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岩佐美咲「右手と左手のブルース」&カップリング曲を聴く

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岩佐美咲の新曲「右手と左手のブルース」CD が発売されたのは2020年4月22日。ぼくのところに届いたのは25日でした。そこからカップリングの五曲とあわせくりかえし聴きましたので、ここらへんでちょっとした個人的感想を手短に書いておきましょう。今回の全六曲を通して聴く最大の印象は、完全に演歌路線から出て歌謡曲の世界にシフトしたなということです。

もちろんカップリング曲のなかには「ふたりの海物語」のようなド演歌に聴こえるものもありはするんですけれどもこれだけの例外ですし、それにだいたいこの「ふたりの海物語」という曲は演歌そのものとは言えないですよね。この曲はむしろ演歌というジャンルに対するカリカチュア、あるいは(ポップ・サイドからの)ミミックでしょう。

つまり演歌とはなにか?どんなものか?どんな感じなのか?どんなメロディ、歌詞、曲調、アレンジなのか?を総合的に勘案して、こういったものがみんなの考える演歌というものだろうと、要素を誇張して提示してみせた一曲です。だから濃厚な演歌節に聴こえるんですね。わかりにくかったら、歌手の真似をやるものまね芸人のことを考えてみてください。

この一曲を除き、今回発売されたもののなかに演歌にかするものすらまったくありません。オリジナルの表題曲「右手と左手のブルース」はもちろん、カップリングのカヴァー曲「虹をわたって」(天地真理)「年下の男の子」(キャンディーズ)「元気を出して」(薬師丸ひろ子)「ルージュの伝言」(荒井由美)いずれもポップな歌謡曲ですよね。いままでの美咲の新曲発表で、全体がここまで明確な歌謡曲サイドに寄ることはなかったんじゃないですか。

ふりかえってみれば、昨年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」も歌謡曲でしたし、カヴァー曲でもいままで美咲の超絶名唱と言われるものは、たとえば「20歳のめぐり逢い」(シグナル)「糸」(中島みゆき)みたいなものであって、やはりポップスなんですよね。演歌レパートリーのなかにもみごとなものがありましたが、そろそろ美咲や運営サイドとしてもこの歌手が本領を発揮できるフィールドをじっくり見つめてみたということでしょうか。

ともあれ「右手と左手のブルース」。この曲も完璧なるポップ歌謡曲で、しかもリズムというかビートに跳ねる(ちょっとラテンな)フィーリングが感じられるのがたいへんに好ましいですよね。ちょっとグルグルと一カ所で回転しているような感触もあって、過去のわさみん楽曲ではたとえば「20歳のめぐり逢い」で聴けるのと似たようなリズム感覚じゃないでしょうか。

以前ぼくはわさみんヴァージョンの「20歳のめぐり逢い」のリズムを "シェイク" と呼んだことがあります。そう、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」なんかと相通ずるあのノリですよね。跳ねながら一ヶ所で回転して前には進まないあのリズム・フィール、ぼくは大好きなんですね。跳ねながら回転しゆさぶっているような、そんな感じではないでしょうかね。

そういうのはラテンっぽいリズム感覚だなと思っていますが、アバネーラ・タイプ(は日本の歌謡曲に実に多い、多すぎるくらい)とあわせいままでの美咲の楽曲のなかにも複数ありました。テレサ・テンのレパートリーを歌ったものなんかはアバネーラ・リズムでしたし、シェイクはなんといっても「20歳のめぐり逢い」、そして前作「恋の終わり三軒茶屋」もちょっとそれに近いものがありました。

「右手と左手のブルース」のばあいは、スネアがはっきりバンバンと一曲通して叩かれていて、それがしゃくるような鮮明なシェイク・ビートを表現していますが、ラテンっぽいぐるぐると一ヶ所で回転するリズム感覚を出しているのは、この曲がどんな内容なのかを考えるとなかなか興味深いところです。前に向いて進まない、悩み深い不倫の歌ですから、前進しないとどまる回転ビートを持っているのはなんだか示唆深いなと思うんです。

こんなリズムを持った曲のため、美咲が歌う不倫愛のつらい内容がいっそう身に染みて実感できるような気がしますが、背後の伴奏リズムやサウンドはけっこう細かく刻まれている上で、美咲の歌うメロディ・ラインは大きくゆったりと動くのもおもしろいところです。メロディを形成する旋律は哀愁のラテン歌謡ともいうような独特のあの音階ですが(作曲は井上トモノリ)、細かいビートと大きなメロディとの二種混交は音楽をおいしくする不変法則ですからね。

サビ部分での美咲多重録音によるハモリがもたらすふくらみもいい感じですし、間奏のナイロン弦ギターのソロにくればこの曲の持つラテンな哀愁性がいっそうきわだっています。右手でわたし左手で家庭を、というこの切なさきわまる不倫悲恋歌のフィーリングがよく伝わります。それにそもそもこの曲のメロディはとても魅惑的ですよね。名作じゃないでしょうか、井上さん。

美咲のヴォーカル表現は、といえば、この「右手と左手のブルース」では曲の内容をふまえてのことか、かわいらしさやキュートさ、派手さをぐっとおさえ、大人の切ないつらい心情を深くたたえたような落ち着いた発声に終始しているのが目立ちます。高音部でキンと立つこともなく、っていうかそもそも曲じたい全体的に高い音の少ない低音メロディですが、たなびくようにうごめく感情をうまく表現できている抑制の効いたヴォーカルだなと聴きました。

「ふたりの海物語」以外のカップリング曲は、しっとり系で静かなフィーリングの「元気を出して」(この曲では伴奏楽器が必要最小限)を除き、ほかは恋愛成就中とでもいうような楽しいラヴ・ソングですよね。「虹をわたって」「年下の男の子」はぼくも美咲歌唱イベント現場で聴いてきました。快活なリズムに乗ってキャピキャピ乗るっていう、そんな感じになっていますし、美咲の声にも楽しげなキュートさが聴きとれます。また、秋葉系アイドル・ソングっぽいズン、タタン、ズン、タタンのビートを持つ「ルージュの伝言」のこのビートのルーツは、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(1963)なんです。

(written 2020.4.29)

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