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母の写真

姉を抱いた母の写真である。
先日、アルバムから見つけたと、姉がインスタグラムにあげていた。この瞬間の母は、なんて若く幼く美しいんだろう。
25才くらいだろうと思う。
この写真が撮影された時、私はまだ生まれていなくて、写真に映る母は、今の私よりずっと若い。それだけでも妙な感じがしたのだが、翌日の昼間のこと。
ベランダから冬のお日様を感じながら仕事をしていた時に、ふいに、昨日写真で見た昭和何年かの母が、今、この瞬間のどこかにいるという不思議な確信に見まわれ、え?と、思わず窓の外に目を凝らしたのだった。
どこかの公園で、慣れない子育てに奮闘しながらも幸せいっぱいに生きている母が、今、この令和の時代のどこかで存在していて、幸せそうに我が子を抱いて笑っているのだと言う、妙な確信。
しかも、私の母は今、70才を過ぎていて、私の実家にいて、おそらくのんびりテレビなんか見ながらお菓子でも食べているだろうに…。
パラレルワールド的な錯覚。
それが日の光と共にふいに襲ってきて、白々とクラクラしてしまった。
こんな感覚って、私以外の人も感じるものなのか?
そう思って、姉に電話をかけた。
あの母の写真が、急に身近なものとして迫っててきて、時間が止まったような、今を生きる母と同時に動いているような錯覚を覚えたと話したら、何となく分かるとの返答。

それから数日後、何気なく昔の読書ノートを開いて、そこに書いていたスティーブン・キングの小説の一説にぶつかった。
「…おかしな話だけど、時々過去がぐっと身近に感じられることがある。それも、手を伸ばしさえすれば触れそうな程近くに。
そうは言っても…そうは言っても、本気で過去に触れたいと思う人がいるだろうか?」
   回想のビュイックエイト 下巻                       
   スティーブン・キング

そう、この感じ!!
不思議な感覚を説明するのは難しいのに、こうしてきちんと文章に出来るなんて、さすがはスティーブン・キング様!!
しかし、私が三年程前にこの文章をわざわざノートに書き残していたということは、私は昔きら時々この不思議な感覚に陥っていたんだろう。
なのに、そのこと事態を忘れている。
生きるのに必要のない感覚だから忘れてしまうんだろうな。本気で過去に触れたいと思えないから忘れてしまうんだろうなと。
だから今、書き残しておきたいと思った次第である。



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