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「聖地」

ずっと何者かになりたかった。という表現さえ、なんだか借り物みたいにおもうけど、そんなことに腹の底でひっそり気づけることが、にんげん年を重ねることのありがたさかなあと思う。

わたしの場合は「えほんさっか」。絵を描かないのに、なんで絵本だったのかは、聞かれればいくらでも説明できるようで、なんだかもうあんまり、言葉を重ねてもしょうがないような気もする。

「えほんさっか」というか「絵本作家になりたいわたし」にこだわっていた。わたしというのが曖昧過ぎて、いや、それもかっこつけた言い方かな、単に自信がなさすぎて「絵本作家」なり、そこにむかって努力をしているという条件が必要。という設定にしてしまった、過去のいつの日かに。

それは確かにわたしにさまざまな経験をさせてくれ、これからもそうなんだと思うけれど、この夏を超えようとする今、またひとつ季節が変わろうとしています。

ヨガ、子育て、創作、結婚(パートナーシップ)、畑などなど様々なことや時間が、わたしの「内観」を助けてくれ(時には過去さえを変えてみせてくれたりし)たけど、ふと思うのは、この町で暮らすこと自体が、やめるもやめないもない、ただ淡々と続く「実践」としてあった。放っておけば内観ばかりに没頭させるエゴをおさえ、外向きの、いや内でも外でもない「生活」は偉大だ。母として苦しいときも、妻として苦しいときも、仕事で苦しいときも、生活はつづく。丁寧な暮らしをにおわす”生活”ではない。それも内包しつつ丁寧になれない日もある生活の、実践。わたしがわたしに繋がる、純粋にそこにむかうためだけの実践を、ヨガではタパスというと学んだ。

住人であり、子を育てようという親であり、自営業者(とはやや違うけど)否「この町の絵本作家」的位置づけを自分で意識したのだろう。少女時代の「絵本作家ないしはそれを夢見る」設定からマイナーチェンジだ! と、設定はどうあれ、この町を歩き、買い物をして、生活という実践を続けて、友情も思い出も縁も育んでこられた。子どももスクスク育ってる。だからこそ、そんなどうでもいい設定なんて、だれも見てないことにやっといきつく、一息つく。いや、もし見ている人がいたとして、それもどうもありがとう。ただとにかく、わたしにはもう、そう、言葉を重ねてもしょうがない。

今、絶賛開催中のワーペンウエフトというイベント。それこそこの町のいくつかのお店が会場となり連動企画をしている。わたしも毎夏たのしみにしていた布にまつわる展示と食。今年ははじめてそれのほんの一部に関わらせてもらい、主なテーマにインドとし、先日さいしょの催しにシタールで弾き語るミナクマリライブをひらいた。

そもそもインドに行ったことがないのに、インドのイベントの提案者? とあたまの声は言いたがる。でもわたしのなかにはインドもしくはそこにつながる縁が有形無形に育っていて、それをアイデアとして出して喜んでいただけた。その垣根のなさ。

お客さまを集めるために興味を持ってくれそうな知人友人に声をかけながら、どんどんとまた垣根がとれていく。反応は様々でもぜんぶ縁でタイミングなこと、すっかりわかってる。タパスがうまく行っているときはよけいな音量は小さくなる、こだわりはとける。わたしにはこんなに友達がいたのか~とただありがたい。

それがわたしのインド。この町で暮らすという実践がみせてくれた心のインド。ヨガの源流。あぁ。わたしはヨガを実践している。いや、肉も食べます、いや、あんなポーズができるわけじゃないですなど、言い訳したくなるのはいつもあたまの声。わたしとヨガ、わたしと絵本、わたしと作家、わたしと母親業、わたしと夫、わたしとこの町、すべてがなんだわたしには愛おしいそれでしかない。大切なヨガ、大切な絵本、大切な人たち、この町。

ヨガにも絵本や作家業にも母親としても、先生と呼びたい師や憧れの存在は何人も在る。だいすきな世界の存在だからこそ、ついあがめてしまったり、ちゃんと関係を結べなかったり、それでしてしまう失敗もたくさんあった。くり返しをのぞまないパターンを、そういった存在が、やっと自認させてくれた。未熟さがあって、わからなさがあって、こだわりがあって、でもだからこそまた気づくことがある。それに失望するのではなくて、感謝したいし、彩り、うつろいに出逢えることを歓びたいと今は思える。

安心していい。わたしはあらゆる設定に、こだわらなくていい。きっと何かに限定し、遠慮してみせることで、非難されることだったり自信のない部分を追窮されることを、避けていた。こわかったんだよね、でももう大丈夫。

わたしは大きな声で、小さな声で、胸の奥の聖地に「お~い」って手をふっている。
わたしだけの物語をずっと紡いでいく。

わたしの創作活動をサポートしてくださる方がありましたらぜひよろしくおねがいいたします。励みとし、精進します。