自分の職業病を受け止める

私は、ずっとニッチな仕事をしてきた。コンプライアンスの中の人。ざっくりといえば、ITプラットフォームの、見えない敵と戦う人。一時期は、肩書をabuse fighterにしようと思ったこともある。ストリートファイターみたいな。10年以上ジムに通っているのに、春麗のような筋肉質な脚にすらなれていないけれど。

会社員の合間に、思い立って児童福祉を深めたいと保育士資格も取ったので、子どもの権利や健全に対してもアンテナを張るようになった。コンプライアンスと保育士は、直接的にはつながらないが、要は、私は、大学院にいた時代から、何かに没頭すると、そればかりやってきた深堀り人間だ。

大学院に2つも行き、研究だけをしつづけ、就職活動のベスト期を逃したので、社会人としてのスタートも遅い。当時は、日系企業は表向きは多様性を歌いながら、裏では年増の女子学生は就活で落としていたのことが多かった。その時も現実に絶望したが、以前、「不幸であることが幸運かもしれない」の記事で書いたように、絶望は未来への希望になりえるので、先々を考えずに、今を生きたほうが良い。

私は、ストリートファイターもとい、abuse fighterとしてネットで戦ってきた期間が長いので、中年になってから、心理的につらくなってきた。自分のendurance levelというか、耐久性がこれ以上上がらない気がしてきた。並行して、かしまし三姉妹の育児もある。彼女たちは、長女はホルモンバランスを理由に、次女は感情を理由に、三女はイヤイヤ期を理由に、私の生活にストレスを与えてくる。いっそのこと、私が長女になり、ホルモンバランスを理由にごねてみたい。四姉妹の長として。私も、生理も更年期も卵巣の腫れもあって心身無茶苦茶だから、キレていいですか、と横柄に生きてみたい(実際にはそれは保護者として、育児放棄、児童虐待につながるので不可能なのだが)。

たまには、ゆっくり休みたいのに、かしまし三姉妹の誰かが風邪や怪我やトラブルを起こしては、その対応に追われるという、永遠にケアラー側から抜け出せない。そして、ネットのトラブルや炎上のニュースがあれば、ふと意識がそちらに向いてしまう。職業病から抜け出せないので、脳が休まらない。

私は、外からはキラキラしたワーママだと思われているのだろうか。
現実は、美容院に行くこともできないおかんなのだが、一旦、職業病から抜け出せない自分を認めてあげるところからはじめようと思う。





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