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つれづれ日記22 43年ぶりの再会

先日、雑誌婦人公論で女優の秋吉久美子さんと対談をさせていただいた。
今回の小説『疼くひと』の帯に秋吉さんからコメントをいただいたも、版元の中央公論新社の編集部のはからいで実現したもので、雑誌の編集部としても、小説を語り合う上でいちばん自然な人選だったのだろう。
ところが私自身は対談のその日が来るまで、とても緊張していた。

理由は、私がまだ雑誌のライターをしていた若い頃、映画界に彗星のごとく現れた女優秋吉久美子さんを取材させていただく機会が何度もあったのに、長いことお会いすることのないまま来てしまったからである。
考えてみれば私には、彼女だけでなく、ある時期たいへん親しくお仕事をご一緒させて貰ったのに、その後疎遠になってしまった方が何人もいて、そのことにいつも後ろ暗さを抱えているようなところがあった。
特に最近は、再会を果たすことができないまま、報道でその方が亡くなられたと知って、寂しい思いでひとり手を合わせることも多くなった。

なぜ会えなくなってしまうのか?
理由はとてもはっきりしている。私が頻繁に転職をくり返してきたためと、その方たちが皆さん「有名人」で、お会いしたいと思っても電話やメールができるほど気安い間柄ではなかったというだけだ。
たとえば秋吉さんと同じように、雑誌の仕事をしていた頃、取材旅行で一緒にバリ島に行った10代の原田美枝子さんと、約20年後、『折り梅』の仕事で再会できたようなことも稀にはあったけれど。

今回、小説を書いたことで、突然秋吉さんと会うことになって、雑誌の仕事をご一緒したのは何年前のことだったろう…と、押し入れの天袋から段ボール箱を引っ張り出してみると、箱のなかに何冊か残しておいたファイルに、22歳の秋吉久美子さんが映った『週刊平凡』のモノクロのグラビアがあった。
雑誌の仕事をしていた頃に手がけた記事は膨大な量があった筈だが、大半のファイルは引越しの度に捨ててしまったのに、秋吉さんの記事が残っていたのは、やはり彼女には特別の思い入れがあったからなのだろう。
自分の書いた記事を読むと、それは1977年。彼女が22歳で私は30歳の時だから、この度の再会はなんと43年ぶりということになる。
そんな遠い昔のこと、覚えていただいてるわけないよなぁ…。

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