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がんと『高齢者』③

これまで高齢者のがん治療において、身体面(臓器機能)を中心にお話してきましたが、高齢者の問題はそれ以外にもあります。
身体機能以外で、がん治療を行う際に最も問題になるのは、
認知機能(脳の機能)です。
認知機能障害、いわゆる認知症ですね。

そもそも高齢者とされる75歳以上89歳以下の方では、どのくらい認知症の方がいるのでしょうか?
厚生労働省の推定では、75~79歳の方の13.6%、80~84歳の方の21.8%、85~89歳の方の41.4%とされています。
年齢が上がるほど、その割合はどんどん上昇していきます。

では、認知症ががん治療の場面でどのように問題になるのでしょうか?

以前こんな認知症の方がいらっしゃいました。
前医で『がん』の診断を受けて、抗がん剤治療を検討するために当科(腫瘍内科)に紹介となりました。
「前のDrから何の病気と言われましたか?」と尋ねると
「何も聞いていません」とのこと
ご家族に尋ねると、前の先生からは『がん』であるといわれたのですが・・・と
改めて僕の方から「がんがみつかってしまったようです」とお話したところ、
「え~~!私、がんなんですか!ショックです!」と
そして、次にお会いした時も「がんです」とお話すると
「え~~!私、がんなんですか!ショックです!」とほぼ同じリアクションでした。
自分ががんであることを忘れてしまい、毎回告知され、その都度ショックを受けるって、とても残酷なことをしている気持ちになりました。

これは極端な例ですが、抗がん剤治療を行う際には、治療の目的や効果の限界、副作用などを理解してもらい、いくつかある選択肢の中から自身にあった治療方法を選択していただく必要があります。
場合によっては、本人の価値観に沿って、がん治療自体をするのかしないのかの、生き方の決定を行う必要がでてきます。
認知機能が低下していると、それらの説明が理解されず、治療方法を自己決定することができません。
本人が理解できない場合、ご家族が代理として意思決定を行う場合は良くありますが、正確な意思を反映しているか?は微妙です。

このような状況で抗がん剤治療を行うと、さらに問題が起こってきます。
抗がん剤治療には副作用があります。
治療の目的がしっかりと理解できていないと、通常継続可能なレベルのわずかな副作用でも、治療をやめるなどの決断に至ってしまう場合も多いです。本人には、副作用が出てまでクスリを飲み続けるメリットがないわけですから当然といえば当然かもしれません。

内服抗がん剤の場合、まちがって飲みすぎてしまうと強い副作用が出てしまう場合もあり、きちんと用法通りにクスリが飲めるのか?も重要ですし、副作用が出現した場合、抗がん剤の内服をいったん休止したほうが良い場合もあるのですが、わからず続けてしまいよりひどい副作用に進展してしまう例もよくあります。
また、副作用の対処方法においても、吐き気がでたときに使用するクスリや下痢した時に飲んでもらうクスリをあらかじめ渡しておいても、使いどころがわからず、使用しなかったりしてしまう例も多々経験されます。
つまり、副作用に対する対処がうまくできず、ひどい副作用が出現してしまいつらい目にあってしまう可能性があるということです。

では、認知症の人には抗がん剤治療は危ないからしない方がいいかというとそう簡単には言えません。
なぜか?というと、治療開始前に認知症だと気がつかれていない場合が多々あるからです。

最初の例のように、明らかに認知症の場合は、無理に抗がん剤治療を行っても早期に中止に至ってしまったり、副作用でつらい目にあってしまったりする可能性が高いので、基本的には抗がん剤治療はお勧めしていません(ご家族のサポートが十分にあれば可能な場合もあります)。

問題になるのは、認知症と気がつかずに抗がん剤治療を始めた場合です。

抗がん剤治療を続けていくためには様々な対応が必要です。
医療者としては、説明したつもりになっていて、いざ治療を始めてみると全く対処ができておらず、次に診察に来た時には副作用で大変な状態になってしまっていたり、飲むはずのクスリが飲まれていなかったりして、お互いにびっくりする場面も良く経験します。

「まさか、こんなにひどい副作用が出ると思っていなかった!もうやめたい!」とか言われてしまったりします。

副作用がひどくなってしまったため、入院して回復を目指す場合も、認知症がある方は、入院後に『せん妄』を起こしやすいことが知られています。
『せん妄』とは、意識障害の一種で、頭が混乱した状態になり、場所や時間がわからなくなってしまったり、注意力や思考力が低下してしまったりが急に起こります。
安静が必要な状況なのにもかかわらず、制止を振り切って動き回ってしまったり、入院している理由が理解できず急に退院すると大騒ぎしたりして、周囲を困らせたりなど、提供された医療を拒否してしまうような態度になってしまう場合も多いです。

認知機能が低下したがん患者さんは、がん治療の様々な場面で認知機能が問題となり、治療の継続が難しくなったり、そもそもがん治療の実施が難しかったりしてしまうため、認知機能が正常な同年代の方と比較して、がん治療の効果が低下してしまうことが知られています。

このような経験から、抗がん剤治療を行う前に、改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)Mini-Mental State Examination(MMSE)などのツールを使用して、認知機能を評価した方が良いだろうとされるようになってきています。

このような認知症のスクリーニングを事前に行うことで、一見認知機能に問題がなさそうな患者さんの中からリスクの高い人を抽出し、対策を講じることが可能になるかもしれません。
今はまだ、どの程度の認知機能の方にどのような対処をすれば良いのかまでは正確に判明してはおりませんが、
例えば、下のような対策がとれるかと思います。
①内服薬の管理が怪しそうであれば、点滴の抗がん剤を使用する
②内服薬の管理が必要な場合は、地域の薬剤師さんに訪問薬剤管理を依頼する
③頻回に来院してもらい、副作用に対して病院の方で積極的に関与していく(通常2週間に1回のところを毎週来てもらうなど)
④訪問看護などを利用して、自宅でも対処できているか確認してもらう

他にもまだまだありますが、このような方法は、一度抗がん剤治療にトライしてみたもののうまく行かなかった場合に実施していることです。
しかし、一度失敗しているということは、その1回分の治療にかかった労力や時間、体力などがムダになりかねませんので、予測して準備しておくメリットはとても大きいのではないかと考えております。

「オレは認知症じゃないぞ!!」
「この人は、歳の割にはしっかりしているから大丈夫です!」
とか言わず、
抗がん剤治療を受ける前の認知機能検査にご協力をお願いいたします。

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