毒にも薬にもなるのなら。
酒は百薬の長。
冒頭から酒飲みらしい開口でごめんけど今回は酒飲みの話はちょこっとだけ。
まあいきなり話題に入るけど、お酒って毒にも薬にもなる代表じゃん?
過ぎれば肝硬変とか糖尿とか依存症とかまさに毒。
けど養命酒とかも 第2類医薬品に分類されるいわゆる「薬酒」なんだよね。
生薬とかもいろいろ入ってるけど、なぜお酒なのか。
なんとなくだけど、普通に生薬だけよりはアルコールの方が浸透率がいいのかな?とか考えてみる。
あとは生薬だけだと苦かったりするから、かな?
飲み過ぎはよくないけど寝る前にほんの少しの寝酒ならお医者さんも勧めてるとか聞くから適量のお酒は血行をよくしたり身体をじんわりあっためてくれるから薬に近いのかな。漢方薬的なね。
そんでもって「毒にも薬にもなる」ものは酒だけじゃない。
毒どころか即死に値するものが「言葉」だと思うんだ。
ちなみに私は言霊(ことだま)を信じてるし体験者。
体験者についてはあまり明るい話ではないから今は割愛する。
私たちは哺乳類のなかで唯一対話が可能な動物だ。
思考も他の動物とは段違いだし、だからこそ差別や戦争に暇(いとま)がない、というのは少々乱暴な考え方だけどね。
今や脳科学と称して今まで未知の領域だった脳の構造からその役割に至るまでが解き明かされている。
物質や科学現象を不思議だな、と思ってそれを解明しようとした先人たちが今の世の中を作ってきたのだと思う。
それはいい。
その先人たちのおかげで今の科学の進歩があるんだから。
グラハム・ベルしかり、ベンジャミン・フランクリンしかり、トーマスエジソンしかり。
彼らが不思議だなと思うことに答えを求めたその結果が今の便利な世の中の元を作り上げたのだと思う。
不思議なことを不思議なままにはしなかった。
それは非常に感謝してるし、否定する気なんか微塵もない。
彼ら偉人たちがそうであったように「回りの人を笑顔にしたい、幸せにしたい」という気持ちはもちろん私にもある。
でも個人に出来ることは限られている。
誰にでもあって、お金もかからなくて、とても簡単に出来ること。
それで人を幸せに出来ること。
私は偉人どころか勉強というものがひたすら苦手で、いわゆる「落ちこぼれ」だった。
まあそう思っていたのは中学生までだったけど。
小中学生時代は内弁慶で他人とコミュニケーションなんて絶対無理!だったけど元々は明るい性格だった、らしい。
母からの伝聞なんで自覚はなかったけど。
それが見事に叩き潰されたのは学校という枠の中に入った時だった。
当時の学校は今のような感じではなく、かなり教師の自由度が高かった。
PTAなんてそんな力もなかったし知恵もなかった。
そこで私が受けたのは言葉の暴力。
あれは本当にすごいね。
何年経ってもずっと心に刺さったまま傷口がいつまでもじくじくしてなかなか治らない。
治りきってないところにまた更に新しい傷口が増える。
それが9年間。
妄想に逃げ込む癖(へき)を持っていなかったら私は早々に廃人か自死ルートに入っていただろうと思う。
理由もなく嫌われて避けられる。
名前のあとに「菌」をつけられる。
授業中でも私の触ったものをまるで汚いもののように扱われ、大声で罵倒される。
小学生の時はまだ嫌みを言ってきた女の子と取っ組み合いのケンカをしたりと気が強かった。
いじめてくるのは男子が多くて、気の合わない子以外の女子は味方だと思っていたのだけれど、割りと仲のいい優しくてはかなげな女の子に裏切られたときは絶望した。
あまりにひどくて五年生の時に近くにできた新しい小学校に逃げるように転校した。
でもそこでも同じだった。
元の小学校にいた何人かは私と同じ学区だからと転校。
あの子いじめられっ子なんだよね→じゃあいじめていいんだね。
っていう。
今こうして書いてるとほんと回りの教師や同級生くそだなって思うけど当時はそこまで俯瞰して見られなかった。まあ仕方ないけど。
そこで私はやっぱり中学でも同じだった。
気は強かったけど、うまく自分の気持ちを言葉に出来なかった。場面緘黙症みたいなものだったのかな。
人前で話すのが死ぬほど苦手で頭の中ではめっちゃ思考してるのにどう言えば伝わるのかとか考えたら声がでない。
しびれを切らした回りが騒ぎ、教師はため息を付き、泣くもんかと涙をこらえたからますます喋れなかった。
ああ、悪循環。
そんなわけで悪意を詰め込んだ悪口雑言ばかりを浴びて、やっぱり逃げるようにその学区からはとても遠い(といっても市内だけど)高校に行った。
端的に言うとこの「逃げ」は半分正解だった。
半分というのはそこで私はやんちゃ方向に高校デビューしてしまったから。ああ、黒歴史w
世は横浜銀蝿、なめ猫ブーム。
チェッカーズがメジャーデビューしたのもこの頃だった。
転がるように鞄はぺたんこ、スカートはくるぶし丈で化粧もタバコも酒もそこらへんで覚えた。
回りのわるーいおともだちは、世間からは不良生徒だったけどみんな優しかった。
相談に乗ってくれたし、慰めてくれた。
初めて家族以外から認められてほめられた。
そりゃ信者になっちゃうよねw
そこでコミュスキルが向上した。
これは彼女たちに今でも感謝している。
いろいろあったしケンカもしたし仲直りもした。
そのやり方を教わったのも彼女たちだから。
まあ、そんなのも二年目の夏にどぼどぼと中退ラッシュが起こって、みんな学校からいなくなった。
そこでやっと私は熱病から覚めた。
くそ真面目とはいかないけど、ちゃんとするようになった。
そこから紆余曲折の末、今に至るんだけども。
あれだけこてんぱんに折られた心が再生したのは、言葉だった。
あれだけこてんぱんに小中と心ない言葉で自尊心もやる気も生きる気力さえ削がれてぼろぼろになった心が再生したのは優しい労る言葉だった。
言葉というのは扱う人によって毒にも薬にもなる。
ペンは剣よりも強し、とは厳密には違うけど似通った部分もあると思う。
でもずっと暗黒でネガティブな言葉を受けてきた私はすごく嫌な気持ちになったし、今でもあの時のことは思い出したくないし忘れたい出来事。
だからこそ自分はそっち側にはなるまいと心に誓った。
自分が言われて嫌なことは相手だって同じように嫌だと思うから、口から出る言葉はなるべく相手を傷つけないように、できるだけ言葉と比例した口調で、というのを守ってきた。
一時期、子育ての真っ最中に心の余裕が無さすぎてそれが解除されちゃったりしたけど、だったらいつも余裕をもっていれば汚い言葉を口にしなくてすむんじゃないかという論法に気づいてからは軽減された。
まあワンオペ子育てに心の余裕なんてそうそう生まれないから、言うたびに猛省してたけど(´д`|||)
言葉も酒も毒にも薬にもなるのなら私は薬としてお酒や言葉と付き合っていきたい、そう思う。
ちょこっと不幸自慢みたいになってしまってごめんなさいm(_ _)m
言いたいこと言えてスッキリした~(*´∇`)ノ
関係ないけどヘッダ画像はこないだ食べた揚げなすおろしそば。
おいしかった!!