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アトリエのこと

ああおもいだした こどものころ
いつもどれだけ きんちょうしていたか
やわなはだのどのあたりが はりつめ いきをしていたか

そうしてこちらも おもいだす
いつもどれほどの あんしんを
からだのおくで しっていたかを
**

じぶんがじぶんになるまえに
あたたかなへやではぐくまれた
そうしてうまれてきたことを
きおくはちゃんといだいてて
そこでは泣いたことなどなくて

そんなわたしをまもるため
あなたが世界にふれる外側を
きんちょうさせてがんばっていたから
わたしはそんな愛のきおくを
いっぱいおぼえていたかった

**
どちらも 愛のきおく
いのちのそだった いとしい きおく


(👆音声でも聴けます。)



赤ちゃんは、超自然な存在。

そんな存在と濃密に過ごす時間はふと気がつくと、本来であるはずの自然さのほうがまるで異質のように際立って、自分が赤子ともども世間になじめないときがあります。そういうときの肌感覚というのは独特でとうてい心地いいものではなく、それを赤ちゃんは感じ取るのだろうとおもいます。世間のなにというよりも、母親の感覚を。


そんなようなことを思い出すように考えたのは、「アトリエグループフルーツ」設立メンバー三人展を見てきた帰り道でした。

現代表の井坂奈津子さんの作品は独特の緊張感と、澄んだ大らかさ。そして「純白」を連想させる質感はどこか生々しく心惹かれます。あの”空洞”はいつもどこに通じているのだろう…のぞきたくなるような、こわいような、否応なしに吸い込まれるようなふしぎさと少しの奇妙さも魅力です。


さいきん立ち止まってしまう「繊細」という言葉。世間に置いたとたん「厄介」寄りに分類されてしまうようだけれど、細糸で編まれた織物の強さやしなやかさを、わたしたちは実感として知っています。それはそのままその通りで、世界に対して自分をまげない(まげられない)誠実さは純度高く研ぎ澄まされていて、その内側の奥の方には、ほがらかにゆるんだ楽園が、ちいさくひろくいのちを包んでいるイメージがわきます。

それは赤ちゃんの握りしめた手のひら。井坂さんの作品が抱く空洞や白さ。アトリエ創立者吉田迪子さんの作品には全体に散りばめられていました。

そんな女性ふたりのことや、芸術のことをいつも静かに教えてくださる前代表の小島先生は、わたしの娘がこちらのアトリエ見学に行った初日お迎えくださったかた。語り部のような口調が心地よくわたしはいつまでもお話を聴いていたかったし、娘は安心して絵を描いた。小島先生の作品は墨のようなあわい濃淡のモノクロで静かでどこか激しくてかっこいい。


さて、わたしの絵本デビュー作『キャベツのくすくす』のことになるけれど、編集のかたとの長い制作期間ははじめてだったからこそ余計に苦しくて、当時こころの支えになったつかの間のお喋りを交わしたのが、グラスアート作家で詩人の市川洋子さん。以前、国際子ども図書館でアルバイトをしていたときにほんの短期間一緒に働いたことがあって、あれは数年ぶりの再会だった。もうすぐ念願の絵本ができそう!だけど先が見通せず辛い…というとき。

彼女はステンドグラスの作家として受注作品なども手掛けながら介護施設でのお仕事もされていて、そのふたつの仕事は「命の根っこのこととして」繋がってると話してくれた(その後、育児を始めることとなったわたしには、ずっと道標みたいな話です)。
で、当時の現在進行形の悩みをひととおり聞いてもらった後、そもそもの着想を得たときのエピソードや根幹の想いを話すと、それが、ある有名な書物と同じテーマだと教えてくれた。それは、フランクルの『夜と霧』、ナチスの強制収容所での体験が綴られた本。

わたしはそのあと新版および旧版いずれも読んだけれど、洋子さんが聞かせてくれたその本のおはなしだけでも衝撃で深く感動して、同時に、それをわたしの作品がそこへ通じていると言ってくださったことが、本当に、本当に…まさに一筋の光で、そうだ、そうなんだ!と、信じるものをまたひとつ身の内に思い出したようなふるえがありました。

長いトンネル、夜の闇、制作の悩み。それは、天気のいい真昼間カーテンをひいた部屋で赤ちゃんとふたりきりですごしたときの途方にくれるような時にも似て、守るべきものを抱くわたしははりつめているのだけれど、こんなにも柔らかいものが腕の中にある、そのにおいとぬくもりに、どっちが抱かれているのかわからなくなるような、ぼんやりとした安らぎと光。このなんともいえない身体に残る記憶……。育児もそうだったように、例えばひとつの悩み事も同じ。その悩みが自分を苦しめもすると同時に暖めもしていた。自分の厚みを増すというのはそういうことだったのだろうなと思います。


娘がアトリエに行きたいと言い出して、近所にある二か所、タイプの違うところへ見学に行った、そのひとつがアトリエグループフルーツでした。わたしは井坂さんとはすでに知り合っていて、彼女の作品はもちろん、アトリエグループフルーツの展覧会にも行って感銘を受けていたこともあり、内心ではこちらを推してはいたけれど、娘がどちらを選ぶかどうかはほんとうにまったくよめなかったし、どちらでもアリだなと思っていた。

でも最終的に「グループフルーツに行く、一人で行く」と決めた彼女。体験レッスンに同席させてもらって感じたアトリエの空気が懐かしかった。くだけたように見せたときのものではなく、ひとりひとりの自然さのあたりまえの緊張感のようなものが、わたしには心地が良くて、社会の空気のなかにそれがいかに希薄なのかを改めて思ったし、またそれを娘が好んだことが嬉しかった。

いのちのばしょ。
いのちがいのちとしてはぐくまれるばしょ。森と同じだ。自然は時に荒ぶる。こちらの都合はおかまいなしに。あかちゃんもおなじ。いのちは本来そうでしょう、そしていのちは笑ってる。とってもとってもほがらかに、大きな笑い声をたてないで、心地のいい自分の森を、笑いが払い清めるように。安心して湧いている。くすくす、くすくすと。

繊細さはきっとすぎることのない幸福を感じられること、守れる感性のこと。弱さとか勇気とかでもない、淡々としたいのちの流れ。触れると、強さと感じると思う。

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