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安さは正義なのか?400ドルの灰皿の話

古いアメリカのドラマで、潜水艦の士官室にある灰皿が400ドルもするという話がある。たばこと吸う人が減り、写真のようなガラスの灰皿をお客様先で見かける機会がすっかりなくなった21世紀もはや20年以上、灰皿の値段を知らない人も多いだろうが、400ドルといういうのは妥当なのだろうか?

灰皿の値段

古いアメリカのドラマ「ザ・ホワイトハウス」はアメリカの NBC で 1999年〜2006年にかけて放映された大統領とその側近たちのドラマだ。クリントン政権のアドバイザーがスタッフに加わっていたりと、フィクションでありながら本格的な作りに、各国の政治家の人気を集めた。ヒラリー・クリントン氏が国務長官時代にミャンマーの下院議長が民主的な議会を理解するためにが見ていたという逸話を披露している映像が YouTube に残っている。

軍隊が巨大な費用を使っているのはドラマも現実も同じ。ドラマの中では、原子力潜水艦の中で使う400ドルの灰皿がやり玉に挙がる。
ホワイトハウスのアシスタントは「無駄遣い」だといい、いらついた少佐は、目の前で灰皿をレンチでたたき割って見せる。「(有事の際に割れたガラスの破片が眼に入るとか困るから)3つのとがってない破片に割れるように作られているんだ」という話をする。

インターネットで検索してみると、見た目が同じような灰皿は 1,000円で見つけられる。400ドルは日本円でおよそ4万8千円であり (1ドル120円として)法外な値段にも思える。しかしながら、何かにぶつかったり、攻撃を受けたときに灰皿が割れた拍子に破片が眼に入ったりしないように設計され、製造されていると言う理由を聞くと、多少は納得する。(もちろんフィクションであり、深海で火事にでもなったらまずいので、実際にはタバコは厳禁ではないかと想像する)

妥当な値段

1,500円のコーヒー

ものには妥当な値段というものが存在する。そして、値段の受け取り方も様々だ。例えば、1 杯 1,500 円のコーヒーは妥当なのだろうか?

ちょっとお客さん先に行く合間の休憩で飲むコーヒーは、200から300円くらいかもしれない。例えば、スターバックスさんのカフェラテは500円くらい。その昔、値段もみずに「うっかり」入ってしまった銀座の喫茶店のコーヒーは1杯1,500円。

https://product.starbucks.co.jp/beverage/espresso/4524785000254/?category=beverage%2Fespresso

普段200円から300円をあたりまえと思っている人には、コーヒー1杯に1,500円も出すのは理解ができないだろう。しかし、1杯1,500円にはそれなりの理由があるはずだ。お店の雰囲気かもしれないし、吟味された材料かもしれないし、もっというとお店の立地でそれ以下の値段では出せないのかもしれない。

いずれにしても自分が納得しないのであれば、わざわざ1,000円とか1,500円とか出してコーヒーは飲まないはずだ。あなたは、1,500円の店に行って「あっちの店は300円だったから300円で出せ」と言うだろうか?

300円にしろという話

場合によっては出されるコーヒーに1,500円もの価値はなく、妥当な値段は300円かもしれない。もし、出されたものが値段に見合わないのであれば、クレームをあげても良いと思う。そのとき、あなたは値段の背景を想像していると思う。それなりの根拠をもってクレームを挙げるはずだ。

不思議なことに、コーヒーのように身近でないものについては、あまり考えずに「安くしろ」と言っている人を割と観測する。

「世間がこう言っている(気がする)からこうしよう」とか、「内容はともかく安いから使おう」とかそんなことが多いのではないか?はたまた、「あっちの店はこの値段だからまけて欲しい」と深く考えもせずに言っているの同じことをしてはいまいか?そして、安いものを手にしたとき、必要だったものも捨ててはいないか?

「安さは正義」なのか?

日本が技術大国を自負していたのは過去の話、専門家や品質の良いものが買いたたかれる。「安さは正義」は一見正しそうにも思えるが、安いと言うことは儲けるのが難しいと言うこと。儲からなければ、給料も上げられない。そうやって皆貧乏になり、高いモノに手が出なくなる。売れないから生産者や製造元がコストのかかるものを作るのを止め、そっとモノのサイズが小さくなり、そっと品質が落ちる。気がつくと、お金を出しても本当に質の良い物が手に入らなくなっている。そんな世の中は果たして幸せなのだろうか?

しがない市井の人間としては、物価ばかり上がって給料が上がらないのはたまったものではないとおもう。でも、良いものが手に入れるようにしておきたいと思うから、手の届く範囲で自分が良いと思えるものを買い続けるのがささやかな抵抗である。

気に入ったモノやコトがなくなる悲しみ

私にも非がある。

自粛ばかりのこの2年間、すっかりお気に入りのレストランには出向かなくなったし、本を買うのもオンラインだ。久し振りにプレゼントを買おうと入った百貨店は、ごぶさたしている間にすっかり近所の量販店みたいな雰囲気になってしまっていて元気がない。そもそもお客さんがいない。

時代が変わったと言えばそうなのかもしれないが、自分の居心地のいい場所がなくなること、ふとしたときに新しいモノやコトに出会う体験がなくなるのは悲しくも思う。

もしあなたが同じ気持ちを共有していて、気に入ったコトやモノには多少の時間とお金をさけるなら、そうしてみませんか?

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