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曲はみんなの共有財産 〜 他人の歌・自分の歌

(写真は岩佐美咲SHOWROOMからのわいるどさんのブログから拝借しました)

(7 min read)

なんといいますか、演歌、歌謡曲、J-POPとか、ロック・ミュージック分野なんかでもそうかな、だれかのために書かれ提供されたいわゆる持ち歌を、そのひとの曲とみなし、それをだれかほかの歌手がカヴァーしたりするのは他人様の曲をやらせていただいているのであるからして…という発想がファンのあいだにもあるんですねえ。

そんなことを、最近わいるどさんのブログのコメント欄を読んでいて実感しました。だからもちろんわさみんこと岩佐美咲関連のことなんですけど、彼女のためにと提供されたオリジナル楽曲はまだ九つしかなくて、だからトータルで20数曲歌うコンサートなどではもちろんカヴァーが中心になっているんですけどね。

それで、どんなに上手かろうが他人の曲なのだとか、他人様の曲を歌うばかりでなく…といった論調のコメントがちらほら散見されるんですけど、こういった意見にぼくはそのままストレートには同意できないんですよね。

これはどんな音楽をふだんどんどん聴いているかというのにもよります。たしかに演歌や歌謡曲などではカヴァーがめずらしいかもしれないけど、たとえばジャズなんかであれば、特に(スタンダードなどを主にやる)歌手のばあい、自分の曲なんて少なくて、どんなひとでもカヴァー中心ということになっています。

洋楽ですが、トラッドとかフォークとかの世界になれば、自分の曲なんて存在しません。100%カヴァー・ソングばかり。というかそういった世界ではコミュニティの伝承曲をとりあげて歌うもので、そういうものだとみんな思っているから、オリジナル/カヴァーの概念すらないのでは?アメリカ南部のブルーズ・チューンなんかもそうかな。クラシックの世界もそうですね。

つまり、演歌や歌謡曲なんかでもぼくはそれに近い発想をしているんですよね。ずっと音楽を熱心に聴き続けること40年以上、ぼくのなかにはカヴァーは他人の曲をやるものだから(自分の曲じゃないから)どうのこうの、といった発想はゼロです。同じように並べて聴いてきましたし、区別はあまりしていないです。いろんなひとのヴァージョンを聴き比べるという楽しみだってあるんだし。

演歌や歌謡曲の世界では、うん、ちょっとね、カヴァーをやるのはややスペシャルなことだという発想がまだまだ根強いのかもしれませんけれども。たとえば21世紀に入ってから徳永英明が『VOCALIST』シリーズを六作出しましたけど、有名歌謡曲ばかりカヴァーしたもので、注目されたのはやっぱりカヴァー集だったからかもしれませんからね。

2016年から三年立て続けにリリースされた坂本冬美の『ENKA』シリーズもカヴァー集で、過去に歌われた有名演歌スタンダードばかりとりあげたものでした。肝心なことは、徳永のにせよ冬美のにせよ、出来がどうであったかということです。平凡なたんなるストレート・カヴァーだったなら、な〜んだ、しょせんはカヴァーだな、と言われたかもしれませんが、徳永のシリーズも冬美のシリーズも立派なできばえで、賞賛されたじゃないですか。

つまりここにポイントがあるんですよ。オリジナル曲で自分の色を出せるのは当然だけど、カヴァーでも自分流の個性というかその歌手の独自色、そのひとにしかできない斬新な解釈で唯一無二のヴァージョンに仕立て上げられるかどうか?〜 ここにこそカヴァーの極意があります。それができていれば、カヴァーでも「他人の曲をやるなんて...」という言われかたはしないはずです。

ふりかえって、岩佐美咲のカヴァーはどうでしょうか?ぼくの聴くところ、やはりそれらも立派でみごとな美咲ワールドを展開できていると思いますよ。どんな濃厚抒情演歌でも、あるいは軽めのポップスでも、美咲にしかできないさわやかでサッパリ、あっさりしたストレート&ナイーヴな歌唱法で、まさしく新時代の演歌・歌謡曲といえるものを実現していると思うんですよね。

「20歳のめぐり逢い」を、「涙そうそう」を、「糸」を、「風の盆恋歌」を、「遣らずの雨」を、美咲以上に感動的に歌える歌手がこの世にいるんなら、ぜひ教えていただきたい。それらはもう<美咲の歌>じゃないですか。

海外のトラッドとかフォークとかブルーズなんかに通じる考えなんですけど、曲は社会のみんなの共有財産なんだとぼくは思っています。歌手や音楽家ならだれがどんな曲をやろうとも自由で、もちろん著作権が生きている曲はその許諾を得ないといけませんが、権利管理団体に届出さえ出しておけば、だれがなにをカヴァーしようと自由です。

歌はみんなのもの。100年、200年という長期スパンでみれば、だれの曲、あなたの曲、自分の曲、だなんて発想はチンケでつまらないことだとわかります。自分のために書かれた持ち歌でなかろうが、美咲もどんどんとりあげて歌っていけばいいと、ぼくは心から確信していますけどね。

最後にちょっと一個だけ注文をつけておきます。カヴァーは曲をどう解釈するか?ということが最も大切なキモなんですけど、その際の重要要素となってくるのはアレンジの独自性です。徳永の『VOCALIST』シリーズも冬実の『ENKA』シリーズも、歌手の持ち味もさることながら、気鋭の天才アレンジャー、坂本昌之を起用したことが成功に直結しました。

美咲のばあい、オリジナル・ヴァージョンのアレンジをそのまま使うか、それにほぼ沿ったあまり変更しないアレンジでカヴァーすることが多いのだけは、ちょっといただけないですね。ああいった持ち味の新感覚歌手ですからそれでも新味が出せるんですけど、本当だったらちゃんと新規にアレンジャーを起用して新しいアレンジを使うべきです。ここだけは課題ですね。

(written 2021.5.20)

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