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恥ずかしい意見書

6月定例会最終日

様々な議案の採決が行われました。
我が会派のみが反対した議案がいくつかありましたが、中でも採択された二つの意見書については本当に幼稚で小平市議会の一員として恥ずかしい限りです。
なぜなら、我々が反対しようが、採択されれば我々も含めた「小平市議会」から出される意見書となるからです。

意味のない意見書 第一弾

一つは「パレスチナ自治区ガザ地区における即時停戦と人道支援のためのさらなる外交努力を国に求める決議」
求めているのは「イスラエルとハマスをはじめとする全ての当事者及び国際社会が、人道目的の即時停戦、国際人道法を含む国際法の遵守、人道支援物資の供給による人道上の危機的状況を実現するよう、国会及び関係行政庁にさらなる外交的努力を尽くすこと」

一見、良いことのように思えるでしょう。
しかし、外務省は今年2月の時点で「ガザ地区における人道状況の悪化を受けた緊急無償資金協力」と題した報道発表を行っていて、その内容は

「2月27日、日本政府は、パレスチナ・ガザ地区での戦闘が長引く中で、現地の人道状況が看過し得ない状況にあることを踏まえ、新たに3,200万ドルの緊急無償資金協力を実施することを決定しました。
1.今回の協力では、国連世界食糧計画(WFP)、世界保健機関(WHO)、国連児童基金(UNICEF)等を通じ、食料、保健等の分野で人道支援を実施します。
2.日本政府として、引き続き、全ての当事者に対し、ガザ地区における人道状況の改善や事態の早期沈静化等に向けた外交努力を粘り強く積極的に続けていきます。

というものです。
今回の意見書で求めていることを外務省は既に「やる」と言っているのです。

意味のない意見書 第二弾

もう一つは「有害性が認められている一部有機フッ素化合物(PFAS)汚染から小平市民の健康を守るために、早急な対策を求める意見書」
こちらで求めているのは
「1.国内外の最新の科学的知見を集め、PFOS等に関して健康に影響が出ることが考えられる血中濃度を早急に決定し、国民に対する情報発信に努めること。
2.現時点で必要と考えられる健康調査を実施し、データを蓄積すること。」

しかし、6月25日に内閣府の食品安全委員会において、PFOSやPFOAの健康影響を評価して、食品や飲料水からの1日当たりの接種許容値(専門用語では耐容一日摂取量【TDI、Tolerable Daily Intake】)と共に、詳細な食品健康影響評価の結果である、いわゆる評価書が取りまとめられ、翌26日には食品安全委員会のホームページでその評価書等の資料とともに公表もされています。

政府からすれば「やってますけど」と言うしかない内容の意見書ということになります。

小平市議会が凄いのは、こういう意見書に国政与党の自民党系会派や公明党が賛成してしまうところです。

本当に市民の健康を守ることが目的なのか

前述の評価書の242頁には『血中濃度検査では、その時にPFASが血液中にどれくらいあるか、ということしかわかりません。ヒトがPFASを食事や水などから摂取した後、さまざまな臓器への分布、代謝や排出などを経て、血液中にもPFASが一定量ある、という状態です。つまり、血中濃度は摂取した量や時期、代謝の個人差などの様々な要素を反映したものであり、健康影響そのものではありません。PFASの健康影響を検討するには、PFASの摂取量と、血中濃度、健康調査、という3点セットが必要です。われわれは血中濃度を軽視しているわけではなく、評価書でも海外の論文に記載された血中濃度を記載しています。ところが残念なことに、国内では健康影響と血中濃度の両方を調べた研究は、北海道スタディを除いてほとんどないのです。今回の評価書では北海道スタディの結果はすべて詳細に紹介しました。』

『長期のフォローアップも重要です。とくにがんは、今日摂取して明日発症する、というものではなく、10年後、20年後に影響が見えてくるものだからです。しっかりとした調査計画をたて、目的や対象者、実施方法、長期的なフォローアップ体制まで検討したうえで、血中濃度を測ることが、適切な対策につながると考えています。』

という姫野座長の意見が記載されています。

この意見書の内容は市民の健康を守るためよりも、「とにかく血中濃度の基準値を決める」ということに拘っていて、むしろ、誤った対策を誘発することも懸念されます。

行きがかり上、意見書の提出者代表議員になってしまった深谷幸信議員は我が会派の安竹洋平議員の質疑によく答弁していたと思いますが、最終的には「請願者の思いを・・・」などと口走る始末。
市民の健康、つまり医療を科学ではなく、「思い」でどうこうされては困ります。

「意見書を出すことを求める」という謎の請願

この意見書の基となったのは「有害性が認められている一部有機フッ素化合物(PFAS)汚染から小平市民の健康を守るために、早急な対策を求める意見書の提出について」という市民からの請願です。

つまり、市議会に対し、「国や都に対し、意見書を出せ」という請願でした。
請願を提出するには紹介議員が必要なのですが、ならば、紹介議員が最初から意見書を提出すれば良い話です。
なぜ、そんな回りくどいことをするのか。

「市民には請願権がある」

もちろん、日本国憲法で保障される基本的人権の一つであることは知っています。
市民の健康を守ることよりも権利行使を目的としているように見えてしまうので。
残念ながら、権利を行使するために市民の健康を阻害してしまう可能性すらあります。

紹介議員の意味

万が一にも請願を出すこと自体が目的、もしくは、「自分たちの請願で市議会に意見書を出させた」という実績づくりが目的なのであれば、たまったものではありません。
議員が議論する時間、そして理事者を拘束する時間は全て、市民の税金によって賄われていると言えます。
「市民が、市民が」と言うのが好きな議員は多いのですが、請願を提出した市民以外の大勢の市民のことには考えが及ばないのでしょうか。

市民が請願提出うに「紹介議員」を必要としているのはなぜか。
請願を出すことに一定のハードルを設けているのには意味がある筈です。

「権利だから」・・・が社会を良くしてきたか

今、行われている東京都知事選挙。
公営掲示板に貼られた「常軌を逸している」と思えるポスターが物議を醸しています。
しかし、あれも「権利だから」ってことなのです。

認められている権利だから行使する。
権利なんだから使わなきゃ損。

そういう考えが社会を良くしてきたでしょうか。
政治家は権利を大声で主張する人に寄り添うだけではなく、それ以外の大勢の人の利益まで考え、必要とあらば有権者を諫めることだってしなくてはならないと考えます。

市民の意見を行政に伝えることだけが議員の仕事だとしたら、今の報酬は高過ぎます。

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