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10月29日。 マキノ雅弘「おもろなきゃあかんで」

マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。

日本映画の父・牧野省三の長男。子役、俳優を経て、1927年に18歳で監督デビューする。早撮りの名人で、映画一本を10日程度で完成させるという早業の持ち主だった。

時代劇、現代劇、何でも撮った。完全主義の作家型ではなく、間に合わせの達人である職人型の監督だった。頼まれて各社の映画をつくり続けた。1926年から1972年までの間に、260余本の監督作品を生んでいる。世界ではウイリアム・ボーダインが44年間で182本という記録があるが、世界の映画史でも特筆すべき記録だろう。世界一多作の映画監督かもしれない。代表作は、『殺陣師段平』、東宝の「次郎長三国志」シリーズ、東映の任侠やくざシリーズ『日本侠客伝』などで、俳優の高倉健や藤純子を育てた。俳優の経験もあり、演出の技巧は巧みだった。

「1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ、というのが父の映画憲法だった。スジとは筋すなわちストーリーの面白さ、ヌケとは画面がきれいにぬけていること、ドウサとは動作で、これが、この順序通りに、父にとっては映画の三原則にほかならなかった」。自伝『映画渡世・天の巻』には以上のような述懐がある。私とも仙台で縁のあった甥の俳優・津川雅彦は、マキノ雅彦名義で映画監督として活動し、「寝ずの番」(2006年)、「次郎長三国志」(2008年)、「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」(2009年)を作っている。マキノの遺志を継いだのだろう。映画は三代にわたる事業だった。

マキノ雅弘は野球中継をテレビで見ていて、「ちょっと眠るわ」といってそのまま眠るように息をひきとった。85歳、幸福な死に方だった。

映画は「見世物」だから、「おもろなきゃあかんで」が」口ぐせだった。 職人監督・マキノ雅弘は芸術至上主義ではなく、「早い安い面白い第一主義」を標榜していた。「おもろなきゃあかんで」は、その神髄を一言であらわしている。

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