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がんによる死への不安は克服できるのか? 第4回

がんによる死への不安は克服できるのか?という問題に対して
これまで3回にわたり色々と考えてきましたが、今回はいよいよ「『死』そのものに対する恐怖心」について考えていってみたいと思います。

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▼毎回ですが、まずはおさらいとして・・・
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がんによる死に対する不安とは、大きく分けて以下の3つから生じると考えられます。

① 自分自身がいなくなってしまう、消滅してしまうこと、つまり「死」そのものに対する恐怖心
② がんが進行していくことで、「痛み」などの耐えがたい苦痛が訪れるのではないかという恐怖
③ 残された家族や仕事(人生のタスク)がどうなってしまうのか?という心配

今回は、いよいよ①に関して考えていきましょう!

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▼知らないことは『怖い』
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そもそもですが、人間は知らないことを怖がる性質があるようです。
これまでの人類の歴史で、我々が知らないことはかなり少なくなってきていますが、今なお「死ぬ時はどんな感じ?」「死んだらどうなる?」など、「死」にまつわることはわからないことばかりです。
ですので、単純にわからないから怖いという部分はあると思います。
どうなるかわからないから、人の話を聞いたり、本を読んだりしていく中で、「死」とはこんな感じかな?って想像したりするわけですが、どこまで考えても「本当にそうなの?」「いろいろなことが言われているからわからないよ」「ヒトによって違うのかな?(個人差)」など思考がグルグル。
結局わからないから、「怖い」という感情だけが残ってしまう感じです。
結局わからないのであれば、「死」は怖くないよって考えてもいいのではないでしょうか?
「臨死体験」をされた方が、「お花畑のようなところにいってきた。とても素晴らしいところだった。」と言っているのを聞くと、そういう所で過ごせるなら「死」も悪くないかもなぁ~とか考えたりします。つまり、死んだら「天国」とか「極楽浄土」とかいう世界が待っているという考えかたです。
「天国」があるとすると、「地獄」もあるかもなぁ~って話になり、悪いことをすると地獄に落とされるといわれますから、「地獄」に行くような悪いことをしたつもりはないけど、閻魔様の気分次第(?)で「お前は地獄だ!」とか言われたら嫌だなぁ~なんて思ったりします。
「天国」があるのかないのか?
キリスト教徒であれば、「天国はありますよ」というのでしょうけど、日本人である僕はそこまでハッキリと「天国」があると考えておらず、あったらいいなぁ~という程度です。
緩和ケア病棟に入所している方に、「死んだらどうなると思いますか?」と聴くと、比較的多くの方が「(天国やあの世と表現される)次の世界に行く」と回答するとのことです。
そして、そこで先に亡くなった大切な人(両親や兄弟など)と再会したいという希望をもっています。
会いたいと思っていた人に再び会えると考えられれば、「死」はただ単に怖いものではなくなり、「死」は終わりではなく、次のステップへの扉のようなものとなってきます。
そういう考え方に至った方は、よく「先生、先に行って待っているからね!」なんて笑ってお話ししてくれたりします。
そういう方に会うと、僕自身も「死」はそこまで怖いものではないなって思います。
ですので、「天国(あの世)」があるとか無いとかを考えるのではなく、あると信じていた方がいいのだろうなぁ~って思いますし、「死」は怖いものではない、通過点に過ぎない、もっと良い世界が待っているという考え方はもっていると楽だと考えます。

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▼死んだら「無」になる?
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「死んだらどうなる?」がわからないというのとは別に、「死」が怖いのは、「死んだら無になってしまう」「何もなくなる」「ゼロになってしまう」というのもあると思います。
せっかく何十年もかけて勉強したり、経験したりしてきたのに、それら全てが死ぬことでなくなってしまう、これまでの努力が無駄になってしまうという思いからくる不安・恐怖です。
簡単に言うと、せっかく頑張って習得してきたのに、もったいないという感覚なのだと思います。
僕が「死」を考える時は、結構この要素が大きいなぁ~って思っています。

とはいえ、結局死んでしまえば全てが無になるから、今やっていることとか学んでいることが無駄であるということではないと思っていますが、子供に「本当にそうなの?」と聴かれたら適切な回答ができる自身は僕にはありません。
この辺のことを深く考えた人が「ニーチェ」だったと記憶しています(虚無主義、ニヒリズムとか言ったはずです)。
「ニーチェ」がどんな結論に達したか覚えておりませんが、僕自身は「死んだら無になるから無駄」というよりは「死ぬまでの間にどこまで頑張れるか試してみたい」という気持ちの方が今のところ強いので、「だからやらない」という選択肢ではなく「やってみよう」を選択している方が多いです。
また、「死んだら無」という考え方ではなく、天国(極楽浄土)に行くために現世で徳を積む、努力する、頑張るという風に考えている方も多いと思います(宗教ではこのような説明がなされていることが多いと思います)。

最近はやっているライトノベルと言う分野では、現世で死んでしまった後に「異世界に転生(生まれ変わる)」して、現世の知識や経験を活用して成功していく話が多いようです。いわゆる「異世界転生もの」が好まれるのも「死んだらおしまい」ではなく、次の世界で「現世」の知識や経験が無駄になるわけではない、きちんと役に立つという希望につながる話だからはやっているのかもしれませんね。
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▼まとめ
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「死」そのものが怖いと言う感覚は、僕が考えるに「どうなるかわからないから」という側面と「頑張ってきた努力が無駄になる」と言う面の二つがあると思います。
どちらの場合でも、天国や極楽浄土のような、次の世界が待っていると考えることにより、不安や恐怖心が和らぐと考えます。
そして、その次の世界が今(現世)より良い場所であればあるほど、現世のモチベーションにつながるのかぁ~って考えました。
ですので僕自身の結論としては、「天国(極楽)」に行けるよう、これからも精進していき、今際の際には「これくらい頑張ったのだから絶対に天国行き間違いなし!」と胸を張れるようにしたいと思いました。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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