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迂回は辛しまた楽し〜ハノーファーに辿り着きたい〜①

2022年9月現在、私は今ドイツ、ハノーファーに暮らしている。
7月にハノーファーに到着し、とりあえず来年の春までは滞在が決定している。これは財政的な話であって未だビザ申請、というか外人局の予約すら取れていない社会的に見れば曖昧な状態だ。基本的に外人局の予約は学生などでない限りスーパーハード、今やり取り中なので一応滞在はできる。外人局の対応はまじで、もう、ほんとに、ひどい。書留で必要書類を送っても、自分の情報をメールで送っても「まだもらってまセン、早く送って」と言われて血管が切れそう。

思えば、こちらに来てからこんなことばかりだ。

保険を取るにしても「助成金を貰って滞在するアーティスト」(申請をスムーズにするための仮称)の扱いがわからない人が多く苦労した。日本人向けの保険を教えてもろてことなきを得る。

ビザに必要だということで念の為、以前留学した大学に聴講生の申請を送っているが反応がない。結局、バケーション時期に提出したため忘れ去られていたらしい。私が言っても「おまえ誰」扱いで困惑。教授に頼んで一発で解決。身分の差。

こんなの日常茶飯事で、何者にもなりたくなくてここに来たはずなのに、毎日のように「私は日本人です!!私はアーティストです!!」と声高に叫ばないといけない。なんてこった。その苦しみに関しては時間かけて紐解こうと思っている。所属せざるを得ないコミニティと付与された枠組みに絡まりながらも周縁にいる方法。でもまずは、自分で全てをコントロールできないこの蛇行する道行について記録をしたいと思った。

そもそも、私はここハノーファーにすら真っ直ぐ到着できなかった。

ハノーファーへは飛行機で東京からロンドン経由2022年6月29日に到着、予定だった。しかし実際に到着したのは7月6日。この出来事、かなりうねうねしまくってくそデカかったのに記録がTwitterに散らばってるだけだったので、思い返しながら書いていこうと思う。

2022年6月29日、ロンドン、ヒースロー空港。全ての始まり

6月29日。私は東京で友人に見送られ成田から旅立った。ロシア-ウクライナ間の戦争の影響でロシア上空を避けてのフライト。まずはロンドン、ヒースロー空港に向けて14時間程度、以前よりも長旅だ。飛行機内で、ロンドンでワーホリをするという人がいて少し話したが、ゲーム好きだそうでテンション上がった。寝不足だったこともあり船内では割とウトウトできて元気な状態ヒースロー空港に着陸。ハノーファーへの迂回路はここから始まることになる。

さて、私の予定ではこのヒースロー空港から1本、1時間半程度でハノーファーに着く予定だ。乗り換え便は夕方18:45で現在時刻16時半頃と、余裕がある。さあどこのゲートかなとロビーに向かったが、なんかやたら人が多い。大混雑。
そう言えば2022年6月末はヨーロッパではコロナの制限がかなり弱まったこともあり(ドイツもワクパス・陰性証明書無しで入国ができるようになった)、バケーション客で溢れかえっているようだった。

そのまま乗り換えゲートに向かおうとしたが、途中、チケットのバーコード読んで入れる改札が反応しない。人に聞いてもよくわからない。

電子掲示板を見ると恐ろしいことが書いてあった。

Cancelled departures = キャンセルされた出発便
ここに、ハノーファーの名がしかと記されとる

???????????

特に航空会社からメールも何も来ていない。何が起こったか即座に理解できなかった。思ったより動揺している。
とりあえず係員に聞いたら列に並べとのことだ。

な、並ぶか…リブックせんと…と思ったが、

列が、な、長い…長い…!!!!

