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君は君で君の、君だ。

いきなりゲシュタルト崩壊するみたいなタイトル。
どうせならデカルトの言葉を拝借して「我思う故に我あり」みたいな方がかっこよかったかもしれない。

私は出産と共に働く時間がなくなって、偶然ホームセンターで見かけたレジンというものを使って、ハンドメイドアクセサリーを作るようになった。

レジンは色々種類があるのだけれど、扱うのは透明な樹脂で紫外線により、硬化する。小さなアクセサリーを作るのならば、ジェルネイルのランプで加工出来るUVレジンが主流。

私も小さなUVランプを買って、小さな作品を作り始めたら、可愛いなと思えるものが出来たから、あまり後先考えずに販売も始めてみた。

「保育園落ちた日本死ね」がTwitterやインターネットで話題になった頃。

私も最初は保育園に子どもを預けて、雑誌に書いてあるキラキラワーママを思い描いていた。
何よりそれまで働けば当たり前に「ありがとう」の言葉やお給料と言った報酬が毎月貰えていたのに、専業主婦になった途端、誰とも話さず、ただ泣いてばかりの赤ちゃんのお世話をして、食事もトイレもままならない生活が嫌だなと思って保活した部分もある。

だから、ハンドメイドアクセサリーを作って、いわゆる作家としてゆるゆると戦略も持たずに、ただ楽しくECサイトに登録していた。

赤ちゃんはお昼寝もしないし、いつも暴れて外では謝ってばかり。夜泣きもするから、夜にふらっと散歩も出来なかった。主人もはじめての赤ちゃんを預かるのは嫌がったし、預ける両親もいない。

育児以外のことをしてみたかった。

当然、ECサイトには何万という作品がひしめく中、何もしなければ売れる訳はなく、聞きかじったTwitterに登録して作品をツイートしたりし始めた。

その時につけた作家名が「昼寝猫」で、そこにも大した意味はなく、自分を育休中の猫好きだから…昼寝している猫ってしよう、と安直に決めただけ。

hirunenecoがhirunenekoじゃないのも、まずパッと見てスマートだし、強いて言うならcoに「共に」というニュアンスが含まれるから、hirunenecoにした。

元々、文学部を出て、就職したら納棺師となり、技術も知識もなければ、コネもない。

そんな中、運良くECサイトの特集に載り、少しだけ名前が知れたりした。ような雰囲気になっていた。

でもそれはハンドメイドアクセサリーに興味がある人や一部の作家さんの間でというだけで、世間一般では当然無名だし、昼寝猫の名前が通用するはずもない。

一方で、くっつけたり貼っただけのものをハンドメイド作家として売るのは詐欺だとしつこくメッセージをくれる人もいた。

最近はクリエイターもきちんとお金を儲けて、活動をきちんと続けていこうという風潮になってきたけれど、当時はハンドメイドアクセサリーは安価なものというイメージがあるのか、原価の数倍はやっぱり金儲けしか考えてないサイコパスみたいに言われたりもした。

送ってくるのは叩き垢というやつで、基本的に誰かや何かの愚痴を垂れ流していたり、揚げ足を取ったりしながら反応を楽しんでいる感じだった。

ただ、当時有名ブロガーがそういったアンチに本当に刺されたというニュースもやっていたし、念の為、弁護士さんと警察には報告したりしていた。

幸いにも遠方に住んでる人が2.3人でたくさんアカウントを作ってやっているようだったので、ログを保管しつつ、終息を待った。

それに、そのアカウントの人達には、みんな配偶者や子どもがいるらしい。

ただ、そうなると当事者ではない周りの人は、別にどっちがどこまで正しいかというより、巻き込まれたくないから距離を置いたりし始める。

周りの人が関わってきてくれたのはECサイトの特集に載る昼寝猫で、厄介なものに巻き込まれている私そのものには興味なんてない。

剥がされる程の化けの皮もないし、自分では他よりちょっと頑張っている主婦、くらいの自覚だったので、事の顛末に驚きつつも、同じ市場にずっといる事の危うさみたいなものを感じた。

自分は変わらずとも市場は変わり、市場が変われば世相も変わるとその時やっと気づいた。

素人が手探りでやろうとするマーケティングはモザイクみたいなもの。
本質が見え損なって、よくわからないけどワクワクする、みたいな。

ホログラムっていう、プログラムしてキラキラさせるものもある。
モザイクとホログラムって似て非なるもの。

ホログラムにさせるべき所を、モザイクにしてしまいがち。

とっても危険だなーと思っている。

だから、ハンドメイド以外の事を知りたくて、畑違いのオンラインサロンにここ2年くらい入会してみると、世界がぐっと広まった。

良い意味で、相手の常識は私には未知で、私の当たり前が相手には見知らぬものだったりする。

でもやはり、オンラインサロンでも見誤ってしまうと「何者かになる」と思い込む人もいる。

こうして誰もが気軽に色んな事を発信したりクリエイト出来るようになって、それがバズったりしたらみんなが飛びつく。

それまでのぼんやりした生活なんて、きっとかすんでしまうかも。

でも、その与えられた「何者かになる」場所は自分が最終的に帰る場所になりうるか、を問いたい。

コロナウイルスの影響で、不要不急のモノの自粛が呼びかけられて、そうなった時に手のひらに残っているモノはなんだろう。

それが一番大切にしなくちゃいけないもので、あとは虚構である事がほとんどだ。

君は君で君の、君だ。

「何者かになる」なんて必要ないし、一瞬あがる花火は魅力的だけど、その花火が散って静けさを取り戻した時に横にいる人は誰だろう。

ふっと隣を見た時に、その人が笑っていれば良いけど、泣かせていたら、ちょっと軌道修正をする時期なのかもしれない。

色んな事を経験しつつ、結局私はまだハンドメイドアクセサリーを作っています。

あれから思った事は同じ悩みを抱えながら、脱落する作家さんもいたり、悩みながらもがいている作家さんもいたり、そんな人が集えるコミュニティを作っていきたいなと思っています。

全部を糧にして進んで行けるように、私は私の大切なものを心に留めながら、活動していけたらと思っています。

アクセサリー 製作や諸々のクリエイター活動に還元させて頂きます。応援よろしくお願い致します。新しいこと。新しいもの、勉強していきます。