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自堕落

現在、二限にすら間に合わないシャトルバスに乗りながらこのnoteを書いてるわけですが、最近の自分の遅刻癖にはさすがに僕自身も危機感を覚えてるわけでして。
だけども自分では正直解決しきれないって分かってるからこそ、永久にかけ離れた普通を追い求めてるわけですが。今日はちょっとした自分の根幹の話をちょうどよく病んでるので書き連ねようかななんて思ったり。

小さい頃から人よりも出来ないことが多い子供でした。
男女の区別がつけられない、空気が読めない、喋り出すと止まらない、注意力が散漫、落ち着いてられない、鏡文字が治らない、計画性がない、すぐに暴力で解決、感情表現が苦手で快も不快も涙で表すなど
多分あげたら永遠に挙げられます。

もちろん今となってはだいぶ出来ることも増えました。それに今でも空気を読むことが苦手なゆえに人間観察が趣味になったりと少しプラス?に働いてる面もあるように思えます。だけどやっぱり今でも治らない部分というのが多かったり、逆に成長するにつれて酷くなる症状があったりと毎年1つずつ歳を重ねる度に出来ることが増えできないことが増え一喜一憂せざるを得ませんでした。

僕の根幹と言いましたが、別にこれだけを主軸に生きてるわけでは無いですが(最初の前文はなんだったんだ)、小学生くらいからずっと思ってることとすればとにかく一般的な普通になりたかったっていうのは一貫してありますね。
学校という枠組みを生きる中でみんなが努力して出来てることを同じようにできるようになりたいと、ずっと思っていました。
自分がなんで出来なかったか分からなかった小学生時代でしたが、明らかにみんなと自分が違うというのを感じてはいて、その感覚が今でも続いていて毎日毎日なんで生きてるんだろ、人間のなりそこないがって思いながら病む日々です。

ある意味で僕は生きてるってことが一番の病む原因なのかもしれませんね。
生きてる限りは、この欠陥した脳を抱えて、普通を求められる世界に放り出される。

普通ってなんだよって大声で言いたいけれど
それが分からないのが障害だよ
って言われたことがある僕とすれば
それすらも言えなくて

あーーー病む病む
やめたやめた

でも、高校時代の今でも仲良い大親友はいつも僕がこうやって病んでると言ってくれる言葉があります。

普通って言葉を無くしたい。

この言葉が高校時代を生きられた理由かもしれないですね。

いつか世間のいう普通になりきれなくても……もちろん、許されたいとは思いません。ただ、今よりもそういった人達が生きやすい世界を僕自身が作るのを手伝えたらって思います。

そうすれば僕だって毎日を病まずに楽しめるかもだから。

シャトルバスを降りるからここまで
多分後日消すね…こういうことするから黒歴史になるんだよ()

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