石原さとみの結婚に思うこと

石原さとみが結婚したと聞いた。一般男性と。この慶事に寄せて、2つの意見がある。

「悔しがる」ヤツは何なのか。

いや、何なのか。いるじゃない。男性・女性問わずアイドルやら俳優やらが結婚して残念がり・悔しがり、はたまた怒っちゃったりするひと。

どういう神経なのか。「自分はこいつ(今回であれば石原さとみ)と結婚できる」という、一縷の望みを絶やさずに生きてきたのか。だとしたら無下には出来ない。

しかし、こういう奴らは友人が結婚したらどうなるのか。あるいは、かつて恋慕の情を寄せた相手が結婚したと聞くやいなやどういう反応を見せるのか。ルミノール反応でもするのか。

と、ここまで書いたが、少なくない人が有名人・著名人の結婚を悔しがり/残念がり・怒り・ラジバンダリ・サルバドール・ダリ・なんだりするのは、つまりは次のごとく理由からなのではないでは、と思ったりするのである。

「一般人」という単語の不可解さ

これに尽きるのではないか。何だ、「一般人」て。士農工商の時代はもう終わったはずであり、今更身分で人を語るなと言いたい。こんな記事もあった↓

石原さんのファンとみられる、とあるツイッターアカウントは、「石原さとみと付き合って結婚までしちゃう時点で、その男はもはや『一般男性』でもなんでもない」と、「一般男性」との表現は間違いであるとの認識をツイート。別のアカウントも、「石原さとみと結婚出来る男性は一般男性とは言わないだろ!!特別男性と呼べ!」と、「一般」の対義語と言える「特別」という単語を使って、やはり、「一般男性」という表現に噛み付いている

とのことだが、果たしてこの見解に筆者は疑義を呈する。なぜならこの論評は、石原さとみとの結婚を前提に「特別男性」という定義をしており、これではその他著名人と結婚した「一般人」の謎を解明することは出来ないからである。

だいたい(偏見だが)、「一般人男性」は「IT系企業に勤める」という冠詞があるパターンが多い気がする。果たしてこれら一般男性は、IT企業に勤めて何をしているのか。筆者のカンでは、超すごいテクノロジーをもとにブイブイいわせているベンチャー企業の創業メンバーとかではないか。あるいは「一般女性」と聞くにつけて、筆者はクラブのチャンネーなどを想起する。果たしてこれらは本当に「一般」なのか。

おそらく、芸能人や広く知られていない人のことを便宜上「一般人」と呼んでいるのだろうことは分かる。しかし、そのボーダーはどこにあるのか。

例えば、年収50億円の個人事業主がいたら、一般人なのか。夏目漱石の孫は夏目房之介とかいう漫画家で、玄孫はナントカいうシンガーソングライターらしいが、「夏目漱石の孫の知り合いの結婚式に参加した人」は一般人なのか。一般人だろうな。

もう少しギリギリな線を攻めてみる。黒田清子女史は一般人なのか。今後離婚してまた結婚して、その結婚相手が横浜流星とかだったら、「横浜流星が結婚 相手は一般人女性」なのか、「横浜流星結婚 相手は元皇族バツイチ女性」なのか。

フルチンで町中を闊歩して被逮捕歴のある男が広瀬すずと結婚したら「広瀬すず結婚 相手は一般男性」なのか、「相手はフルチン逮捕歴の前科あり男性(50)」なのか。謎は尽きない。

だいたい一般かどうか、身分を報道することに意味があるのだろうか。だったらむしろ、その男女の出会い方を記したほうが、後学のためではないか。

たとえば、いくら超絶テクノロジーブイブイベンチャー創業者を「一般人」としても、おそらくその出会い方は、そのベンチャー野郎の人脈を駆使した合コンとかだったはずだ。こんな出会い方をみれば、芸能人結婚遺憾ニキ・ネキたちも諦めがつくだろう。

兎にも角にも、令和の時代になっても身分を気にするのはやめてもらいたいもんである。以上、東京都在住の20代一般人男性がふと思い立ったことでした。


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