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名言との対話(平成命日編)5

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2019年10月の記事一覧

10月30日。 木下順二「誰だって忘れたいと思うさ、いろんなつらいこと、不愉快なこと…

木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、…

久恒 啓一
5年前
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10月29日。 マキノ雅弘「おもろなきゃあかんで」

マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家…

久恒 啓一
5年前

10月28日。 谷口清超「今こそ立ち上がって、あなたのやれるすべてのことをやりつくせ…

谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 - 2008年10月28日)は宗教家。 1930年に谷…

久恒 啓一
5年前
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10月23日。広島日出国「一念天に通ず」

廣島 日出国(ひろしま ひでくに、1937年11月18日 - 2009年10月23日)はマラソン選手、監督。 …

久恒 啓一
5年前
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10月27日。中一弥「やりたいこと、まだまだ」

中 一弥(なか かずや、1911年1月29日 - 2015年10月27日)は、日本の画家。享年103。 早くに…

久恒 啓一
5年前
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10月26日。 岡崎久彦「戦略が良ければ、戦術の失敗は挽回できますが、戦略が悪いと戦…

岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年(昭和5年)4月8日 - 2014年(平成26年)10月26日)は、…

久恒 啓一
5年前
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10月25日。岩谷時子「「夕鶴」の鶴みたいに、自分の身を削って詞を書くんじゃない」

岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28日 - 2013年(平成25年)10月25日)は、日本の作詞家、詩人、翻訳家。 岩谷時子は、宝塚で出発した8歳下の越路吹雪の献身的で有能なマネジャー、そして大ヒットを連発する作詞家、その二つの顔を持っている。 『ラストダンスは私にーー岩谷時子物語』(村岡恵理)は、岩谷時子の若い時代を含む日記を材料として、71歳の時点までを描いた伝記だ。 47歳で12年勤めた東宝を辞めた。出版部時代を含め24年の勤め人生活だった。

10月24日。 根上淳「歌を? なんでやめなきゃいけないんだい」

根上 淳(ねがみ じゅん、1923年9月20日 - 2005年10月24日)は、日本の俳優。 学徒出陣。法政…

久恒 啓一
5年前
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10月15日。 ジョー・スタンカ「円城寺 あれがボールか 秋の空」

ジョー・ドナルド・スタンカ(Joe Donald Stanka, 1931年7月23日 - 2018年10月15日)は、アメ…

久恒 啓一
5年前
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10月17日。 田島治子「打たれ強くなって大きくなる」

田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 2013年10月17日)は、日本の実業家。サカイ引越…

久恒 啓一
5年前
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10月22日。春日八郎「歌こそ我が生命」

春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年10月9日 - 1991年10月2…

久恒 啓一
5年前
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10月21日。 西澤潤一「不器用の勝利」

西澤 潤一(にしざわ じゅんいち、1926年9月12日 - 2018年10月21日)は、日本の工学者。 専門…

久恒 啓一
5年前
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10月20日。 カダフィ「緑の革命」

ムアンマル・アル=カダフィー(アラビア語: معمر أبو منيار القذافي, mu…

久恒 啓一
5年前
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10月19日。大石武一「もし失敗したら失敗したで、そのときに、さらに別な対策を考えればよいのである」

大石 武一(おおいし ぶいち、1909年6月19日 - 2003年10月19日)は、日本の医師・医学博士、政治家。 医業をやりながら趣味として植物学をやることを父に勧められ東北大学医学部で学ぶ。卒業後は東北大学医学部助教授を経て、筋を通した政治家であった父の死を契機に後を継いで1948年に政治家へ転身する。連続10回当選し、河野派(後に中曽根派)に所属する。 1970年前後は、水俣病、四日市ゼンソク、イタイイタイ病の住民訴訟が起こっていた。大阪国際空港のジェット機騒音訴訟