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セクシー田中さん問題の2つの調査報告書を比較してみたら実際に何が起きていたのかが見えてきた話

2024年1月29日。とんでもなく悲しい事件が起こってしまいました。数日前からSNS等で大炎上を起こして話題となっていた漫画『セクシー田中さん』の原作者、芦原妃名子さんの訃報が報道された日です。

私はドラマや漫画好きなので、この話題への関心が高くて、SNS問題が拡散されてから芦原先生を応援する立場で X で発言していましたが、こんな事になってしまってとても残念で、こんな悲劇は二度と起きて欲しくないと強く強く願っています。

それと、なぜ芦原先生は自死を選択しなくてはならなかったのか。聡明な人柄であり長年に渡って多くの作品を残してきた原作者が、自死を選択するからには、それなりの理由があるはずです。できるだけ詳しく知りたいと思っていたところ、思いがけず小学館からも調査報告書が出てきたので、両社の調査報告書を比較すれば何か分かることがあるだろうと、やってみることにしました。

みなさんは「原作ドラマ化に当たり日テレや脚本家が、芦原先生の意志に反して自分たちの都合に合うように原作を改変しながら強硬にドラマ制作を推し進め、それに傷つき疲弊した結果、芦原先生が自死に至った」などと思われているのではないでしょうか?

私は以前、そういうイメージを持っていました。でも今は、この話は「間違っている」と確信しています。それを2つの調査報告書を比較した Excelファイルを元に説明していきます。

めちゃくちゃ長いnote記事になりますが、最後までお付き合いいただけるとありがたいです。第二の芦原先生を生み出さないためにも、どうかよろしくお願いします。


比較方法について

早々に社内特別調査チームを立ち上げた日本テレビが5月31日に、それを受けてなのかは不明ですが事前告知をしていなかった小学館が6月3日に、それぞれ調査報告書を公表しました。この2つの調査報告書は両方とも約90ページあり、芦原先生が自死に至った理由が存在すると考えられる詳細なやり取りが約1年間分、客観的かつ正確と思われる内容で記載されています。

ですが、自己弁護や相手方を責めるような記載も随所に施されているので、片方を読むと相手が悪いような印象を受けてしまいます。それをある程度、排除できないものかと「いつ何が起きていたのか?」という出来事を抽出して並べ替えた「時系列」シートを最初に作成してみることにしました。

「時系列」シート

左が日テレ(制作側)、右が小学館(原作者側)です。中央の2つの温度感の列は、登場人物の心情などを自由に記入できるmemo欄です。理解を深めるためにご活用ください。このシートは大変長いので、記憶を留める意味でも自由にメモできる温度感の列を用意しました。

次に「時系列」シートを元にして他の5シートを作成し、これらを1つのExcelファイルにまとめました。2つの調査報告書と共にダウンロードしてご確認ください。特に「時系列」シートは、みなさんの時短に役立つと思います。下記はExcelにある6シートの名前です。

  1. 資料概要

  2. 時系列

  3. 時系列+対比箇所(ひるべえの感想や偏見が多い)

  4. 登場人物

  5. 特長まとめ(ひるべえの感想や偏見が多い)

  6. スケジュール概略

上記3と5のシートは、私の価値観や業務経験に基づく「感想や偏見」が多く含まれているので、気に入らなければこれらも無視して結構です。その他の1,2,4,6の4シートは2つの調査報告書から客観的事実を抜き出したものであり、私の「感想や偏見」は含めていません。

スケジュール概略

これらを使って、この悲劇の裏側で「実際に何が起こっていたのか?」をみなさんもぜひ想像してみてください。みなさんが想像することが再発防止に何より効くことだと、私は信じています。

この比較に当たり公平を期すため、私は原作漫画もドラマもまったく観ていません。どちらかを気に入ってしまうと判断が偏ると思ったからです。そのため作品内容については触れていませんし、原作者にも脚本家にも努めて忖度せずに Excelファイルにまとめました。

亡くなられた原作者に対して厳しい表現をしているように見えるかもしれませんが、無関係な第三者目線で公平かつ率直に考えた意見をまとめたつもりです。ご理解のほど、よろしくお願いします。

「時系列」シートを作ると大まかな流れが明らかになる

2つの調査報告書ですが、両方とも40〜50ページを使って約1年間の詳細かつ具体的なやり取りの内容が記載されており、その一部は時系列がぐちゃぐちゃに崩れているので注意して並べましたが、予想より地味で膨大な作業でした。確認を延々としながら約2週間をかけて行いました。

