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映画を見せる、広げる 03 『折り梅』100万人を祝う会の栞から

2004年の3月27日。前の回でも書いたように『折り梅』の観客動員数が100万人を超えた記念に、全国の『折り梅』応援団の人びと約250人が東京赤坂プリンスホテルに集まってくださって盛大なお祝いパーティーをしたとき、参加者の皆さんに配られた冊子があります。それを久しぶりに読みました。
そして、そこに書かれた全国各地の人びとの言葉に、たくさんの忘れていたことを
思い出しました。全国を旅して歩きながら、沢山の出会いに恵まれて、私の人生で一番幸せだった時期。いえ、私だけでなく、皆が映画を仲立ちにして直接語り合い笑い合った時代。今、思いもかけぬ新型コロナの災禍に見舞われて、私たちのように、経済の活性化には何の役にも立たない仕事をしてきた者は、完全にワキに追いやられ、また多くの人びとが「孤独」に喘いでいるようです。でも、16年前にはまだこんな素敵な人と人とのふれあいも、温かなネットワークもあったのでした。冊子に書かれた市井の人びとの言葉たちは、ただ私の恵まれた過去を回顧するためでも、自慢話をするためでなく、皆さんにも「忘れていた大切なこと」を思い出してもらえるような気がしたので、その内容を転記します。

感謝の言葉にかえて 製作・脚本・監督 松井久子

「あんた、わたしが生きているうちに、どうぞ三本目を作ってくんさいよ。わたし
それを楽しみに、もう少し頑張って生きるけん」
 ある日の上映後、一人のおばあちゃんが私に近づき、かけてくれた言葉です。
「約束やよ。待ってるけんね」と言われると、私の手をとり力いっぱい握りしめ、
放そうとしないのでした。
 節くれ立った太い指。ざらざらと荒れた手のひら。そして強い握力…。私は握り合ったその手の感触に、おばあちゃんの過ぎてきた人生を思い、ああ自分は今日、このためにここに来たんだわ…と思います。
 やがて、おばあちゃんの問わず語りが始まりました。
 今日は朝から腰が痛かったので、その上朝から雨も降っていたので、映画に行くのはやめにしたいと思ったが、娘に「いい映画だから、元気が出るから、行ってみよう」と無理矢理引っ張ってこられたのだけど、ほんとに来てよかった、娘の言う通りだった…。
 この二年、何度このような出会いを重ねてきたことでしょう。
 いつの間にか、フィルムと一緒に旅することが一番の目的になっていました。
 東京では孤独で押し潰されそうになっている私が、旅に出た先のお客さまたちに会うことで、いつも元気を取り戻すのです。
 訪ねた場所は、どの町にもかならず素敵な出会いがあって、かけがえのないストーリーが待っていてくれました。

 はじめて訪ねた長野県小諸の町ー。
 駅に迎えに来てくれた女性たちが、いきなり「監督、あの山の上にいい露天風呂があるのよ。一緒に入りませんか?」と誘われます。その時は、思わずたじろいでしまった私も、彼女たちの案内で町の中を歩き、共に語り合っているうちに、初対面の入浴が少しも不思議なことでなくなっていたのでした。
 互いに背中を流し合ったら、もう一生の「大事なお友達」。
 信州の女性たちは剛毅です。

 吉行和子さんと二人で行った愛媛県の御荘町ー。
 松山空港から三時間も車に揺られて辿りついた海辺の町では、地域活動に熱心な六人の若者たちと上映後のシンポジウムに参加しました。お年寄りやハンディキャップのある方が安心して暮らせる町にするために、自分たちは何ができるか?
 壇上で熱く語る若者たちの発言のたび、中高年そうで埋まった会場の観客から、何度も拍手が沸き起こりました。
 そして夜、参加者100人の大交流会に続いた二次会の会場は、町の大工さんのお宅です。海から上がったばかりのサザエやアワビや伊勢海老を肴に、大勢の人が
『折り梅』について、自分たちの町の未来について、深夜まで語り合っていたのでした。

