意味である。63連勝の 白鵬も敗れたとき、支度部屋で「いまだ木鶏たりえず、だな」と語ったとされる。

1943年(昭和18年)、1944年(昭和19年)には、2人は東西の横綱同士で対戦している。対戦成績は双葉山の9勝1敗だった。物言いがつく一番があるなど、善戦はしたが安芸ノ海は二度と勝てなかった。

12回の優勝のうち8回の全勝優勝の大横綱・双葉山は「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」が信条であった。「双葉関は相手が誰でも変わらぬ相撲を取った人だが、自分に対してだけは特別な感情があるように感じた」と感じていたと安芸ノ海は、「横綱になれたのは、あの一番があったからです」と後に語っている。優勝は1回であり、また師匠との軋轢もあり、晩年は不遇だった。

今も折に触れて、テレビの映像でこの取組みが流れるので、よく知っているような気していたが、そうではなかった。この一番をめぐる背景、敗者となった双葉山の心境、当時の世相、そして勝者の人生に与えた影響などを知ることができた。歴史が一点に凝縮された感じがする。人は人生の一瞬の輝きで歴史に残ることがある。その代表がこの世紀の大一番だ。

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