膨大な日付の確認と要点を抜き出す貼り付け作業をしている最中に気づいたのですが、双方でやり取りしている期間と片方でしか語られてない期間があります。恣意的にそういう報告書になっているのではなく、実際のコミュニケーションが、双方で頻繁にやり取りされていた期間と片方だけが進んだ後、次にもう片方に移るということを繰り返していた期間があるという事です。

双方が頻繁にやり取りしていたのは、ドラマ制作が開始されてから脚本が完成するまでの揉め続けた期間(2023年4月〜11月)で、片方進行して交互に進むのは、最終回放送が迫っているクレジット問題やSNS問題が起きた期間(2023年12月〜2024年1月)です。

双方が頻繁にやり取りしていた期間では、自己弁護や相手の責任追求をする記載が多くありますが、それらが効果を打ち消し合って印象操作に惑わされにくくなり、起きた出来事をより客観的に確認できるようになりました。概ね日テレ側は原作者の要求をかわして自分たちのアイデアを取り入れたい感じで、原作者側は手を変え品を変えて「原作に忠実に」作らせようとしています。

日テレ側は原作者側を舐めているというか全体的に楽観的なのですが、中盤頃には原作者側の強い指摘や要求が度重なってきたのもあり、プロデューサーが虚偽発言をして要求をかわそうとする場面まで出てきました。結果的にバレて撮り直しするハメになっていますが、穏便には済まないギスギスした状況が見えます。

双方にやり取りしていた期間の一例

次に、片方進行を交互に繰り返していた時期は、両社の動きを左右に並べたことにより、お互いの行動を補完し合って全体的なまとまりとして把握できたので、どんな流れだったのかがとても理解しやすくなりました。

ドラマ放送が最終回に向かって盛り上がっていく裏で、脚本家がいきなり弁護士を呼んで世間に訴えるぞ!などと、かなり深刻な状況となっていて読んでいるだけでも胃がキリキリしてきます。そして最後に悲劇の1月29日を迎えてしまうわけです。

片方進行を交互に繰り返していた時期の一例

ザックリした経緯1~14

Excelファイルにある「時系列+対比箇所」シートを元にして、私が考えたザックリした経緯(1~14)を下記に記します。

  1. 当初から原作未完なのでドラマオリジナルラストの脚本を重視して開始

  2. 脚本制作して早々に、利害関係が一致しない制作側と原作者側にいろんな齟齬が出る

  3. 原作者が、なぜか早い段階で脚本家をロックオンする

  4. 脚本制作が始まって7件の揉め事が立て続けに発生

  5. 契約書は放送終了後まで未締結であり、強制力のあるリスク回避はできず、強権を持つ原作者の要求に全体が振り回され始める【後述1】

  6. ドラマオリジナルラストが近づくにつれ、原作者側が制作側に不信感を高めて脚本家交代を要請(これは越権行為と考えられる)

  7. クレジット問題が発生(脚本家は日テレ側に見捨てられ、すべてのしわ寄せを喰らった格好【後述2】)

  8. 脚本家交代というか脚本を原作者が書いてトラブルは一旦収束し、良い雰囲気が流れる

  9. 納得できない脚本家がインスタで投稿して主張公開(これがSNS問題)

  10. 9に反論するため、小学館社員が協力して原作者がブログでアンサー公開

  11. メディア注目、SNSで大炎上。類を見ない盛大な脚本家叩きが始まる

  12. 10,11 の2つ(あえて9は除外)を苦にして原作者自死【後述3】

  13. 日テレと小学館がそれぞれ特別チームを作って調査開始

  14. 両社が調査報告書を公開して、再発防止を誓う

繰り返しになりますが、この14ステップは2つの調査報告書を比較した「時系列+対比箇所」シートをベースにして私が考えてまとめた経緯の流れとなります。実際の状況と異なる部分が多々あると思いますが、その点は何卒ご理解ください。

とはいえ、SNSやネットで飛び交う情報を元に持ったイメージよりかは、はるかに実際の状況に近い「ザックリした経緯」という自信があります。2つの調査報告書から出来事を抽出した「時系列」を根拠にしていますので。

