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上京ならぬ上玉、真の上京はその2年後

東京はオシャレして行く所

年の瀬、父に連れられ東京・世田谷にある親戚の家に年末の挨拶に行き、その帰りに美術館や大きな本屋さんに寄って茨城の生家に戻る…というのが、私が幼稚園に入る前からの年末の年中行事だった。
生家は栃木寄りの茨城にあった。
東京・世田谷の親戚宅に行くには、茨城県を東西に横断する水戸線を利用して栃木県の小山まで行き、東北本線(宇都宮線)に乗り換えて上野、そして山手線で渋谷まで行き、渋谷からはバスを利用する。
最近は小山から渋谷までは湘南新宿ラインという直通電車があるのでとても便利になったが、幼い頃は乗り換えの連続で、時間もそれなりにかかった。
しかし、いつもは作業着のようなものを着て徒歩15分の会社に通勤する父が、その日はかっちりしたブレザーにズボン、革靴姿。一緒に行く子どもたちもおめかししてヨソイキの格好。
オシャレをして「東京に行く」ことは、毎年の暮れの大きな楽しみだった。ワクワクした。

暮れの東京での楽しみといえば、大きな本屋さんに行くこと、美術館や博物館に行くこと。
茨城の田舎には少し大きな本屋さんはあったけれど、ビル1棟すべてが本で埋め尽くされた本屋さんなどあるわけもなく、本屋さんにいけば好きな本を何冊も買ってもらえるのも嬉しかった。
私にとって東京は、オシャレをしてお出掛けする、楽しくワクワクする場所だった。時々、街中で臭う下水やガソリンのような匂いはあまり好きではなかったし、その匂いに気持が悪くなることもあったけれど、それでも東京へのお出かけは楽しかった。

上京で面倒なのは住む家を探すこと

高校の頃から東京への憧れはあった。でも三姉妹の長女の私、大学から上京するのはお金もかかるし、できれば地元の大学に合格して、上京は就職の時というのが暗黙の了解。
幸い、大学は地元の国立大学に入れたので、就職で上京することに。
上京のための準備の中でも家探しは難関だった。
22年間実家ぐらし。途中、近所に新しく家を建てたことにより、歩いて3分くらいの距離で引っ越しをしたことはあったが、本格的な引っ越しは初めて。ましてや家賃の高い東京で、一体どこに住んだらよいのか?? 
どうやって住む家を探せばいいのか?? 
すべてが手探りだった。

私の職場は原宿か新宿で、そこに通いやすいところはどこか、母が近所の人から「三鷹」あたりが家賃も安いし、新宿にも通いやすいと聞いてきた。
父は仕事があるし、物件探しは母と行くことになった。しかし私はもちろん母にも家探しの経験はない。それどころか東京の地理もよく分かっていない。不安を抱えながらも、母と私は、とりあえず三鷹の方に行ってみようと話して、朝早く出発した。

母子、なぜか大宮で降りる

父と毎年、渋谷まで電車やバスで行っていたが、それと同様、まずは小山で東北本線に乗り換えて上野を目指した。
母と二人、あれこれ話しながら電車に揺られ、上野まであとどのくらいかしら?と車窓を見たら、まだ大宮にも着いていない。
ずいぶん遠いね…などと、これから行わなくてはいけない未知の作業を思うと、少し憂鬱な気分になった。

と、もうすぐ大宮というところで、電車は徐行運転になり、車窓には大きな看板がいくつも見え、賑やかな都会の風景が広がってきた。看板には大手不動産業者のものも多く、茨城の地元にはない、大きなビルが立ち並んでいた。

私と母は顔を見合わせ、なぜか「一回、大宮で降りてみようか??」と、大宮で降りてしまった。東京の入口にも着いていない、まだ埼玉である。
そうして物件探しなどしたことのない母子は、とりあえず大宮のどの口だかは忘れたが大きな不動産の看板が掲げてあるビルにある、不動産会社に入ってみることにした。大宮はこんなに都会だから、東京の物件もあるかもしれないし。