 北海道・道南の今金町は人口6500人の町ー。
 函館で『折り梅』を見てきた一人の主婦が、「この町でやって!」と行政に駆け込んだところから、何かが動き出しました。そしてたった一人の主婦の思いが、いつしか町の人びとに伝わって行き、当日は900人の大上映会になりました。
 『折り梅』を観て涙した後、町の人びとは自分たちの隣人の介護体験発表を聞きながら、もう一度熱い涙を流されて…。町ぐるみで感動を分かち合う瞬間を目の当たりにし、私にとっても忘れられない場所になりました。
 そんな『折り梅』の上映会をきっかけに、後日今金町には介護する家族たちが支え合う会ができたとか。町の保健師さんから「会の名を『折り梅』の会としていいですか?」との電話をいただいた時はほんとに嬉しかったです。映画は忘れられても、あの町に『折り梅』の名は永遠に残るのですから。
 
 定年退職をされた男性二人で1500人の上映会を成功させた大阪府守口市ー。
 仕事をリタイアした後は何か社会の役に立つことがしたいと、自家用車を使って、お年寄りの送迎ボランティアをされているという六十代です。
 お二人は、上映会後に作られた分厚い感想文集を送ってくださり、私が隣町に行ったときにも会いにきてくださいました。
「監督。女ばかりが元気なわけやないですよ。地域のために頑張ってる男もおるってこと、ちゃんと覚えておいてくれな、あきませんよ!」
 人情も知性も兼ね備えた、オモロイおっちゃんたちでした。

 こうしてご紹介したエピソードは旅の中のほんの一部。あえて今日の会に出席できなかった方々のお話を書かせて頂きましたが、私が行かなかった場所にもきっとさまざま貴重なストーリーが生まれ、今も町の中に息づいていることでしょう。
 そこには、たかが一本の映画でありながら、「たかが」とは言えない重みがあるように思います。今日の祝う会に集まってくださった皆さんで、苗を植え、その木を育ててくださったおかげで、今『折り梅』は満開の花を咲かせることができました。そのことに感謝を申し上げ、これからも長くお付き合い頂けますようお願いいたします。ありがとうございました。 

鳳来町折り梅

旭川から心を込めて  
旭川実行委員会 事務局・野嶽次郎

五年前、前作『ユキエ』の上映で850名の松井監督ファンができ、以来待ち焦がれていた作品でした。隣町滝川市で開かれた全国映画鑑賞団体連絡協議会の全国交流会の試写会で拝見して以来、旭川上映を模索。足かけ三年の月日がかかりました。
旭川痴呆性老人を抱える家族の会を中心に、新婦人旭川支部水芭蕉班、旭川映画村を母体とした実行委員会の取り組みは、『ユキエ』ファンに止まらず、200名の『折り梅』実行委員会協力者が生まれ、5000米の配券が実現するに至りました。
実質2ヶ月半の短い間に、チラシが1万6000枚、ポスター260枚が市中に広がり、
雪国旭川の風物詩「雪まつり」で賑わう買物公園の道行く市民たちの目に止まりました。
上映前日まで吹き荒れた猛吹雪が嘘のように晴れた会場の旭川公会堂前に、人の波があふれ、旭川で開催された自主上映会の歴史の中で、かつてないほどの入場者を記録。1日の入場者数では過去最高の3230名となりました。試写会で来場いただいた松井監督を一日中引き回し、7社のマスコミインタビューを嫌な顔ひとつせず、丁寧に受けてくださったことが、この歴史的観客動員につなげるきっかけになりました。
『折り梅』を観終わったお客さまが、皆さん素敵な笑顔で『ありがとう』と声をかけてくださり、立見席まで出た上映会にもかかわらず、実行委員にお礼まで言って帰る姿に、作品の力の大きさを感じました。