ぜひ、この「時系列」シートを使って私と同じように、あなた自身の目で実際に何が起こっていたのか? を考察してもらいたいです。

みなさんのイメージと大きく異なるであろう3点

上記の14ステップには、みなさんが持っているイメージとは、大きく異なるポイントが3つ(上記の【後述1~3】)あると思います。

【後述1】「強権を持つ原作者の要求に全体が振り回され始める」

一つ目は、項目5の【後述1】「強権を持つ原作者の要求に全体が振り回され始める」です。原作者は「原作に忠実に」ドラマを作るべきという強い信念を持っていたようです。これは原作漫画が未完であり、ネタバレなどして原作ファンをガッカリさせる事態を何よりも避けたかったなど、原作ファンを大事に考えた思慮深い理由があったと思われます。

そのため、原作ファンを考慮してそうにない日テレ側とすぐに利害関係や認識に齟齬が生じて、脚本家が降板するまでの間に7件の揉め事を起こしながらドラマ制作が進行します。原作漫画の連載も同時並行しています。原作者に余裕はなく疲弊して大変辛い状況にあったと考えられます。ドラマの最終回放送日(2023年12月24日)は決まっているので時間に余裕はありません。

なので原作者は9月中旬以降、Huluのスピンオフを監修しない/ドラマの二次利用を認めない(テレビ放送やDVD発売、動画配信等を認めない)と言い出して、日テレ側に強い圧力をかけて性急に事態を動かそうとしました。

2話脚本の修正が進まないのでHuluスピンオフ監修をしないと発言している時期

日テレ側の態度や理解度は改まらないし、時間が無くて手間をかけられない状況が焦りを生み、権利関係を匂わせながらの強い要求してしまったようです。パワハラと言えばパワハラになるのかもしれません。個人事業主という弱い立場なので、逆パワハラといった方がより正確だと思いますが。

そして、このように強く圧力をかけた行動がこの後、脚本家を追い込み刺激して、より大きなトラブルを引き起こす土壌を作ってしまいます。

【後述2】「脚本家は日テレ側に見捨てられ、しわ寄せを喰らった格好」

二つ目は、項目7の【後述2】「脚本家は日テレ側に見捨てられ、しわ寄せを喰らった格好」は、脚本家交代要請の直前に日テレプロデューサーが起こした「トラブル6 3話虚偽発言、リテイク(Excel資料上にある独自の項目名)」(2023年10月5日~10月後半)が発端となっています。

プロデューサーが虚偽発言した時期(トラブル6 3話虚偽発言、リテイク)

日テレのプロデューサーが起こした虚偽発言の原因が、脚本家にあると決めつけた原作者が、またもや権利関係をチラつかせながら脚本家交代を日テレ側に強く要求します。ただ、どのような事態であっても原作者に脚本家を変更する権限はありませんから、これは越権行為だと思います。

なぜ虚偽発言の原因が脚本家にあったと判断したのかですが、原作者は「原作で描いた民族舞踊を脚本家が勝手に書き換えたため」としていますが、私は少しも納得できませんでした。脚本は脚本家を含むコアメンバーが考えていましたし、この書き換えが影響したとしても、ドラマ制作責任者でありながら虚偽発言をしたプロデューサーが間違いなく真犯人です。

このプロデューサーは現場スタッフや出演者が2か月間も準備してきたシーンを予定通りに撮影をしたかったから、つい虚偽発言で誤魔化そうとしてしまったと語っていて、バレてすぐに認めたようです。これを脚本家が引き起こしたとして交代要求するのは、話が飛躍しすぎているように思います。

自らが起こした不手際だと認めているのに、原作者から脚本家交代要請をされた日テレ側は、終盤が迫っていて話し合う時間が無いなどと判断して、脚本家にすべて押し付けました。事実上の脚本家降板です。

脚本家に「なんで私なの?」という想いはあったでしょう。ですが放送開始されたばかりのドラマが放送できなくなるかも? という前代未聞の事態を避けるためにも、脚本家がこの理不尽を一旦は受け入れたことで現場に一時的な平穏が訪れますが、後に勃発するクレジット問題やSNS問題へと繋がってしまいました。

【後述3】10,11 の2つ(あえて9は除外)を苦にして原作者自死

ここは、完全に私の私見の塊です。いろいろな考え方があると思うので、みなさんも、ここまでの経緯を把握した上で考えてみてください。原作者が自死する間際のタイミングでもあり、2つの調査報告書に詳しい記載はありません。

原作者がアンサーを公開した直後から「11. メディア注目、SNSで大炎上。類を見ない盛大な脚本家叩きが始まる」が始まりました。これで原作者は自分が何をしてきたのかを、振り返るきっかけになったのではないでしょうか。

