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年度替わり、新しい世界へ挑む君へ

夜でもヒルタです。私は、「しあわせな+1時間を 岡崎市」をキーメッセージに、岡崎市を「子育て・福祉・産業・まちづくり」において「日本全国のモデルになるまち」を目指して活動しています。

家族との時間・学び直し・まちづくり活動・趣味や休息等……つまり、自分自身が本当にやりたいことができる時間が、「しあわせ」につながると信じています。積極的に「未来への投資」をし、20年、30年先の岡崎市も豊かで選ばれるまちへ、そんな未来をともにつくる。

ともにつくる岡崎市の未来!

私、ひるた浩一郎は、これまでも何度も年度末から年度明けにかけての新しい世界へ旅立つ経験をしてきました。これを読んでくれている方も、入学・卒業や就職・転職といったかたちで様々な景色を見てこられたと思います。

年度末の最終日に、自分自身の振り返りも兼ねて、過去の自分自身に向けて書いていきます。


◯ 大学で新しい新生活を送る君へ

2006年、18歳だった晝田浩一郎は東京の大学に進学するために、はじめて一人暮らしをすることに。2006年4月1日は土曜日。ギリギリに部屋の入居ができて、はじめての一人暮らしにワクワクとドキドキが同居していた。

長渕剛さんの『東京青春朝焼物語』を聴きながら、東京への想いを高めていたけれども。『とんぼ』を聴きながら、東京駅に降り立ち「花の都大東京」を実感していたけれども。

大学1年生で遊びまくるのではなく、青山学院大学 第2部経済学部に進学した…つまり、夜間部への進学だったので「1年、勉強して転部試験で昼間にうつる」と決意した年度末。

転部試験合格できるのか、大学生活を楽しめるのか、東京に馴染めるのかと不安しかない。

いまでも印象に残っているのが、大学の入学式で言われた言葉。

この中には違う大学に行きたかったと不本意ながら本校に進学した方もいるとおもいます。しかし、この選択が間違っていなかったという4年間にしてください

実際、第2部経済学部での学びと気付きや経験はとてもステキなものばかりだった。1日中、基本的には、転部試験の勉強漬けだったけれども。それでも、全国各地から集まった友人たちと語り合い、笑いあった日々は大学時代のなかで最も楽しかった日々だった。

大丈夫。

転部試験に合格し、2年生から昼間の転部試験にうつるとなった時のワクワクとドキドキ。2回入学した気持ちだったこと。そして、入学後、「憧れていた昼間はこの程度なのか……」と愕然と意気消沈し、しばらく無気力になったことも。

新しい生活では、自分自身が望んでいなかった結果でもその景色はとても美しかった。逆に、必死に勉強してうつった際の望んだ景色はガッカリする景色だった。

それでも、新しい景色に出会えたこと。新しい世界をみれたことは幸せなことだったと、18年経過したいまはおもう。

不安しかなかった大学生活も、振り返るとあっという間に過ぎ去った。大切に自分自身にだけが知っていれば良い楽しかったことも、鍵を厳重にかけて心の奥底にしまっておきたいような二度と思い出したくないことも、色々あったけれども。

就職活動の時に何になりたいのか、30歳の自分や35歳の自分が何をやっているか全く想像できなかった。なんならタイムマシンにのって「いま、こういうことやってる!」って教えて欲しいってホンキで思ってた。

でも、大丈夫。

36歳のいま、全く想像をしないことをしているし、あの頃には想像もできなかった挑戦をしている。

大丈夫。

◯ 新社会人として新生活を送る君へ

2010年、リーマン・ショック後の就職活動を終えて横浜市にある民間企業に就職し、新しい土地で、社会人として働きはじめる。

初任給がマイナス2万7千円からスタートし、大学時代の友人たちが「初任給で親にこういうことをした」というなかで自分は「マイナス3万からスタートで、生活ができないのでお金をおくってほしい!」と社会人早々に親に仕送りを頼む、そんな社会人生活のはじまり。

初任給「‐27,887」と記載された給与明細

(マイナス2万7千円の理由として、その会社が「10日締めの30日払い、かつ、家賃を天引き」といったシステムだったため)

当時のブログをみてみたら、写真がアップされていたけれど、給与明細のマイナスってみたことある人少ないとおもう。

そんな不安な社会人1年目。

あんなことやこんなことが会社でも、プライベートでも、社会でもあった2011年。

新卒で入った会社を1年で辞める。次も決まっていないのに辞める。不安しかない。

社会人として、色んなことを学べたしご縁もいただけた。この会社に入っていなかったら岡崎市(愛知県)との御縁もできていなかった。振り返ってみれば、だけど。なんとかなる。

大丈夫。

◯ 転職活動のため新生活、実家に戻る君へ

2011年、横浜市(神奈川県)から実家のある志摩市(三重県)に戻る。二度と戻ってこないだろうなって思っていたにも関わらず、実家暮らしへ。

転職活動として、「公務員試験」のために勉強を進める。朝起きてからずっと勉強をして、夕方に実家の犬の散歩をして気分転換をするという生活。

先も見えず、試験落ちたらどうするんだという不安。やりたいことも特になく、都会に行くのもお金もないし目標もないから不安しかない。

ドキドキしながら日々を過ごす。大学1年生の時と同じく、ただただ受験生として日々を過ごした。2006年と2011年は同じような気持ちで、ただひたすらに勉強することで不安を打ち消していた。いや、打ち消そうと必死になっていた。

