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聴き手も歳をとらないとわからないものっていうのがある(3) 〜 ジェリー・ロール・モートン

(4 min read)

Jelly Roll Morton / from Last Sessions

ジェリー・ロール・モートンの最終期録音を集めたアルバム『ラスト・セッションズ:ザ・コンプリート・ジェネラル・レコーディングズ』(1997年発売)がSpotifyにあったので、前半13曲の独奏パートだけ抜き出して上記のとおりプレイリストにしておきました。

1939年録音のそれらについては、以前2018年にも一度文章にしたことがあります。CDで聴いていたそのころすでに現在と似たようなノスタルジックでちょっぴりみじめな心境にぼくも近づきつつあったのですが。

聴き手のこちらがいっそう年齢と経験を重ね、音楽の聴こえかた、とらえかたが変化してみると、それらモートンの最終期ソロ録音が以前にも増してより沁みるようになってきています。さびしげというか枯淡の境地により深く共感するようになりました。

1920年代にソロ・ピアノやバンドでの演奏で大活躍し、曲も演奏も著しく評価が高かったモートンですが、立派な音楽性とは裏腹に?パーソナリティにはかなり問題のある人物だったかもしれません。くわしいことはこれも以前書いたことがあるのでご一読ください↓

21世紀だったならなにかの精神障害であろうと診断・対処される可能性もあるんじゃないかと思いますが、第二次大戦前というあの時代では、ただの性格のゆがみ、人間的欠陥、悪人みたいにしか扱われなかったでしょう。だから友人もみなモートンから離れていくこととなり、1941年にわずか50歳で、まったき孤独のうちに亡くなりました。

1939年のソロ録音は、そんな晩年のモートンがピアノ一台をたったひとりで弾き、曲によってはしんみりとノスタルジックに朴訥とおしゃべりするみたいに歌っているというもの。それが13曲。みごとに枯れていて、静かでおだやかで、いまのぼくにはこれ以上ない心地いい雰囲気の音楽に聴こえます。

1920年代にもたくさんソロ・ピアノ録音を残しているモートンですが、あのころのようなシャープな斬れ味はもうここにはありません。齢を重ねタッチに締まりがなくなりややだらしなくなって、ただ自分の過去をしんみりふりかえるように淡々と指を運んでいるだけ。

たとえばフレッチャー・ヘンダスンやベニー・グッドマン、あるいはギル・エヴァンズまでなどビッグ・バンドにも転用されたモートン生涯最大のヒット曲「キング・ポーター・ストンプ」もここで再演されています。同じソロ・ピアノでやった1923年ヴァージョンの鋭さと比較すれば、枯れかたは一聴瞭然。

でもそれがいいと思うんです。なにもかも失ってひとりぼっちになった1939年のモートンが、これだけは失わなかったピアノと音楽でもって、往年の代表曲をやり、かつての躍動感はなくても静かな熟淡の味で、いまのやはりひとりぼっちのぼくをなぐさめてくれるんです。

そんなモートン晩年の深淡は、むしろヴォーカル・ナンバーでいっそうよく表現されています。「ワイニン・ボーイ・ブルーズ」「バディ・ボールデン・ブルーズ(アイ・ソート・アイ・ハード・バディ・ボールデン・セイ)」「メイミーズ・ブルーズ」「ミシガン・ウォーター・ブルーズ」など、これ以上のソリチュードとノスタルジーがあるでしょうか。

えもいわれぬよい香りで、聴き手のこちらが若かったころはこういった音楽のどこがいいのかよくわかっていませんでしたけれど、いまやモートン晩年のソロ録音みたいな枯れきったさびしげで孤独な音楽こそ癒しであり、ふわりと寄り添い心を暖めてくれるものだなあとしみじみ感じます。

(written 2022.3.3)

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