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配信全盛時代にコンセプト・アルバムはどうなるか

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こないだ2021年5月21日は、マーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』発売からきっちり50年目の日付だったらしく(みんなそこまでよく憶えているよなあ)、それでさまざまな絶賛のことばが飛び交っていましたねえ。

なかでも個人的に印象に残ったのは、『ワッツ・ゴーイング・オン』が黒人音楽史上初のコンセプト・アルバム、トータル・アルバムだったんじゃないかという意見です。そう、そういう見方ができますよね。

そういったことばのなかには、やはりコンセプト・アルバムっていうとビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)をもってそのはじまりとみなすというのが一般的ですが、との表現もありました。

こういった考えかたって、しかしジャズ・アルバムが視野に入っていないよなあと思うんですね。マーヴィン・ゲイよりもビートルズよりもだいぶ前、1959年にマイルズ・デイヴィスが『カインド・オヴ・ブルー』をリリースしているじゃないですか。あれは完璧なるトータル・アルバムですからね。

決して録音済みの音源の寄せ集めじゃない、一個の強力な音楽的なコンセプトが最初にあって、そのもとに曲が書かれ、それに沿って演奏されたものを、作品として整ったかたちにみえるようにしっかり考え抜かれて並べ構築されたワーク・オヴ・アート 〜 こういった考えに沿うならば、マイルズの『カインド・オヴ・ブルー』こそ、全ポピュラー・ミュージック界史上初のトータル・アルバムです。

そしてもっと前からその先駆けがなかったわけではありません。なんとこの世で初のLPレコード作品だったデューク・エリントンの『マスターピーシズ』(1951)からして、すでにトータル・アルバム化しているという見方ができますからね。レコード史上初のLP作品だったものですよ。

デュークの『マスターピーシズ』は、長時間収録が可能となったLPメディアの出現に歓喜したデュークが、過去の自分の代表曲をとりあげ長尺の再アレンジを施して再演したものを並べるという、一個の強固なコンセプトが前もってありました。これに沿って曲が選ばれ、演奏・収録されたんですからね。

音楽的コンセプトとしてはちょっと弱いというか、たんに新メディア用に、ということで旧来の曲を再アレンジして演奏をくりひろげただけではありますけれども、アルバム収録曲が既発の録音済み音源の集合体でないこと、作編曲前にしっかりした(アルバムをトータルでまとめる)コンセプトを音楽家が持っていたこと、それに沿ってどの曲もアレンジ・演奏されたことなど、コンセプト・アルバムの要件はしっかり備えているんですよね。

考えてみれば、約35〜45分間というLPレコードは、最初からそういったコンセプト・アルバム、トータル・アルバムに向いているメディアとして登場したのだという考えかたもできるんじゃないでしょうか。もちろんポップスの世界ではたんに既発のヒット曲を並べただけっていうアルバムだって多く、大半のリズム&ブルーズ、ロック、ソウルなどのレコードなんかは最初そうでしたが、もとよりトータル・ワーク志向の強いジャズ・ミュージシャンにとってはちょうどいいフォーマットだったのでしょう。

これがCDとなるとですね、79分というのはちょっと長すぎるっていうか、一個のトータル・コンセプトで全体を貫き通し細部までていねいに構成するという集中力が、創り手も聴き手も持続しにくいといった面があるように思えます。作曲されたクラシック音楽の大作にはいいんでしょうけど、ポピュラー界ではちょっとねえ。

ストリーミング全盛の配信時代となったいま、このような世界がどう変容していくか、まだまだこれからだという感じですけど、全体的なアルバムの(CD時代と比較しての)短尺化、曲で聴きアルバム体裁は無視するといった志向、プレイリストで聴くといった新しい傾向の出現など、相変わらずコンセプト・アルバム、トータル・アルバムがどんどんリリースはされるものの、「アルバム」といった概念がやや崩壊しつつあるかもしれないように、ぼくにはみえています。

(written 2021.5.23)

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