見出し画像

ファンキー・ジャズの演歌ノリ

(4 min read)

1960年前後ごろのファンキー・ジャズ、たとえばアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの曲「モーニン」(1959)なんかを聴いてカッコイイな〜って思うのは、そのちょっとあとの時期の日本の演歌ソング、たとえば都はるみの「アンコ椿は恋の花」(1964)を聴いてエエナ〜って思うのと、同じようなことじゃないでしょうか。おかしな考えでしょうか。ちょっとノリに共通したものがあるように感じるんですけどね。

ファンキー・ジャズ、そう、「モーニン」の名前をあげましたが、ほかにも「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」(カーティス・フラー、1960)とか「ワーク・ソング」(ナット・アダリー、60)とか「ソング・フォー・マイ・ファーザー」(ホレス・シルヴァー、65)とか、ああいったジャズ・ソングに共通するある種のノリがあると思うんですよね。

その共通性をぼくなりに抜き出して、どうしてあの手のジャズは日本でこんなにもてはやされてきたのかを考えるとき、ひょっとしたらそれは演歌ノリに相通ずるからだ、似通ったフィーリングがあるからだという結論に達するんですね。あの手のファンキー・ジャズ作品は、当時もあまり間をおかずに日本にアルバムが入ってきていたでしょうし、なんたって大流行したそうじゃないですか、特に音楽やジャズと関係なさそうなひとびとのあいだでも。

となれば、そのちょっとあとになって演歌というジャンルが日本で成立したころ、その作曲・編曲をする音楽家たちだって耳にしていたはずだと思うんですね。アート・ブレイキーやホレス・シルヴァーを、たとえば市川昭介がまったく聴いたことがなかったとは、ちょっと考えにくいですよ。ヨーロッパのクラシック音楽やアメリカのジャズなんかは日本のコンポーザーのあいだでもお手本だったんですからね。

ファンキー・ジャズと演歌の両方に流れている共通のノリ、それがなんなのかをことばで明言するのはとてもむずかしいことです。あえて言えば<よっこらせ・どっこいしょ>のノリとでも言いますか。それは2ビート感覚ですけれども、ファンキー・ジャズだって1、2でポーン、ポーンと刻みながらフィーリング的には8ビートを表現していましたよね。う〜ん、うまく言えてないなあ。

ボーン、ボーンとかズン・タタ、ズン・タタとか、ああいった演歌調のノリ、リズム・フィールは、たしかに演歌独自のものかもしれませんが、ファンキー・ジャズの曲を聴いているときにぼくのなかでなんらかの相通ずる琴線を刺激されるというのが間違いないところなんですね。ファンキー・ジャズの流行が1960年前後、日本クラウンが発足した(ので演歌ジャンルが確定するようになった)のが1963年ですからね。都はるみのレコード・デビューが64年。

時期的にこれだけシンクロしていて、聴いた感じも似たようなノリがあるとわかるんですからね。もちろんそれはたんなる偶然、たまたまのもの、であるとも言えます。ファンキー・ジャズの成立にはアメリカのブルーズや教会ゴスペルが深くかかわっていますが、日本の演歌はそこまでディープ・ルーツを持つものじゃありません。むしろ洋楽の影響からある意味ちょっとだけ離れ、一定傾向の流行歌を(商略上)囲い込もうという動きのなかにジャンルの成立がありました。

そんな事情もあるので、ファンキー・ジャズと演歌は似ていないということに、考えてみればなりそうですけど。それであっても個人的に感じるこのノリ、フィーリングの共通性はなんとも否定しがたいものがあります。ズンズンと泥くさくクッサ〜イ感じで盛り上がるこのフィーリング、過剰な感情表現、強調・誇張が多く使われること、派手な高揚 〜〜 両者を聴いていて感じるこの共通性は疑えないんですね。

(written 2020.4.25)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?