『折り梅』上映から早や1ヶ月。熱い上映運動の風からようやく春の陽射しが降り注ぐ旭川に、『折り梅』再上映、さらには『ユキエ』の再上映を望む声が、日が経つにつれて大きくなっています。会場を埋めつくした観客の姿を松井監督にご覧いただくことができなかったことが、唯一心残りであることを、実行委員一同感じております。今回の上映運動を一過性のイベントとして終わらせるのではなく、取り組みの記録、総括、プロセス、問題点などを分析し、次の市民運動、自主上映運動に生かしていくことが、松井監督への恩返しとなり、製作者側と観客側のキャッチボールが次の作品につながることになると思います。
『ユキエ』『折り梅』に続く素晴らしい「作品」というボールを私たちは待っています。また、懲りずに旭川に足を運んでください。皆んな、皆んな、首を長くして待っています。

私たちの気持ちそのままだった『折り梅』 
大分県臼杵市・七色クレヨン陶山恵子

 私たち[七色くれよん]は、大分県臼杵市の、子供を通じて知り合った七人の母親たちのグループです。その名の由来は、七人がひとつひとつのカラー(個性)を出し合って、自分たちがクラス町の中に自分たちの夢を描いていきたい、という思いからです。
 家庭やさまざまな仕事を持ち、その中で「自分自身も大切にしたい」と思う女性たちが1997年から活動を始め、人口3万あまりの小さな町の中でほぼ2年に1回、講演会やコンサート、映画上映会などを企画、実行しています。
 そんな[七色くれよん]と松井監督との出会いは、5年前『ユキエ』の上映会でのことでした。映画を観るだけでなく監督のお話も聞きたいと臼杵にお招きしたのですが、私たちのイベントは毎回子供たちが受付を手伝い、夫たちが写真を撮ったり、駐車場の整理薬をしてくれるので、監督はそんな家庭的な雰囲気がとても気に入ってくださったようです、そして私たちも初めてお会いした松井監督の魅力にすっかり惚れ込み、2作目もぜひ臼杵で上映したいと思っていました。
 『折り梅』は応援団に入ったおかげで作品ができる過程を知ることができ、完成する前から特別な思い入れがありました。
 そして昨年5月、ようやく『折り梅』を臼杵で上映できた時の感動は今でも忘れられません。普通の主婦であり、母親でありる私たちの「わかる、わかる」という感覚。「夫婦の在り方」や、「老い」や「働く女性の生き方」や、「介護」というテーマは、全部まとめて興味のあるものでした。キャスティングも素敵で、「痴呆の介護」という重いテーマを描きながら、ふっと笑ってしまうような明るさがあり、見終わった後にはここちよい感動がありました。
 臼杵での『折り梅』上映会には1000人を超える方が来られて、帰る時の幸せそうな笑顔や、「良かったね」という言葉は、主催した私たちにも元気をくれました。[七色くれよん」は、これからも私たち自身が興味あるテーマを選び、来てくださる人たちと一緒に楽しみ、今後も自分たちのペースで活動を続けながら、いろいろな人との出会いを通して、元気を持ち続けたいと思っています。

