稲木紫織のアートコラムArts & Contemporary Vol.38(最終回)
エドワード・ホッパーの絵画に
触発されて生まれた短編集
『短編画廊』に夢中
こういう編まれ方のアンソロジーがあってもいい、と常々思っているが、思っていたほどそんなにはない。しかし、作家ローレンス・ブロックが自らのホッパー愛から作家たちに声をかけ、「大半の作家がぜひ参加したいと言ってくれたのは、友情ではなく(全員が私の友人ではあったが)、ホッパーが惹き寄せたから」とまで語っている本書は、編集者に依頼されて書く通常の仕事とは異なり、ホッパーの絵に強く惹かれる思いが主軸になっている。それ故、非常にユニーク、かつ秀逸である。
どこかで見たことがあるであろうホッパーの絵。まるで、小説の挿絵のようにリアルではないか。アメリカを代表する画家エワード・ホッパー(1882-1967)の絵画について、ブロックは「彼の絵は物語を語ってはいない。ただ、強く抗いがたく示唆している。絵の中に物語があることを、その物語は語られるのを待っていることを。彼はある一瞬を切り取ってわれわれに提示する」と書いている。本書は、ホッパーの絵画のために書かれた17人の作家による短編たちなのだ。
『海辺の部屋』は、ホッパーの中でも個人的に最も印象深い作品だが、この絵のためにニューク在住の作家で詩人ニコラス・クリストファーが、ちょっと不思議な小説を書いた。物語の舞台となるこの部屋が登場する家は、一年ごとに部屋が勝手にひとつずつ増えていく。それが、バスク人は失われたアトランティス文明の末裔である、という史実に繋がっていくのだから荒唐無稽さに舌を巻く。
夜鷹(ナイトホークス)』とは、夜更かしする人たちのこと。1942年に描かれたこの絵には、フィラデルフィア生まれのベストセラー作家、マイクル・コナリーが執筆。深夜のダイナーに集う孤独な人たちの物語かと思いきや、この絵を美術館で見ている他人同士の男女が登場。彼女がいきなり男に質問する。「絵のなかのだれと自分が同じだと思います? ひとりきりの男性、店にいるのがぜんぜん楽しそうじゃないカップル、それからカウンターの内側で働いている男性。あなたはそのなかのだれ?」と。この魅力的な導入には、さらなるドンデン返しが。
『音楽室』は著名なモダン・ホラーの巨匠スティーブン・キングが書いているが、こんなに意表を突かれるとは思わなかった。やや倦怠を醸し出す夫妻が、音楽室と呼ばれる部屋で夫は新聞を読み、妻はアップライトピアノを弾いているようにしか見えない。そんなワンシーンに、とんでもない殺人事件が潜んでいるなんて。
『夜のオフィスで』がまた、えっ、こんな展開に? と驚く。サウスカロライナ州在住の英文学教授で作家のウォーレン・ムーアの小説。主人公は、アーティストを夢見てニューヨークに出てきたテネシー州出身の田舎娘、身長180センチを越すマーガレット。秘書の職を得るが、物語半ばで彼女が既に死んでしまっていることがわかる。雇い主との不倫のストーリーを安易に想像していると出鼻をくじかれる。だが、死ぬ直前にメイシーズ・デパートで買ったスイカズラの香水が余韻を残す。スイカズラはハニーサックルとも呼ばれ、花言葉は「愛の絆」。
『オートマットの秋』は、選者でもあるローレンス・ブロックの小説。オートマットとは自販機食堂のこと。この絵のタイトルは『AUTOMAT』で1927年に描かれている。日本では昭和2年、アメリカでは食券を購入して食事ができる食堂が、ピンからキリまでこんなにポピュラーだったのか。「42丁目のカフェテリアにはいるのに、帽子とコートがあれば、まわりの眼にはレディに映る」と物語は始まる。「帽子が決め手になる」と。絵に描かれた主人公の“みすぼらしい上品さ”が、まさかこんな展開を呼ぶとは、ストーリーテリングの妙に唸らざるを得ない。
多数の作家たちによるアンソロジーだけに、番外篇のエピソードもある。この絵は『ケープ・コッドの朝』(1950年)というタイトルだが、ホッパーの愛好家で、高名な作家が選んだ作品だったとか。だが、その作家は書けなかった。「こういうことは往々にして起こるものだ。だから非難するにはあたらない」とブロックは寛大に書いている。それで、口絵に使われているのだ。この短編集が好き過ぎて、2019年発行時に購入してから、なるべく読み終わらないようにしているくらいだ。美術と音楽も親しいが、美術と文学の熱愛関係も深い。ずっと夢中でいたいと願う。
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鏡のなかの言葉(定期購読)
映画監督松井久子が編集長となり、生き方、暮し、アート、映画、表現等について4人のプロが書くコラムと、映画づくり、ライティング、YOGA等の…
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