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他人の人生や運命まで背負い切れない

ちょうど昨日わたしは映画やドラマやアニメを観ないし、本や漫画も読まないってツイートをしたんですがその話をちょこっと

流行りを拒みたいとか見たり読んだりしない自分がイケてるとかじゃなくて、純粋に疲れちゃうんですよね、

わたしはわざわざ何かの媒体を通さなくても日々の生活の中で「嬉しい、楽しい」より「悲しい、辛い」みたいなネガティブなものばかりに目がつくというか、気持ちが動く人間で
例えば、売れ残りの見切りシールが貼られた痛みかけの野菜や、最後の1口で食べ切れなくなってしまったごはんや、片手袋とか道に落ちてる誰かの落とし物とか切り花とかぬいぐるみとか
そういう全ての物から負の感情を感じて悲しくなってしまうんですよね

これらのものよりさらに刺激が強く感じるのが人が死んだニュースや天災や殺人事件の再現とか
人が死んだ話で生前の映像が出たりすると「この人もう死んじゃってるのか…」っていう言い表せない複雑な感情を抱いたり、虐待や殺人の詳細が明かされたりすると暫くは忘れられないし考えてしまうし想像してしまう
あとは、野生動物のドキュメンタリー映像とかもなんとも言えない気持ちになってしまって苦手です

そんな感じでただでさえ日常生活でこんなしんどい気持ちになったりするのに映画やらを観たり読んだり出来る心の余裕がない、、

え?ハッピーなのたくさんあるじゃん!と思うかもだけど、どんな物語にも、大小様々なハプニングシーンみたいな場面あるじゃないですか、その部分がダメなの
ニモでいう迷子になったりラプンツェルで言う捕まりそうになるところだったり(例えがディズニー映画ばかりですみません…唯一だいたい1回は見てるので)
あとはやっぱりフィクションノンフィクション関係なく人が死ぬのは本当に無理ですね、

別にあらゆる物たちもテレビもドラマもニュースも映画も本も漫画もそんなつもりは全くないだろうし、わたしが勝手に背負ってしまうだけなんだけど他人の人生や運命まで背負い切れないってなっちゃう、これが答えですね

でも、昔は本よく読んでいた覚えがあって赤川次郎のミステリーコレクションとかサスペンス系?とあんびるやすこのなんでも魔女商会シリーズが特に好きだった
後者は関係ないんだけど、昔は刑事物とかサスペンス系のドラマも好きだった 相棒とか科捜研の女とか でも、いつからかはわからないけど、結構前からさっき書いた死んじゃったなあ、は感じてた気がする
し、野菜やごはんや落とし物やお花やぬいぐるみに対する感覚もあったと思う、これは物心ついてから多分ずっとある感覚

ちなみにこれらにどういう感覚を持っているかというと、
見切り品と食べられなかったごはんは、食べ物なのに、一緒に並んでいた同じ料理だったはずなのに自分だけは食べられずに捨てられるということ
お花は生きてたはずなのに切られて人に綺麗と言われてるの切ないよね、、
落とし物は寒いし暑いし眩しいし暗いし冷たいし熱いし、捨てられちゃったと思っちゃうし悲しい
ぬいぐるみは買う時がメインで、顔とか個体差あるから選ぶのよくある話だと思うし一応わたしも気にするんだけど、結局最初に手に取った子以外はほぼ触れない(なんとなく目視では比べる)まま最初の子に決める その理由は見た目じゃなくて一旦手に取られて買われるのかもって思ったのに、棚に戻されるのすごくどん底に落とされたみたいな絶望的な気持ちになるから
野菜とごはんと落とし物とぬいぐるみはそれらとして書いてしまってるけど、その感覚なんだろうなあと思う 気持ちがそっち側に行ってしまうみたいな、ね そんなとこ


こんな感じで日々勝手人生や運命を背負ってしんどくなってる人のお話でした
でも、語彙力や表現力がやっぱり欠けていると感じるからエッセイとか児童書とか読めそうなものから読んでいこうと思います
実は本が読めない全然違う理由にどこ読んでるかわからなくなるっていうのと、読んでるはずなのに話が入ってこないっていうのもあるんですが…がんばります!


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