日本中に拡がった映画『折り梅』の応援の輪
『折り梅』応援団・岡山組 長崎 司

 映画『折り梅』上映1000カ所、観客100万人達成の快挙を心から嬉しく思う。
まさに快挙である。その今回の快挙を達成した理由を私なりに考えてみた。
①何より作品が素晴らしかった、②松井監督がこの映画とともに全国を行脚した、
③第一作の『ユキエ』と松井監督に魅せられたネットワークが全国に広がっており、その方々が頑張った、ことが挙げられる。この3点はどれが欠けても、今回の偉業は達成できていないと考える。とても、素敵なことだ。
 ところで、私たち岡山組と松井監督との出会いは、奇しくも監督の誕生日であった。それまで毎年開催していた「映画会」(=この「映画会」の開催で「日本映画復興奨励賞」を受賞させて頂く光栄にも浴している)での上映を前にして『ユキエ』を上映することを決め、松井監督に岡山に来ていただいた時である。
その松井監督の第一回作品である『ユキエ』は、市内の映画館でタッタ三人(=かいずれも岡山組)で観た。そして「このような作品は、より多くの人に観て欲しい」そんな思いから恒例の「映画会」の上映作品に決定したのだ。そして誕生日に出会い、監督と私が同い年であったことも判明した。以後、こうしたご縁で、その時々に岡山に立ち寄っていただき、監督を囲む素敵な時間を持たせて頂いている。

 そして2000年10月、アメリカへご一緒する機内で、パソコンで打ち出された映画『折り梅』のシナリオ第一稿をお見せいただいた。それ以前に原作本小菅もと子著『忘れても、しあわせ』(日本評論社刊)をお送りいただいていた。そして、
「長い試行錯誤の末にようやく印刷台本にまで漕ぎ着けました。もう一年近く、書いてはダメ、書いてはダメを繰り返しているうちに、後がないという感じです」というお手紙とともに「白表紙の台本」が届けられた。
 そして2001年の9月、「あいち国際女性映画祭」での上映に駆けつけさせていただいた。勿論、翌年からの全国上映の中で、岡山でも監督の講演とともに『折り梅』を上映させていただいた。この後の監督の映画『折り梅』との二人三脚の全国上映の中で、どれだけの感動と出会いがあったかは、私が語るまでもないだろう。

さて、私は最後に一つだけこの映画の上映の広がりは、結果として日本映画に「匕首」を突きつけた感じがしている。それは映画賞のあり方の問題であり、大手の映画興行のあり方の問題である。これだけの素晴らしい作品でありながら、映画賞からは完全にシャットアウトされ、かつ結果として100万人がみた映画ではあるが、従来の映画館での興行ベースには乗っていない。考えさせられた。
 ところで、製作された日本映画の封切作品の9割が、上映されているのは東京のみで、全国平均の公開率はタッタの21%であり、我が岡山市での邦画の公開率は24%と聞く。この状況はナントしてもかえなければおかしいと考える。
 今元気な韓国映画は。映画館で自国の映画の上映率を設定し、自国で制作された映画が上映され観客に観てもらえるような配慮が、国によってなされていると聞く。今回の「上映1000カ所、観客100万人達成の快挙」から、考えることの多さを教えてくれている。
 『ユキエ』で広がった輪が、今回の快挙につながった。ならば次回作の際には、どのような広がりがあるのだろう。とても楽しみであり、その輪の一員で痛いと思う。さて、梅の次は桜、日本では「桜咲く」の言葉は、大願成就を言い表す言葉として使用されている。第三作目で、まさに「桜咲く」状態を創り出して欲しい。
それは、日本映画界の将来にとって、とても大切な偉業になると今からワクワクしている。次回作を大いに期待しているし、どのような広がりを見せるのかについても、興味津々である。
 ともあれ、重ねて書くが「上映1000ケ所、観客100万人達成」は、紛れもなく快挙である。みんな、自分自身のこととしてお祝いしたいものだ。

