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田代まさしインタビュー 週刊大衆掲載

※2017年に日本ダルクで勤務していた田代まさし氏にインタビューしたもの。まさかの逮捕に、ちょっと何といっていいかわからない。

 近年では歌手のASKAや元野球選手の清原和博、今年も10月にものまねタレント・清水アキラの息子で俳優の清水良太郎が覚せい剤使用で捕まった。薬物の使用は、仕事を失うばかりか、CM契約などでは賠償責任も生じる。薬物の使用はとてもリスクが高いにも関わらず、逮捕される芸能人が絶えない。
 歌手であり、お笑いタレントとしても一世を風靡した田代まさし氏が覚せい剤の使用で逮捕されたのは2001年のこと。2004年に2度目の逮捕、その後も復帰しかけるたびに薬物所持で逮捕された。
 現在、田代氏は薬物依存症の支援施設『日本ダルク』のスタッフとして、薬物依存症者の回復を手助けしている。

 田代氏が薬物にはまったのは、人気が絶好調だった時。
「毎日、面白いネタを何本も思いつくのは無理だと思っていたんですよ」
 田代氏といえば、志村けんのバカ殿シリーズにレギュラー出演、子どもから大人までみんなに愛されるキャラクターだった。しかし毎日4本5本と増えていく現場で、すべて別の笑いを生み出さなくてはいけない。当時の田代氏はいつもちょっとした小道具を忍ばせていて、そこからダジャレを連発する芸風だったが、その小道具代だけで月に20万円を超えていたという。
 そんな時、テレビ局のスタッフから覚せい剤を渡される。
「最初はタダでいいよというんですよ。お試し期間ということで、とか言って。2回目からそいつのところへ買いに行っちゃう」
 覚せい剤を使うと、面白いようにネタがどんどん湧いて出たのだそうだ。
「機関銃のようにどんどん出てくるから。悩んでいた自分がバカみたいに思える。俺は天才だなあと思うから。でも大抵は自分しか面白くないんだよね。♪飲み過ぎたのは~あなたの精子~とかね」
 薬が効いている間、食べないし寝ない。薬が切れると疲労で起き上がることもできない。だからまた薬を打つ。その繰り返しで体はボロボロになっていく。
「嫁さんにバレるのがイヤだから、部屋から出ない。目にクマはできてるし、ひどい状態だから顔も合わせられない。トイレに行ったら顔合わせるかもしれないからトイレも行けない。部屋の中でペットボトルにションベンしてましたよ」

 逮捕をきっかけに仕事も家庭も失った田代氏。
「あんなに楽しかった家族が去ってしまった。あの時の俺は(薬だけのために俺から去っていくんだ)と思いましたよ。嫁さんとは高校生の時から付き合っていたんだよ? 今思えば、子供の進学のこととか親や親戚のこととかいろいろあったんだと思うよ。義母さんからも手紙をもらいましたよ。『旅行に連れて行ってもらったり、良くしてもらったけれど、今回のことで洗濯物も外に干せなくなりました』」
 何がそこまでして薬にこだわらせてしまうのか? それは凄まじい中毒性があるからだ。
「一回でも多すぎて、千回でも足りないというのが覚せい剤なんです」
 覚せい剤の摂取には、主に薬物を炙って煙を吸う方法と注射を使う方法がある。注射の方が危険な気がするが、炙る方が危ないのだという。
「注射なんてヤクザのするもんだと思っていたんですが、炙りの方が量を使うんですよ。煙を吸うわけだから。効きも軽いから、どんどんやらないといけない」
 体も耐性がつきやすく、経済的な負担が大きくなるのも早い。
「注射大嫌いだったんですよ。注射打ちたくなくて、病院に行かなかったぐらいですから」
 しかし一度、注射で摂取する方法を覚えるとそちらにハマってしまう。使い捨ての注射針を何回も使うためにアルミホイルで先端を研ぐとか妙な知恵ばかりつく。
「元野球選手が捕まった時に、テーブルの上にストローがあるのがテレビに映ったんですが、普通の人はストローだから炙っていたんだろうと思うわけです。違うんですよ。ストローを斜めに切って、粉に入れるとちょうど注射一回分なんです」
 注射を打つと跡が残る。さらに続けると体が拒否するようになる。
「血管が逃げるんですよ。注射がイヤだって、血管がするっと消える。体が反応して拒否するんですよ」
 どうするかというと首に打つ。脳に近いため、瞬時に効く。
「ヤクザの親分で、こめかみに打つという人がいましたよ」
 薬を通じて、中毒者同士で情報交換ができたりもする。
「マーシーはポッカレモンで覚せい剤を溶いたことある? 打った瞬間に口の中にレモンの香りがしてすごいんだ、とかね」
 刑事ドラマなどで、薬が切れた中毒患者が禁断症状で幻覚を見るという描写があるが、あれは間違いなのだそうだ。
「薬が効いている時に、誰かに追われているという幻覚を見たり、誰かに見張られていると思ったりする」
 催淫効果もあるため、抑えられていた性欲が表に出ることもある。
「でも起たないからね。起たないのにずっといじっている。みんなそうだよ」 