2011年9月上旬に、岡崎市役所から補欠合格の通知が届く。2012年の2月までに繰り上げ合格の連絡がなければ合格取り消し。また最初から。生殺し。不安しかない。

9月末に「繰り上げするけど、どうしますか?」といった連絡がきて、めちゃくちゃ喜んだ。嬉しかった。とりあえず、新しい生活として、社会人として働いていけると思った。嬉しすぎてドッキリかとおもうレベル。

そこから半年間、アルバイトもせず(正確にはバイト先が見つからず)ダラダラとした生活をしていた。ミヒャエル・エンデ『モモ』の時間泥棒たちに時間を貯金しておきたいんだけど、って何度もおもうレベルで時間をムダにつかっていた。時間を貯金しておきたい、本気でそう思った。

不安しかなかった。どうなっていくのか、自分自身がどうなりたいのかもわからなかった。ただその不安を打ち消そうとがむしゃらだった自分のことは褒めてあげたい。

結果が出たことはもちろんだけど、不安になりながらも日々、貫いた自分自身のプロセスを褒めたい。よくがんばった。

大丈夫。

◯ 公務員として新生活をはじめる君へ

2012年、岡崎市役所の公務員として、商工労政課 企業誘致係として働きはじめ民間企業とのギャップ、そして、新しい土地でのギャップに戸惑いながらも。そして、めちゃくちゃ迷惑を先輩方にかけながら、まわりの先輩から心配されるレベルで上司から叱られる日々の公務員としての1年目。

「公務員を舐めてる」としか思えない。いま振り返るとそんな1年目。

自分自身、この時の自分を育てる自信がない。こんな人材が後々「スーパー公務員」って評されたり、内閣府で賞をもらうことになるとはビタイチ思わない。

大丈夫。

人生はちょっとした出会いとちょっとした行動でどんどんと変わる。

たった一人、山田崇さんと出会ったことで。
仲間とプライベートで康生通にある空き店舗を借りて「ここやる」としてまちづくの活動を開始したことで。
様々な出会いを通して「楽しみながら、まず、やってみる!」とアクションを重ねたことで。

大丈夫。

◯ コロナ禍、転職でスタートアップ企業での新生活をはじめる君へ

2020年、8年間勤務した岡崎市役所を辞め、自治体と企業とをつなぎ官民連携の促進をするスタートアップ・ベンチャー企業に転職。

意気揚々と東京へ引っ越しかとおもったら、世界中を襲ったパンデミック。緊急事態宣言で容赦なく出社NGとなり、リモートワークの日々。不安しかない。

なんなら内定取り消しになるんじゃないかとおもうくらいに世の中が不安に。仕事は自分でつくるものだ、という感覚が公務員時代、ここやる時代、Code for AICHI等の活動を通してわかっていたけども。不安しかない。

大丈夫。

武者修行の日々として、日本中の自治体と企業とまちづくりをやっている方々と対話をして、これまでなかった新しい取り組みや政策をつくることもできていった。すごく誇らしい。

もちろん、自分だけの力じゃないことを強く学べた。連携・共創といった言葉の本質と力強さを目の当たりに体感してきた。

大丈夫。

◯ さらに新しい一歩を踏み出している君へ

大丈夫。

これまでの人生でも、不安しかなかった。そして、真摯にひたむきに行動してきた。ぐぬぬ…と思うこともたくさんあった。うまくいかないことも、「どうするの…これ……」と不安におもうこともたくさんあった。

けれどもその気持ちは、きっと、その時にしか味わえない

いまの挑戦の結果はわからない。結果は結果だから。

けれども、いま、感じている感情や経験……助けてくれる・応援してくれているまわりの方々への感謝の気持ちやありがたい、心強いとおもう気持ちは今しか味わえない。

大丈夫。


◯ 大丈夫。きっと、大丈夫。

36歳の自分自身が、18歳年前の自分をみたらどうおもうだろうか……と。年度末の日曜日にちょっとだけセンチメンタルな気持ちで思ってしまったので、言葉として残しておきたいなと。

いつか、自分自身が読み返して赤面しながら「うっわwwww」と思うのも含めて。でも、誰かの明日からの新生活の不安に対して「大丈夫。今しか味わえない気持ちを味わって」となれば良いなと傲慢にもおもう。

18歳で大学進学で夜間部進学で「何が何でも昼間部にうつるんだ!」と不安をかきけしたくて意気込んでいる自分自身に対しても。

22歳で社会人として働くのに不安しかなく、職場が合わなくて不安な想いで働く自分自身に対しても。

23歳で次の就職先も決まっていないのに辞めて「今後、どうすんの…俺……」と不安になっている自分自身に対しても。

24歳で公務員として働き始め、「9時17時でラクな公務員!」とおもっていたら上司からめちゃくちゃ叱られる日々でやっていけるか不安になっている自分自身に対しても。

32歳でまた民間企業に、それもスタートアップ・ベンチャー企業にうつって、世の中はコロナ禍でどうなっていくんだと不安になっている自分自身に対しても。


大丈夫。きっと、大丈夫。

今しか味わえないその気持を十分に味わって。

大丈夫。





◯ 【岡崎市政への挑戦】ひるた浩一郎が岡崎市の新しい若きリーダーへ、意向表明の記者会見を実施(2023年10月6日)

岡崎市の新しい若きリーダーとして、岡崎市政へ挑戦します。

岡崎市長選に35歳元市職員、昼田さん出馬へ デジタル化に意欲‐中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/774644

過去か、未来か、どちらをあなたは選びますか。

市長が変われば、市役所が変わる。
市役所が変われば、まちが変わる。
まちが変われば、未来が変わる。

岡崎市の未来をともにつくっていきましょう!

記者会見の動画や想いをまとめています。ぜひ、ご覧いただき、あなたの声を聴かせてください。

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