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久恒啓一の「名言との対話」

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日本近現代の偉人たちのの生涯と絞り出した名言から学ぶマガジンです。 誕生日や命日を切り口に、2016年1月1日から毎朝書き続けています。 2500日を超えてきました。「日本の精神…
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2023年10月の記事一覧

「名言との対話」10月30日。尾崎紅葉「人の幸福の第一は家内の平和だ。家内の平和は何…

尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年12月16日) - 1903年(明治36年)10月30…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月29日。中島知久平「何よりも大切なことは、精神的にまいらないこ…

中島知久平. 中島 知久平 (なかじま ちくへい、 明治 17年( 1884年 ) 1月1日 - 昭和 24年(…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月28日。岩橋武夫「何でもよいから生きていてくれ。お前に死なれて…

岩橋武夫(いわはし たけお、1898年〈明治31年〉3月16日 - 1954年〈昭和29年〉10月28日)は、…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月27日。山東京伝「身はかろく 持つこそよけれ 軽業の綱の上なる…

山東 京伝(山東 京傳、さんとう きょうでん、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9…

久恒 啓一
9か月前

「名言との対話」10月26日。伊藤博文「不断にあらず、容易に断ぜずなり」

伊藤 博文(天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は、政治家。享…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月25日。原口統三「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼…

「名言との対話」10月25日。原口統三「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」 原…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月23日。三島通庸「神代より荒れし那須野を開きつつ民栄えゆく里となさなん」

三島 通庸 (みしま みちつね、1835年6月26日(天保6年6月1日) - 1888年(明治21年)10月23日)は、日本の内務官僚。 鹿児島市出身。薩摩藩の御能方で金春流指南役の50石取の家で生まれた。幕末は西郷隆盛、明治期は大久保利通に取り立てられて新政府で活躍する。東京府参事、1874年に酒田県令を経て、1876年に初代山形県令(鶴岡県、旧山形県、置陽県の合併)に就任。道路・橋梁の整備と公共施設の建築を主要政策とする。 刈安新道、関山・作並・金山・磐根・加茂街道、

「名言との対話」10月24日。ピストン堀口「拳闘こそ我が命」

ピストン堀口(ピストンほりぐち、1914年(大正3年)10月7日 - 1950年(昭和25年)10月24日)…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月22日。伊庭貞剛「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失…

伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日)…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月21日。ホレーショ・ネルソン「私の人生における成功のすべては、…

初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(英: Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson KB, 1758年…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月20日。吉田茂「 歴史を知らない国民は滅びる」

吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月19日。魯迅「地上にもともと道はない。歩く人が多くなればそれが…

魯 迅(ろ じん、ルー・シュン、繁体字: 魯迅; 簡体字: 鲁迅; 拼音: Lǔ Xùn; ウェード式: Lu…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月18日。トーマス・エジソン「私は一日たりと、いわゆる労働などし…

トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison、1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、…

久恒 啓一
9か月前
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「名言との対話」10月17日。前野良沢「国が異なり言葉が違っても同じ人間だから理解出来ないことはないだろう」

前野 良沢(享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(大分県中津市)の藩医で蘭学者のち江戸幕府の幕臣。『解体新書』の主幹翻訳者。藩主奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。 1743年(寛保2年)頃同じ藩の知人からオランダ書物の切れ端を見せられ、良沢は蘭学を志す。冒頭の言葉は、そのときのものだ。当時の外国語は宇宙人の言葉のようであったろうが、その翻訳に挑戦しようとした晩学の異才・良沢は、勇気の