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ビッチズ・ブルー 50

(6 min read)

Miles Davis / Bitches Brew

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2020年3月30日にちょうど50歳になる『ビッチズ・ブルー』。マイルズ・デイヴィスの代表作ですが、そう、1970年3月30日にアメリカで LP 二枚組が発売されたわけですね。そういえば昨年、特に夏には、『ビッチズ・ブルー』録音からぴったり50年ということで、なんだかそんなアニヴァーサリーをやったばかりじゃないかという気もしますが、今年は今年でなにかちょっと書いておきたいと思います。

この世に出てからぴったり半世紀ということで、『ビッチズ・ブルー』のいまだに続く影響力みたいなことが言われるわけですけど、こないだ来たマイルズ公式アカウントからのメール(はレガシーが運営しているからレガシーからも同一文面が来た)では、「マイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』ほど影響力が持続しているアルバムはほとんどない」とのことでした。これはしかし50年が経過した現在でも言えることなんですかね。

いま、『ビッチズ・ブルー』を聴きかえし、2020年でも強い影響を音楽界におよぼしているかということを簡単に言うことはできないのかもというのが正直な気持ちです。ジャズやその周辺界隈でのこのアルバムの影響力は、ある時期に終息しているような、そんな気がするんですね。それでも聴いたらやはりすごい音楽だと感動しますけれども、それは影響云々じゃなくてこの音楽そのものが持っているパワーということでしょう。

ジャズとロックやファンクなど他ジャンルとのクロス・オーヴァー、フュージョンという点でみれば、やはりいまだに『ビッチズ・ブルー』が大きな力を発揮しているのだとも言えなくもないんですけどね。2010年代のジャズも、他ジャンルとの横断・接合をさかんに試みて成果を出していますが、そもそも混ざっていいんだ、OK なんだ、どんどんやれといったことを、それも大胆な完成品として提示したジャズ史上初の本格作品が『ビッチズ・ブルー』だったかもしれませんからね。

その後の1970年代ジャズ(やその周辺界隈)などは、完全に『ビッチズ・ブルー』が描いた見取り図にのっとって進んだのは間違いないことですし、一大ヒットになってハービー・ハンコックをスターにした『ヘッド・ハンターズ』だってマイルズ・ミュージックの延長線上にあったものです。当時の聴衆はそうは思ってなかったでしょうけど。その後もヒップ・ホップ系のものとも接合できるハービーの音楽性やアイデアの源泉は、もちろんマイルズが与えたもののなかにありました。特に『ビッチズ・ブルー』が示した可能性のなかに。

ヒップ・ホップ系ビートとの接合は、現代ジャズのひとつの大きな特色ですから、そう考えると、やはり21世紀にあっても『ビッチズ・ブルー』のおよぼす力が大きいのだとみることもできますね。あれっ、前言撤回かな。ファンク、ヒップ・ホップとビートを細かく割っていく手法は「直截的には」マイルズのこの70年リリース作で聴けませんけどね。

以前からなんどもくりかえしていますが、『ビッチズ・ブルー』の録音は1969年の夏、それも8月19〜21日の三日間で行われたということをふまえても、かの<サマー・オヴ・1969>との連動性、あの時代の、ロックとの、ヒッピー・カルチャーとの、サイケデリック・ムーヴメントとの、強い関連を考えざるをえないのですが、実際、ジャズ界にあってかのサマー・オヴ・1969の空気感を最も的確に表現したのがマイルズの『ビッチズ・ブルー』だったとも言えましょう。

ブラック・ミュージックとして聴けば、『ビッチズ・ブルー』でぼくが最も感銘を受けるのが「ファラオズ・ダンス」「スパニッシュ・キー」「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」の三曲です。ファンキーですよね。「ファラオズ・ダンス」はジョー・ザヴィヌルの用意した曲ですけど、ジョーの黒い感性が、特にベース・ラインや後半リピートされるマイルズの吹く反復ラインによく表れているなと思います。

「スパニッシュ・キー」はロック調、それも後期リターン・トゥ・フォーエヴァーを予見したような内容で、『ビッチズ・ブルー』でもキー・パーソンであるチック・コリアの大活躍が目立ちます。このずんずん来るビート感がロックっぽくてノリがよく、快感ですよね。スパニッシュ・スケールを使ったあざやかなアド・リブ展開もみごとです。

一転、「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」は、曲題も暗示するように(ミーターズふうの)クールなニュー・オーリンズ・ファンクに接近した一曲で、個人的にはこれをこのアルバムのクライマックス、白眉の一曲としたいです。このスロー・ミディアム・テンポに設定したバンド全体のグルーヴが、もうたまりませんよね。マイルズのソロでホットな沸点に達するその瞬間には聴き手も絶頂を迎えます。

各人のソロまわしを組み立ての中心に置くというのは従来的なジャズの手法でありながら、実はそれらソロも全体のピースの一個としてはめこまれるようになっていて、伴奏もふくめてのトータル・アンサンブルが即興できているという、いわばインプロヴィゼイショナル・アンサンブルとでもいうべき音楽構築は、1968年あたりからマイルズも実験的に試みてきたことです。それが『ビッチズ・ブルー』ではみごとに結実、開花していますよね。

ソロとインプロヴィゼイショナル・アンサンブルのバランス、有機的一体化とか、ソロをはめこんだ上でのアンサンブルのトータル・ワークで聴かせるという音楽の構成とか提示みたいなことをみても、マイルズの『ビッチズ・ブルー』が示したやりかたは、やはり2010年代以後の最新ジャズのなかにも引き継がれ生きている、50年前に音として具現化されていたとなれば、やはりものすごいアルバムだったのだ、レガシーがいうようにこれほどいまだ影響力が持続しているアルバムは滅多にないということになるのかもしれませんね。

(written 2020.3.29)

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