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希死念慮と気づかないほどの、死にたい気持ち

死にたいという気持ちは、幼稚園の頃からあった気がする。
私の子どもはちょうど幼稚園へ通う年齢。
こんな幼い子どもが希死念慮を抱いていたのかと思うと、胸が潰れそうだ。
この頃の子どもの世界は親や祖父母、そして幼稚園や保育園のつながりだけ、というとても小さな世界だ。
私はいじめられやすいと言うか、いじられやすいと言うか、そんなタイプの子どもだった。
そして周りの子も意地悪なタイプの子が多かった。

家では厳格な父親と私をどこまでも追い詰める母親。
そして親戚と両親の揉め事。
年の離れた弟と妹。
私が何かした時、理由を聞かずにとにかく追い詰められた。
小学生のころには、全身に蚯蚓脹れが出来るほど、身体中をまごの手で叩かれた。

小学校に入学しても、私の世界は広がっても意地悪な級友が増えただけだった。
学校ではトラブルメーカーと思われ、教師からも冷たい目で見られていた。
多くは私から吹っかけていないのに、最終的には私が悪者扱いになる。
そして学校に親が怒鳴り込む。
すると、ますます私は孤立していく。
どうすれば友達と仲良くできるんだ。
どうしてみんな私に意地悪をするんだ。
女子グループの顔色をうかがい、すり寄ってはクスクスと笑われ、ひそひそと「ないしょ話」を目の前でされる。

小学2年生で、既に私の居場所はどこにもなかった。

どう考えても死んだ方がマシだ。

もしも私が死んだなら──────
私を蔑ろにしてきた人達は、きっと私が死んで深く後悔するだろう。
「もっと優しくすればよかった」
「ごめんね」

生きているうちに聞きたい言葉を、自分の葬式の妄想する中で自分に言い聞かせていた。

しかし、これは親に聞かせては行けない、聞かせたら親を怒らせる、と思い口を噤んでいた。
書いていて思ったのだが、「親を悲しませる」ではなく「親を怒らせる」と考えていた時点で、私から親への信頼のなさと心理的防御が強く働いていたように思う。

この自分の葬式妄想は大人になった今でも、かなり調子の悪い時に出てくる。
人づてにあの人の元へ私の訃報が入り、あの人はとても後悔する​───────

とてもとても良くない妄想だが、そうすることによって私は溜飲を下げることができるのだ。

この妄想を突き詰めていくと、はたと気づく瞬間がある。

もしかしたら、私を蔑ろにしてきた人たちに私の訃報が届かない可能性もある。
届いたとしても、私が望むような後悔に溺れることがないかもしれない。
それどころか私が死んだことをなんとも思わない可能性も、手を叩いて喜ぶ可能性もある。

と、なると私の精神的な復讐は果たされない。
死に損というものである。
他にも死ねない理由はいくつかあるが、私はなんとか今日まで生きながらえている。

#エッセイ

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