新しい生活
読むという事は、自身の中で情報を再構築するという行為であり、それらの情報を目で読み取るか耳で聞き入れるか果ては別の行動で摂取するかのどれかである。だからこそ、僕は読む本ではなく、飲む本を描く事が出来た。
情報さえ入手できれば、その方法はなんだっていいのだから。
君は僕を読み、僕を書き、僕を知り、僕を語る。
君は僕を読む。
僕の作品を読み、理解しようとする。僕を担う僕の思考の全てをその内部に取り入れ、分解し、君の自論を持って僕を再構築する。まさに、食物の摂取と同じだ。ぐちゃぐちゃに咀嚼された僕は、君の内部でどろどろに溶かされ、君の内部を血となり肉となって巡り巡り巡る。心臓から始まり、動脈を通り暖かな内臓や、冷たい手足を巡り、静脈を通りまた心臓へ戻る。それを幾度かくリ返した後、肺胞を横切り、脊髄を登り、君の脳に到達して、一個体の細胞からゆるやかに成長を始める。
君という母体に育てられた僕は、君の頭の中で再び君に出会い、僅かな時を過ごしなおす事が出来るのだ。君の中では僕は死ぬ事はなく、君の薀蓄や説教を君が飽きるまで聞いていられるのだ。
君はそんな僕を自身の小説に描き、僕の存在を自身の内部だけでなく、世間的にも完璧に存在させようとするのだろう。君に与えられた手足を持って、君に与えられた世界を自由に闊歩できるのだ。
そうして生まれた僕を、君は愛しい目で視姦するが如く読んでくれる。なんという幸せで、なんという悲惨さだ。
君は僕を書く。
だらだらと上へ向かって延延と続いていくなだらかな遺伝子の螺旋のように、君は僕を紡いでは壊していくのだろう。ばらばらに分解されていく一方で、再構築されていく自分。最早君なしでは生きてはいけない自分を、君はどう受け入れてくれるのだろう。そう考えると、僕は不安でたまらない。
だからこそ、僕は君の内部にまで深く深く浸透していこうと思う。最早どんな名医にも権力者にも引き剥がせない程深い冷たい所が僕の居るたったひとつの場所だ。
生臭いセックスのように、薄い皮一枚隔てた分厚い擬似的な融合なんかではなく、肉体も精神も継ぎ目の何処にもない完璧な融合がいい。君がある朝途方に暮れたように僕を捨てようとしても、最早其処には僕という存在はなく、ただただ君であり僕である僕が居るだけだ。僕は安心して、君に描いてもらう事が出来る。
完璧な融合を想像した時の僕は、凄く幸せな悦楽的な気分に浸れる。ただ残念なのは、融合した時はもう既に僕の意識は君と混ざり合ってこの快楽を理解する事は出来ないのだろう。
君は僕を知る。
僕を読んで書いて僕の内情を始めて知るだろう。君の中で新たに生まれなおした僕の内情は、全て君に繋がっているのだから。きっとその歪み具合に驚くのかもしれない。君の知らない面を、僕はあまりにも沢山持ちすぎていた。そろそろ明け渡してもいいと思う。
君が咀嚼する度に、肉と肉の間から漏れる僕の毒汁は、君の内部を熱く赤く爛れさせてしまうだろう。蚊に刺されたような、むず痒いなんともいえない感覚に陥りながら、君は僕を思い出し、その度に僕を描く。解毒剤なんて持ち合わせていないし、きっとこの世に存在すらしていないと思う。
僕はまだこの世に存在しているから、君の中には存在して居ない。僕が死ぬその間の期間は、毒の濃さを高める期間だと思う。
フラスコに溜めて、これでもかというぐらい腐敗させて、魔女の鍋のようにぐつぐつと煮詰めるのだ。そうして出来た僕の奇妙な色の毒汁を、君の体の隅々まで引っ掛けてやろうと思う。その時始めて君は僕を知るのだ。
君は僕を語る。
君のその口から僕の事を語る時、僕の高まりを知っていただろうか。その言葉ひとつひとつが僕の衣服を剥ぎ、何時しか僕は裸体を晒して震えている事だろう。怯えた不安げな表情で見上げた僕を、君は嬉しそうに遥か高みから眺めているのだ。僕はそんな君が見てみたい。
君の口から生まれる言葉は暴力であり、陵辱だった。僕の名前を君が呼ぶ事は、セックスをし終えた男が後始末をしながら何気なしに言った言葉と同意語だ。だから僕は君の名前が上手く呼べずに何度もどもってしまう。僕には君の名前を呼ぶ自信がないからだ。
僕は君を満足させる為に、上手く君の名前を呼ぼうと努力する、その度に君は眉根を寄せて不快な顔をするが、その後微かに笑う事も知っていた。その表情は僕にしか理解できないだろう。
君の中で育つ僕は、きっと君の名前を上手く呼ぶ事が出来るだろう。そうして、今度は僕が君を語るのだ。
愛しい君、どうか僕のこの脳を啜れ。
僕を読め、書け、知れ、語れ。
それはまるで、新しい生活。
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