座敷わらしの正体

 座敷わらしという妖怪がいます。皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。幸運をもたらすとされ、おどろおどろしい妖怪の中にあって、その特異性から一際有名な存在と言えるでしょう。自分は水木しげる先生の作品や、漫画「地獄先生ぬ~べ~」で詳しく知りました。曰く、

・座敷わらしは家に住む妖怪である
・座敷わらしは子供の姿をしている
・誰もいないはずの部屋から子供の声や物音が聞こえ、その正体は座敷わらしである
・座敷わらしのいる家は栄える
・座敷わらしの去った家は落ちぶれる

などの伝承があります。

 この座敷わらしのルーツは東北にあるようで、とりわけ岩手県の遠野に多く伝承が残っています。以前旅行で遠野の民俗村に立ち寄った際、スタッフの方が座敷わらしについて詳しく聞かせてくださいました。
 なんでも、座敷わらしの正体は障害児だったそうです。

 家の恥になるのでとても表には出せない、さりとて殺すのは忍びない。だから家の中で飼い殺しにする。家族とは認めずにいないものとして扱い、いわゆる「開かずの間」などに閉じ込めておく。「誰もいないはずの部屋から子供の声や物音が聞こえた」などの伝承はここから来ています。この子供がそのまま老人になると、「座敷じっこ(爺さん)」「座敷ばっこ(婆さん)」などという、また別の妖怪として語られるとのこと。
 古い民家を取り壊したところ、誰のものともわからない骨がたくさん出てきた、なんてこともあったそうで、このように人知れず生涯を終えた人は、決して少なくなかったのでしょう。

 現代の価値観からするととんでもない話です。ところが、彼らはまだマシな方でした。「間引き」が当たり前だった時代には、食べる物がなくなれば、健常な子供でさえ口減らしのために殺されていました。川に連れて行き無理やり溺れさせ、河童に襲われたことにして処理したと言います。
 余談ですが、これが「河童」という妖怪のルーツだそうで、座敷わらしと並んで東北、遠野とゆかりの深い妖怪です。

 そんな貧しい世の中ですから、障害を持った子供などは真っ先に間引きの対象です。にもかかわらず、間引かずに生かしておける環境があったとすれば、すなわちそれだけ裕福な家、ということになります。「座敷わらしのいる家は栄える」とは、座敷わらしが存在することで家が裕福になるのではなく、裕福な家に座敷わらしが存在していたことから生まれた伝承です。
 では逆に、座敷わらしが去るのはどんなときか。それは座敷わらしを養いきれなくなり、間引いてしまったということ。生活の余裕がなくなったということ。「座敷わらしが去った家は落ちぶれる」という伝承は、つまりそういうことです。
 座敷わらしとは、裕福な家でのみ生息が可能な妖怪だったのです。


 私はこのお話を伺ったとき、非常に重大なテーマを問われているように感じました。障害を持った人が生きていける環境こそが豊かさの表れであり、「幸福の象徴」である、とは。きっとこのような悲劇は、決して遠い昔の話ではなく、つい最近まで起こっていたのでしょう。


 中学のころ、私のクラスの副担任を務められた先生は、産まれてすぐに殺されそうになったそうです。先生の家では遺伝的な問題か、産後間もなく亡くなってしまう赤子が多く、先生もどうせ助からないだろうから世間体も悪いのでこのまま殺してしまえ、と。
 結局、その場に居合わせた従姉妹の必死の説得により、病院に連れて行かれた先生は一命を取り留めました。もしその従姉妹さんがいなかったら、私は先生と出会うことはなかったでしょう。


 またあるとき、酒の入った団塊世代の親戚が、こんな風に漏らしたことがありました。

「昔は障害者なんてそんなにいなかった。それが今では街中に障害者が溢れている。一体世の中どうなってしまったんだ。」

 昔だって障害を持った方は当然いたはずです。でも、彼らは表には出られなかった。あるいは、誰にも知られることもなく亡くなっていたのではないでしょうか。彼らが普通に街中を歩けるようになったというのなら、この数十年の間に、日本は座敷わらしの住む裕福な国になったのでしょう。

 思えば、小さい頃から体が弱く、大きな病気もやった私が今こうしてのうのうと生きていられるのも、裕福な世の中に産まれたという幸運の賜物に違いありません。ほんのつい最近まで、子供が死ぬのは珍しいことではなかったと聞きます。時代が時代なら、私はきっと早死していたことでしょう。自分もまた座敷わらしでした。

 誰もが健全に生きていける世の中は、決して当たり前ではなく、とても幸せなことと言えます。今を生きる自分たちは、人知れず犠牲になったであろう人たちのことを忘れてはならない。今日まで生きてこられた幸運を忘てはならない。そして、この幸福な世の中を更に幸福にして、犠牲になってしまう人を更に少なくして、かついつまでも続くよう努めなければならないのだと。あの遠野の風景、座敷わらしのことを思い出すたび、戒めています。


 ただ、気をつけないといけません。どうも最近世の中の様子を見ていると、もしかしたら近い将来、街から座敷わらしがいなくなってしまう、なんてことが起こり得る気がしています。もし本当にそんなことになったら、いよいよ危ないでしょう。座敷わらしが去った家は落ちぶれてしまうのですから。

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