(ここから6時間近く並ぶことになる、そして結果は最悪だった)

他の人に教えてもらった話を統合すると、ヒースロー空港は元々悪名高くさらに私の乗ろうとしたブリティッシュ・エアウェイズはひどいらしい。
さらにイギリスは欧州でいち早くコロナ対策・入国規制を撤廃した国。結果多くの人が久しぶりのバケーションの出発地・経由地にここを選んだが、コロナ禍の従業員一斉解雇で人手が全然足りていない。複数重なりひどい状況になっている。

以下のリンク記事はこの日よりも少し前の状況だが、サムネイルからも空港のカオス状況が見れる。

記事最後の文を読むと、
Nicole Venglovicova, 31, missed three separate flights to Belfast from Heathrow and is concerned she will not get a refund of approximately £500 she has spent trying to sort air travel. She said: "I had a meltdown, I was crying outside the airport out of stress."
このNicoleさん、3回フライトを逃している。そして「ストレスで空港の外で泣いた。」とあるあたり泣ける。

しかし、私も泣く羽目になるとはまだ列に並んでる時点で気付いていない。


私は取り敢えず列に並び始めた。進むのがやけに遅いため、みんな地べたに座っている。私もひどく体が重く感じて、地べたに座りながら待つ。途中、知らない人同士が声を掛け合って「自分はアメリカに行く途中だ」とかなんとか話し合っている。
どこかで航空会社がお菓子や水を配っていたようで、それを貰いに行って他の人にも配り歩いている人がいて、私も水のボトルとお菓子を貰った。何も持っていなかったのでありがたかった。その人は荷物を置いて列を離れる時、「荷物見といて!」と私に声を掛けた。「いいよ〜」と言った。

こういった事態での声かけの仕方は見ていて非常に使えるなと思った。しばらくこれを真似しようと思った。

2、3時間程待ったか、わからないが、列が半分も進んでないところで、「みんな移動して〜〜〜〜〜〜違うところで手続きするよ!」と誘導される。この並んでた時間なんだったん?とりあえず移動。一旦入国審査ゲートを通り(ここでも並んだ)、出国ターミナルへ。

そして再び出国ゲートにて並ぶ。さっきより人が少ない。別の所にも分散しているようだ。しかし進みは非常に遅い。すると前に居た人が話しかけてきた。

「あなたどこに行くの?」

その人はアメリカに帰る予定で、心理学者か何かだったたしか。名前はクレア(仮名)。クレアとはしばらく話して、私の作品も見せたりしてインスタグラムもフォローし合った。ちなみに私の英語力はこの時かなり拙く(今もそう変わっちゃいないが)ドイツ語もすごくペラペラです、とは言い切れんがとにかく英語の方が自信なかった。にしても丁寧に話を聞いてくれて、さらに見兼ねてリブックの手続き手伝ってあげるよと言ってくれ(!)、すごく柔らかく親身な人であった。

そんなこんなで2時間ほど待ってクレアとリブックの手続きに。チケットを見せる。怪訝な顔の係員。私のチケットはJALで乗り換えのブリティッシュ・エアウェイズも合わせて取ったものなのだが、係員はどこかに電話してごちゃごちゃ話している。よくわかってないみたいだ。
そしたらまさかの「これはうちで出来ない。JALのカウンターに行け。」と言われた。
現在22時。開いてんのか…?ていうか16時半頃から並んでこれかよ…。

とりあえずこの時間だし、私はこの空港に泊まることに決めた。クレアは明日のチケットが無事取れ、一緒にベンチで寝ようと言うことになった。

ちなみにこの出来事は逐一ツイッターに書いていたのだが、この友人の一言はかなりありがたかった。

こんなんおもろさしかないよな〜〜〜〜と元気出た。


そしてとりあえす腹ごなしの前にJALのカウンターまで行ってみることにした。JALのカウンターはターミナルが違うため、電車で移動。

JALのカウンターはごく小さく、すでに閉まっていた。「フライトの時間帯のみ開く、緊急時はここに電話しろ」というようなことが書いてある。とりあえず明日朝、電話が通じる午前11時から電話してみることにした。

その後、クレアと合流して売店で買ったご飯を少し食べる。喉を通らない。この時点で明日以降私のハノーファー行きがどうなるか決まっていない。
フルーツを少し食べて寝ることにした。ベンチは硬いし夜は寒いが、今はとりあえず寝よう…。


(つづく)



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