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キャロル・キングのカーネギー・ライヴ 71に聴く人間味

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Carole King / The Carnegie Hall Concert, June 18, 1971

きのう書いた『ライター』制作の前にキャロル・キングが組んでいたバンド、ザ・シティのアルバムがまったく売れなかった一因にキャロルのステージ恐怖症がありました。だからプロモーションができなかったのです。

それを踏まえた上で、この1971年カーネギー・ホール・コンサート『The Carnegie Hall Concert, June 18, 1971』(リリースは96年)を聴くと、なんだか別人みたいですよね。ちょっと緊張してナーヴァスになっているなという様子も聴きとれますけれども。

傑作『タペストリー』のリリースが1971年2月。この6月のカーネギー・ホール・コンサートだって『タペストリー』のプロモーションというかキャンペーンという面だってあったんじゃないですか。とはいえこのコンサートの時点で既に売れまくってはいました。

だからプロモーションというより生まれ故郷への凱旋みたいな意味合いだったんでしょうか。1曲目「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」を終えると、キャロルは「実はブルックリン生まれなんです、戻ってきました」と自己紹介していますから。そう、ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで成功を収めてのちはロス・アンジェルスに移り住んでいたキャロルで、そこで『タペストリー』を成功させたんですが、NYのカーネギー・ホールはこども時分からなじみの場所だったはず。

キャロルのこのカーネギー・ライヴは途中までひとりだけでのピアノ弾き語りなんですよね。ほんの二年前までステージ恐怖症でツアーできないくらいだったのに、たったひとりでカーネギー・ホールみたいな大舞台で弾き語るなんて、それくらい『タペストリー』の大成功がキャロルの人生を変えたんでしょう。

実際、1曲目「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」出だしのブロック・コードで弾くピアノ・リフを耳にしただけで、この日のキャロルは緊張しているのがいい意味での高揚感、やる気につながっていて、武者震いするような感じというか、これならいい演唱ができるはずと納得できるオーラがあります。

さらに、たしかに『タペストリー』からのレパートリーが中心ではありますが、それ以前の代表曲もたくさんやっていて、ゴフィンと組んでいたブリル・ビルディング時代のものだってあるし、だからある意味<キャロル・キング名曲コレクション>とでも呼べるような内容なのも好きなところ。

途中からはやはりロス・アンジェルスから駆けつけた仲間も客演。チャーリー・ラーキー (ベース)が7曲目から、ダニー・クーチ(ギター)が11曲目から、それからこれはNY現地採用でしょうけどストリング・カルテットが13曲目から、それぞれ参加して合奏形式になるのも楽しいところ。

終盤はキャロルにとって人生最大の友と呼べるジェイムズ・テイラーがサプライズ登場し、15、16曲目といっしょに(ギターを弾きながら)歌います。16曲目はSpotifyのトラックリストだと「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」(シレルズ)しか書かれていませんが、後半はおなじみ「アップ・オン・ザ・ルーフ」(ドリフターズ)になっています。

15「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」16「アップ・オン・ザ・ルーフ」ともに、ジェイムズ・テイラーも同時期にとりあげて歌っていて、作者自身のヴァージョンより有名だったくらいですから、この二曲をデュオでやるというのは納得です。

こうした人間的交流、(孤独と表裏の)あたたかみをじんわり感じさせるのが、キャロルとジェイムズ二名の音楽では最大の美点かもしれません。ステージに立つのがおそろしかったキャロルが、こうして大舞台で、しかも前半はたったひとりでパフォーマンスすることを成功させた背景には、そんなことが支えとしてあったのかもとうかがわせます。

(このカーネギー・ライヴのバックステージでの二人)

ラストはひとりでのピアノ弾き語りに戻って「ア・ナチュラル・ウーマン」を。これもアリーサ・フランクリンのために(ゴフィンと組んで)書いた曲ですが、アリーサもよくピアノを弾きながら歌ったもの。結局のところ、こうした名曲の前に黒人/白人の区分など言うのは無意味だと心底納得します。

(written 2022.1.1)

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