好きと仕事

「好きなことを仕事にする」のと「仕事を好きになる」のはどちらが大変なんだろう。

要は考え方なんだろうけど、「好きなことを仕事にする」のは自分の好きなものを事前に分かっている必要があって、それに基づいて仕事を探す。
好きなものを見つけること自体が一筋縄ではいかないし、例え見つけていたとしても、好きなものに固執しすぎれば選べる仕事の幅は狭くなる。しかもその仕事に就けなかった場合の虚無感はかなりのものになるはず。

一方で「仕事を好きになる」というのはかなりのポジティブ思考か、あるいは本当に運がいいかのどちらかでないと成立しない気がする。
不本意ながらたどりついてしまった場所でもそこの良いところを見つけて好きになるというのは、そういう性分の人には簡単なことかもしれないけど、そうではないとすると相当なエネルギーと自己暗示が必要そうだし、かといってそれまでの人生で出会ったことのない「好きになれること」に仕事という場で偶然出会えるなんて、なんか本当に運命の相手を見つけるようなもの。宝くじより難しいんじゃないかと思う。

確かに、好きを仕事にした人はいる。テレビや雑誌やウェブメディアでドラマチックなエピソードと一緒に「努力すればかなう」とか「好きでい続けることが才能」とか伝えている。それは本当にそうなんだと思う。その考えを否定するつもりはないし、否定できる立場にもない。だけど、ネットで誰かが言っていたけど、そこには生存バイアスがかかっている。好きと仕事が結びついたごく少数の人が多くの場面で脚光を浴びているだけ。総数は結びつかなかった人のほうが圧倒的に多いけど、そういう人の声は世の中に広がらない。だって夢がないから。
生存バイアス、確かにそうだよなぁと思った。生き残った少数の物語ばかりが出回るから、それが多数派だと勘違いしてしまっているけど、そうじゃない。好きと仕事は結びつかないことのほうが多い。

だからもうどっちも大変で、「好き」と仕事を結びつけないほうが悩みは減る。諦めれば丸く収まる。実際問題、好きにならなくたって仕事をする理由はいくらでもあって、生きていくため、家族を養うため、趣味を楽しむため、自分の居場所、承認欲求、世間体…なんだっていい。「好き」と仕事を結びつけたがるのは、進路を紙に書いて提出するような学生までにしておいて、大人になったら割り切ることを覚えたほうがいい。

思いのままに書いていたら話が逸れたけど、「好きなことを仕事にする」のと「仕事を好きになる」のはどちらが大変なのかという話。
結論、好きと仕事を結びつけて考えようとすること自体が“かせ”なのではないかと。どちらが大変とかそういうことではなく、それよりももっと前の段階。
好きと仕事を結びつけようとするから大変になる。その“かせ”を外さない限り、苦しくて深い水の中から抜け出すことはできない。だから諦めてしまえばいい。諦めればすべてが丸く収まる。

だけど、こうも思うわけで。

「諦めるのは簡単だ。諦めれば楽になる。楽になりたい。楽な人生がいい。誰だって苦しいのは嫌だ。楽しく生きたい。だから諦めよう、そうしよう。
ただ。ただ、諦めてしまえば、諦めなかった先で見えたはずの景色を手放すことになる。楽になる代わりに逆転勝利は望めない。
だから諦めるには覚悟が必要だ。自分が特別だった場合の、砂つぶほどの可能性を捨てる覚悟。それがあるなら、諦めればいい。それが、あるなら」

だから諦めるのだって大変で。だから結局、生きることが大変。