忘れられない光景
兵庫県映画センター 姫路シネマクラブ 内海知香子

 私は、映画センターの職員という仕事柄、数多く松井監督とご一緒する機会を得、何度も何度も監督の魅力にふれ、その度に同じ人間として「惚れ」直してきました。今回は、その中でも私が一番好きなエピソードをご紹介したいと思います。
 あれは数年前。まだ『ユキエ』で監督が全国をまわっていた頃、兵庫県西宮市で行われた市主催の『ユキエ』上映会場でのことです。上映が終わったあと、監督はいつものようにロビーで、パンフレットを買ったお客さん一人一人にサインをしていました。私は市の担当者と片付けをしながら、見るともなく見ていたのですが、やがて列は最後の一人になりました。その人は若い女性で、何事かを一生懸命監督に訴えていたかと思うと、突然肩をふるわせて泣きじゃくり始めたのです。
 映画を観たあと、監督を前にして、感動のあまり泣き出してしまうお客さんは珍しくありませんが、どうも、いつもと様子が違う…。人影の消えた、がらんとしたロビーで向かい合った監督も真剣な表情で彼女の話を聞いています。やがて、おもむろにパンフレットを手にした監督は、それにサインをし、彼女に手渡すと立ち上がり、彼女の肩を抱きしめるようにして、一緒に出口まで歩いてゆき、二言三言声をかけて見送りました。
 あとで、監督に事情を聞くと、その女性は、ずっとこの作品を観たいと思っていたけれど、失業中でお金がなく観ることができなかった。ようやく今日観ることが出来たけれど、そんな事情だからパンフレットも買えない。でも感動したことをどうしても伝えたくて列に並んだ…。そのことを話しているうちに二弥陀が出てきて止まらなくなったようなのですが、それを聞いて監督は、パンフレットをプレゼントし、「いつかいいことがあるから負けないで」と励ました、ということでした。
 文章にしてしまうと、なんということもありません。けれど、私は、この光景を偶然目にして、本当に感動したのです。
 失業して、人生のどん底にいる若い女性。その人を前にして「頑張って」「負けちゃだめよ」と声をかけ、パンフレットを贈ることまでは、おそらく誰でもできると思うのです。けれど、最後に、自ら席を立ち、初めて会った人の肩を抱いて、一緒に歩いていくーーという行為は、ささいなことのようですが、けっして誰にも出来ることではない、と直観的に思ったのです。そこには誰かの目があったわけではありません。これみよがしではなく、本当に自然に、その人の肩をだいていた監督。おそらくあの女性は一生、そのとき自分の肩にかけられた監督の手のぬくもりを忘れることはないと思います。
 監督自身はも、もう記憶にないかもしれません。でも、私はいまだに、あの薄暗いロビーを、女性と一緒に歩いてゆく監督の姿が忘れられないのです。

「映画は、つくった人間のすべてがあらわれる」
これは、かの黒澤明監督の言葉ですが、まさに『『ユキエ』も『折り梅』も、松井久子という人そのものです。
 人生に対する誠実さ。ときに強く、ときに弱い「普通の」人間に対する共感。選び取った人生、あるいは与えられた運命を潔く受け入れて、そのなかで精一杯努力する人への優しい眼差し・そして、全編に溢れる明るさと温かさ…。
 けれど同時に、それらは監督の、ほんの一面でしかないことも、私は断言できます。『ユキエ』と『折り梅』とは、まったく味わいの異なる、けれど魅力ある作品を監督なら作れると信じています。それは、もしかしたら、これまでのファンを驚かせるようなものになるかもしれません。
 けれど、『折り梅』100万人動員を祝う今日の宴を区切りとして、監督には、次の作品に向けて走り出してほしい。
 今日集まった私たちに、なにができるかはわかりません。よーいドンの掛け声をかける人、一緒に走る人、傍からエールを贈る人、そしてゴールでテープを持って待ち受ける人。人それぞれの「持ち場」でもって、監督の次回作を待っています。
困難があっても、へこたれそうになっても、監督には全国に味方がいることを、どうか忘れないでほしい.。心から期待しています。

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撮影監督の川上晧市さん。左後ろにはお元気だった音楽の故・川﨑真弘さんの姿も

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『ユキエ』の時からの恩人、高松の藤田浩子さん。後は秋田の濱田チヤさん。

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『ユキエ』と『折り梅』を全国に広げてくれた配給会社シネマワークの伊藤社長

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           資金面でお世話になった内閣副官房長官の古川貞二郎さん

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             原作者の小菅もと子さんも「折り梅音頭」を踊って

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