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プリンス・エステートは『ラヴセクシー』のトラック切れたのを出しなおしてほしい

(5 min read)

Prince / Lovesexy

1 Eye No
2 Alphabet St.
3 Glam Slam
4 Anna Stesia
5 Dance On
6 Lovesexy
7 When 2 R in Love
8 I Wish U Heaven
9 Positivity

プリンスの、大傑作だとぼくは思っている『ラヴセクシー』(1988)。そういう評価をされず一般的な人気も低いのは、殿下ナルシシズム全開のジャケット・デザインが気持ち悪いといったことだけでなく、やはり全九曲のトラックが切れていないせいに違いありません。

ジャケットが問題だっていうのはですね、聴くときに見なければいいんですから、音と違って、だから実はさほど問題じゃないんですよ。路面店でレジに持っていくのは恥ずかしかったかもですが、発売当時と違って現代はネット通販もあります。

でも音楽作品なんだから音のほうは無視できませんよねえ。みなさんご存知のとおり『ラヴセクシー』の全九曲、トラックが切れていなくて、ずるずるつながって一個なんですよねえ。これじゃあ聴きにくくってしょうがないってぇ〜の。

デューク・エリントンにしろマイルズ・デイヴィスにしろ、突出した音楽家はたまにこういったたぐいの主張をくりひろげることがありますけれどもね、『ラヴセクシー』でのプリンスも、1988年ということでCDメディア出現当初という時期、ぽんぽんトラックをスキップして飛ばし聴きするのが容易になったというのに抵抗したかったんでしょう。

自分の作品は、アルバムで一個の音楽作品なんである、トータルで通してじっくり味わってほしい、という希望からこのような1トラック仕様にしたのでしょうけど、その結果、そもそもハナから聴かれすらもしないという結果とあいなってしまいました。あたりまえだと思います。

なぜなら、ひとことで言ってアルバムの全貌がつかみにくい。曲がわかんないんですもん。だって45分間以上も「一曲」じゃあ聴きにくいことこの上ないんですもんねえ。最初からそのつもりで作曲・構成された作品ならOKでしょうけど、『ラヴセクシー』はそうじゃない、通常の数分単位で録音された九曲を並べただけ。

一曲一曲の姿がわからなかったら、結局そのアルバムが全体でどんなものかも把握しにくいっていう、立派な証拠となってしまっていますよね。みんなが『ラヴセクシー』にはイライラしてきていて、いまやサブスクで聴く時代になりましたけど、Spotifyでみてもやはり1トラックっていう、これはもはや無意味なんじゃないの。

Spotifyアプリだとどんどんスキップできるし、でも1トラックで曲がないから、そもそもチラ見してやめちゃうんじゃないですかね。その証拠に総再生回数がプリンスの作品にしてはかなり少ないです。

ぼく個人的はですね、数年前、自分で『ラヴセクシー』のトラックを切りました。そうしないと聴きにくいですからね。CDからパソコンにインポートして、その(iTunes)ファイルをオーディオ・エディタ(Audacityを愛用)で書き出して、各トラックを手作業で切り分けたんですよ。

切り分けた九つのファイルをふたたびiTunesに読み込ませ、一個のプレイリストにして、無事みごとトラックの切れた『ラヴセクシー』の完成。このアルバム、トラックの切れ目は聴けばわかりやすいんで、切り分け作業はメンドくさいだけで、カンタンでした。それをCD-Rに焼いて、プリンス好きの友人にあげたりもしました。

もちろんプリンス・エステートやワーナー側が、九つそれぞれのトラック別々に所持していることはわかっています。各種公式ベスト盤などには「アルファベット・ストリート」など一曲単位で収録されていたりするんですからね。

だから、公式がその気になれば、トラックの切れた『ラヴセクシー』を発売することは容易であるはず、フィジカル&配信で。わりと大勢がそれを望んでいると思うのに、どうしてやらないんでしょうか。故人の1988年当時の意思だったから?それを尊重したい?いやいや、遺族や関係者はもっとファンの利便を考えてくれてもいいと思いますよ。当時も今も不評でしょう。

(written 2021.4.27)

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