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LEONIEとマイレオニーの旅 04

キョーコさん

2006年6月に、久美子の計らいで宮本亜門さんと対談したジャパンソサエティの『折り梅』上映会に参加した折、日本からイサムさんの一番弟子であり、死後17年もの間師の遺志をついで札幌モエレ沼公園をつくりあげた建築家・川村純一さんと京子ご夫妻が同行してくださったのは、他でもない上映会後にイサムノグチ財団に映画化の協力を仰ぐためでした。
「とても閉鎖的な組織だから、あなたがいきなり飛び込んで行っても上手くいかないと思うの。私たちが一緒に行ってあげる」と京子さんが言ってくださり、夫妻のご好意に甘えることになったのです。
そして私は、そんな京子さんへのお礼の意味で、上映会前にジャパンソサエティでお琴を弾いて頂くというイベントを提案したのでした。

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写真はNYイサムノグチ庭園美術館の前で、迎えてくれた館長に、早速映画の説明をしてくれる川村夫妻。

が、いざ行ってみると、私は、京子さんの後押しがむしろマイナスだったかもしれないと思ったのでした。それは、財団の人々が川村夫妻、特に京子さんに対して、必ずしも行為を持っているわけではないと感じたからでした。
今財団を運営している人々は皆、イサムさんの死後その仕事に就いた方ばかりで、プリシラ・モーガンさん以外は誰ひとり生前のイサムさんを知っている人はいません。そして、私がプリシラさんと会った時、京子さんが同行しなかったように、「イサムさんに愛された川村京子さん」こそプリシラさんの強い嫉妬の対象であることがわかりました。偉大な芸術家をめぐる人びとの葛藤と桎梏は、芸術家の死後30年を経てもなお根強く燃えさかっていたのです。

世にも希有な三角関係

写真を見て頂ければわかるように、京子さんは私と同い年ながら若々しく美しい女性。ドウスさんの『宿命の越境者』を読んだ時、この話も映画になるのでは?と考えたほど、イサムさんと川村純一さんと京子さんの三角関係は希有なものでした。
夫の川村純一さんは、師から「京子さんと離婚してくれないか」と言われた経験までありながら、師に嫉妬することもなく、変わらず妻を愛し続けて今があるのですから。一緒にニューヨークに行ったとき、場所は何処だったかわすれましたが、イサムさんの作品のなかにあった「キョーコさん」という彫刻があって、その彫刻を一緒に見に行ったときの京子さんの笑顔には独特なものがありました。そのとき撮った写真をご紹介します。

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                        写真左側が『キョーコさん』

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イサムさんと川村夫妻は、どうしてそんな不思議な関係を続けられたのか?
私が投げかけた疑問に対する京子さんの答えは以下のようなものでした。
「晩年のイサムさんをお世話した日々は、ほんとに過酷な介護のようなものだったの。純一さんが側にいてくれなかったら、私は乗り越えることができなかった。純一さんには本当に感謝しているわ」

イサムさんに出会った頃、建築家・丹下健三の事務所の社員だった川村純一さんはまだ20代の若さで、イサムノグチに会うなりその芸術家に憧れ、心酔したそうです。そしてその偉大な建築家への尊敬の念は、何があっても変わることがなかったのでしょう。夫妻はイサム・ノグチのどんな要求にも応え続け、その姿勢は今なお続いていているばかりか、夫婦間の愛情も、微塵も変化することがないのでした。ほんとうに、夫婦のあり方は人さまざまですね。

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レオニー・ギルモアの墓を探して

2006年6月のニューヨークの旅の最後に、私と久美子は地下鉄に乗って、ドウスさんの原作にあったレオニーが眠る墓地を訪ねます。でもその墓地があまりに大きくて、結局レオニーの墓を見つけることができないのでした。それでもせめてにと思って見つけたGirumoreと彫られた墓の前にぬかずき映画製作の実現を願うなんていかにあも日本人らしい行為だったでしょうか(笑)

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