 どん底まで落ちた田代氏を救ったのが、日本ダルクだった。
「僕は薬物依存症が病気だと日本ダルクで学んだんです。それで肩の荷が下りたというか。自分は意志が弱くてダメな奴だと思っていたんだけど、近藤さんに『それは病気なんだよ』と言われて、あ、病気だったんだと。病気だとわかったら、治そうとしないのはお前の問題だろうと。でもそのことを外で言ってもわかってもらえない」
 田代氏が僧侶に呼ばれて講演を行った時、言われたそうだ。
「田代さんはさっきから病気だ病気だとおっしゃっていますけど、病気というのは自分がかかりたくなくてもかかってしまうものであると。あなたたちは自分から病気にかかりに行ってますよねと」
 一瞬、言葉に詰まったが、田代氏は言ったそうである。こんなにやめられない病気だとはわかっていなかったですから。
「最初はやめられない病気になるとは思っていない。自分はいつだって辞められると思っているんですよね。俺は必ずやめてみせる、と思っている」
 薬物依存症は“否認の病”と言われている。自分だけは違う、自分の立場は他人と違うと主張する。
「“ジャストフォートゥデイ=今日一日だけ”というんですが、1日だけやめてみよう、自分の思い通りにならない今日1日だけを受け入れようと」
 長いスパンでやめようとするとプレッシャーがすごい。仕事もなく、社会からはじき出されている状態ならなおさらだ。1日だけなら我慢できる、
「薬物依存は治らないんですよ。自分は無力だと降参することしかない」
 正直になること。やめられないと他人に言えるようになることが治療への第一歩だ。
「俺らのような立場の人間が、記者会見で、やめられるかどうか自信ないんですけどって、そんなこと言ったら大変なことになるじゃないですか」
 だから、やめられるとウソをつかなくてはならない。実際にはそれほど簡単にやめられるものではないのだ。
「仲間の前では言えるんですよ。社会に対しても言えるようになると回復していくんです」