会社の同僚、先輩に「なんで?」と聞かれる日々

大学を卒業して、新卒で原宿に本社がある、とある会社に就職した私。
毎朝、「北与野」にあるワンルームマンションから原宿まで、埼京線と総武線を利用して40〜50分くらいかけて通った。

「どこに住んでいるのか?」は会話の中でよく聞かれる質問である。
どこに住んでいるのかを聞かれ、「北与野」と答えると、ほぼ100%「実家なんだ」と納得される。それは違うので、「一人暮らし」だと訂正すると、必ず「なんで??」という問いが返ってくる。その問いに、初めのころはいちいち真面目に答えていたが、そのうち面倒になって、「会社と実家のちょうど真ん中で便利だから」と答えていた。

距離的に真ん中にあるから…「北与野」って…なんだよ??の世界である。
現在、与野周辺は結構な繁栄を見せていて、今となっては北与野に住んでいたのは先見の明があったからかなとか思えるけれども。

実家を出て2年後、真の意味で上京

真の意味で、私が上京したのはその3年後。
新卒で入った会社を辞めて、派遣で少し働いた後、高田馬場にある小さな出版社に中途入社した時のことだ。
高田馬場まで1本の「武蔵関」という駅徒歩5分のワンルームマンション。
ちなみに「武蔵関」に住んでいた時も、友達や会社の人に、「なんで??」と聞かれた。

高田馬場まで1本で行けて、あまり家賃が高くない場所、で探したらそうなっただけ。特に理由はない。

私が幼い頃から毎年東京に連れて行ってくれていた父は、母や妹と一緒に「北与野」も、真の上京の地「武蔵関」のワンルームマンションにも、何度か車でお米や食べ物を運んでくれたりしたが、どちらのマンションも荷物を運び入れてトイレを借りるとサッサと車に戻ってしまう。
父曰く、「天井が低くて狭くて、こんな部屋には長くはいられない」そうだ。

かつて欧米人が日本を揶揄して、「日本の住宅はウサギ小屋」と言ったが、茨城の田舎者の父にとっても、上京して数年のサラリーマンが住む東京近郊のワンルームは「ウサギ小屋」だった。

それから30年。

今はなんとか、狭いながらも2LDKのマンションに住んでいる。

ちなみに今のマンションからはスカイツリーが見える。
昼間のスカイツリーはさほどではないが、夜のスカイツリーはそれなりにおすすめ。毎日、色も変わるし、時間によって色のトーンや輝き方も変化して、昼間については東京タワーの方がおすすめだが、夜に関してはスカイツリーの方が上だと、スカイツリーのお膝元、墨田区住まいの私は思うわけだ。
住み始めた頃は日々のスカイツリーの変化に一喜一憂していたし、毎年の隅田川花火大会にも心躍らされていたが、それが10年も経つと、慣れとは恐ろしいもので、そこまで感動することもなくなってしまった。
それでも、実家から墨田区のマンションに帰りスカイツリーを見ると、ホッとすると同時に少しワクワクする。
実家滞在中は、長年変わることのない田園風景に、癒やされホッとはするがワクワクはしない。

上京に求めたワクワクは、下京にあるのか

あと数年で還暦。
私の上京物語は、そろそろ終盤を迎えようとしている。
定年後は茨城の実家に戻って、しばらくは東京に電車で通いながら給料を得て、茨城でリモートその他でできることを模索しながら、人生の終盤を過ごしていきたいと考えている。

考えてはいるが、大学卒業後は、迷わず上京(ならぬ上玉)を選んだ私。
還暦後、とはいえ、生まれ育った地元での平穏ながら退屈であろう日々に耐えられるのかどうか、不安はある。

東京って、なんか人を引き付ける、ワクワクさせる。どこか非日常的で、ファッションやデザイン、アートの中心となる発信地以上の何かがある。
五感を刺激して人を集結させる魅力ある土地なんだろうなあ。

時々行くか、いつもそこに居るか??

その基準にあるという時点で、やっぱり東京は日本の中心。
東京は、歳を重ねて、長く住んでいてもやっぱり(生まれ育ったよりも東京での生活のほうが長いです)、オシャレして、どこか身構えて、出かける場所。ワクワクする所なんだよね。

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