「芸能人が深々と頭下げているけど、あれ、誰に謝っているのか、わからないよね」
 日本ダルクの理事長・近藤氏は自分自身も薬物中毒で苦しんだ経験を持ち、同じように苦しむ人たちがどのように薬物依存で向き合っていくのか、三十数年にわたって問い続けてきた。
「三十数年間、この仕事をやってきて、ようやく腑に落ちたことがあります。それは薬物依存が薬物の問題ではないということです」
 一般的な理解は、覚せい剤のような中毒性の高い薬物に手を出す人は非常に特別であり、犯罪者であり、近づくと自分たちも薬物中毒にさせられてしまう、といったものだろう。だからこそ薬物を規制すれば薬物依存の問題は解決すると考えられがちだ。
 しかし問題はそこではないと近藤氏。
「みなさん、薬が悪い、薬が悪いと言います。現在の法的な枠組みから言えば、薬物の取り締まりは正当なんだけど、理由は別にある。薬物は恋人ですよ。恋人がいないと寂しいでしょう? 薬をやめようとするのは恋人と別れることと同じなんです」
 だから、薬物をやめるというのは、言うほど簡単なことではない。
「捕まって仕事も家族もなくなって、それでも刑務所から出て来たらやりたいんだから。やめようと決心すればするほど、やりたいという決心も出てくる。戦っても勝てないんだから。引き離そうとすればするほど燃え上る」
 なぜ薬が恋人になってしまうのかといえば、友達もおらず、友達を作るスキルもないからだ。人間関係の構築がうまくいかない。そうした人たちが薬を使ってしまう。薬をやめることは、その代わりとなる人間関係を築けるようにならなくてはいけない。
「少年院の子どもたちになんで薬使ったんだ? と聞くと、100人中100人、好奇心と言うんだよね。好奇心というのは悪い意味ではないけれど、都合のいい言葉でね。子どもの頃から少年院に入っている子どもたちは寂しいんだよ。好奇心というけれど、寂しいんだよ」
 “寂しい”を言い換えれば、自分で“やることを見つけられない”。
「30代40代になっても、何していいかわからないんだよね。自分が何を目指したいとかわからない。結構、これはプレッシャーですよ」

 日本ダルクでの依存症治療は、『ミーティング』と呼ぶグループセラピーが基本だ。1日に3回、集まって1人づつ話をする。
「薬物をやめられたという話じゃないですよ? その日の自分の正直な話をするんです」
 田代氏もグループセラピーによって、依存症から回復することができた。
「最初は、自分はセラピーを受けている他の人たちとは違うと思っているんですが、何回もミーティングに出るうちに、同じだと思うようになるんです」
 ミーティングのポイントは未来の話をしないこと。
「最初は過去の話をするんです。どうして薬を始めて、何があって、今、ダルクに来ているのか。そこまで話せるようになるのに1年ぐらいかかる」
 近藤氏は言う。
「みんなやめると言うよね。でもそれはわからないでしょ、占い師じゃないんだから。やめようと思えば、いつでもやめられると言わないと、思わないとやれないから。ここにいるあなたはやめられないからここに来ているでしょ? 先のことはわからないんだから、わからないことは言わない方が良い」
 薬物依存症の患者は、多重債務や離婚争議など法的な問題を抱えたり、健康上の問題を抱えている場合が多い。薬物依存症から回復するには、そうした問題も合わせて解決していかなくてはならない。
 日本ダルク本部は法律事務所と医療クリニックも同じ敷地に持ち、多面的な解決を目指している。
 近藤氏は依存症の敵を孤立化と見ている。孤立化を防ぐには、依存症患者を刑務所に入れて社会と隔絶させるのではなく、病院やダルクのような治療施設あるいはボランティアなど回復のための選択肢をいくつも用意する。
「自己使用罪があるのは日本だけなんです。薬を体に入れたかどうかを調べて、覚せい剤取締法でほとんどの外国では自己使用罪がない。だから日本は刑務所に入るしかない。使ったら刑務所です。しかし外国は病院でのリハビリやボランティアを選べる。社会に戻る方法があるんです」

 薬物をやめることは本当に難しいと田代氏。最初は仕事のために薬を使っていたのが、そのうち薬のために仕事をするようになって、最後は仕事がどうでも良くなってしまう。薬中心の生活になるのだ。
「なんでも薬に結びつけるんですよ。買い物に行って帰ってきて、『マーシーおかえりなさい』と言われたら、『マーシー、コカイン買いなさい』に聞こえるんですから。『無断駐車お断り』と書いてあるだけで、無断で注射しちゃいけないとかね」
 薬物依存症は病気だ。それも恐ろしくしつこく、治りにくい病気であり、その治療薬は友達や仲間、家族しかない。現在は薬物依存症に対する理解と患者への支援のため、全国で講演している田代氏。
 ラッツ&スターのメンバーとは連絡を取り合っているのかと聞くと、
「リーダーからは今も年賀状が来るよ。ありがたいよね」
 と照れたように目を伏せた。

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