ものすごい大量かつ酷すぎる誹謗中傷や憶測が飛び交ったド派手な脚本家叩きによって、数々のドラマを作り出した脚本家の名前は深く傷つけられました。扱う商品は違えど同じ作家業である原作者が引き起こしたわけです。脚本家の作家生命を奪った結果を、原作者はまったく望んでいなかったはずですが、もうどうやっても取り返しはつきません。

11を引き起こした「10. 9に反論するため、小学館社員が協力して原作者がブログでアンサー公開」は、この段階になると、自らの横暴さを自らがまとめ上げた超愚行だったと考えたのでは? と思っています(このアンサー概要は、日テレ調査報告書PDF p.41~43 にあります)。

というのもこの後、聡明と言われた原作者が自死という最悪の選択をとってしまうのですが、死んで償うしかない。許しがたく償いようのない大罪を私は犯してしまった。という自覚無くしては至らない結果だと思うからです。

最初に述べた通り、これは私の妄想です。これを真に受ける必要はありません。私ならこんな認識にならない限り、この原作者はファンに新しい話を届けないといけないし決して自死はしないよな、と思ったまでです。

みなさんは、どのように思われるでしょうか?
芦原先生の最期の数日間を、想像してみてください。

その他、細々したポイントとか

私が「実際に何が起こったのか見えてきた」という主なポイントは以上の3つでした。

ここから先は、細かめの気になった点を挙げていきます。Excelファイルの「時系列+対比箇所」シート右側に「ひるべえmemo」を付けたのですが、それらの中から特に気になる点を取り上げています。興味のある部分を読んでみてください。

実際の現場の雰囲気は、調査報告書から感じるほど揉め続けてはおらず、けっこう穏やかに進行していたと思われる

この手の調査報告書ですが当然、トラブルに至ったであろう揉めた部分を中心にまとめられているので、読んでいると相当揉め続けているように錯覚するのですが、実際の雰囲気はもっと穏やかだったのでは?と思っています。事件に関係ない部分は記載されないためです。

日テレ側の記述を見ると、中盤の8月頃でも「原作者も絶対に譲らない人ではない」といった楽観的な印象を持っていますし、全体的に緊張感を感じるような雰囲気ではなかったのでしょう。

それに多くの登場人物は、このドラマ案件を専属でやっているわけでもなさそうです。小学館の編集者は、同時に別作品の対応も通常業務としてやっていたと思われます。

実際はもっと穏やかな雰囲気だった中で、常に作品と向き合っていた原作者だけがひそかに危機感を増していったのでは?と想像しています。温度感に見えない差があった環境であり、それが解消されなかったから最後まで揉め続けたのかなと思います。

また、気軽に話し合ってミスがあれば謝って許したり、相談すると盛り上がって笑いも出てくる、などといったコミュニケーションが良好な関係性を、2つの調査報告書の中からはまったく想像できませんでした。

ほとんどメールや電話で1対1のやり取りされていたようで、それがクリエイティブな現場なのかと言われると、私の想像とはかなり異なります。せめてオンラインミーティングとかを活用して、細かい匙加減を表情や会話から伝え合っていれば、こんなにキツい指摘や言い訳を繰り返す事態にならなかったのでは。忙しいのが理由の一つだったのでしょうが、忙しさはやはり心を亡くすのですね。

仮に芦原先生の自死が起こらなかったとして、このような雰囲気で関わったドラマ化プロジェクトは楽しかったのでしょうか? 胸を張れる実績だと誰かに誇れたでしょうか? それも気になっています。

そもそも「原作に忠実に」は正しい事なのか?

ドラマは原作に忠実に作るべきだ。これは原作ファンを中心によく見かける意見です。私もそう思っていました。ですが、これは本当に正しい事なんでしょうか?

原作者の方々にも質問してみたいと思いました。
その作品はドラマ化を念頭に置いて完成させたのですか?と。

おそらくドラマ化を考えて作られた作品って、それほど多くないと思います。すでに何本もドラマ化されている原作者であれば、ドラマ化を想定して作品を書くこともあるのでしょうが、多くの原作者にとってドラマ化は想定外に飛び込んでくるビックチャンスなんだと思うのです。

何が言いたいのかというと、ドラマ化を想定してない原作にとって、いざドラマ化するとなると、原作には存在しない想定外の要素や条件が大量に付け加えられます。これが原作改変の原因であり、避けられない問題です。時間や認識合わせを繰り返しても解決できない項目が多く、基本的に原作改変を受け入れるしかありません。

でも仕方ありません。そもそもドラマ化を想定していないので。

想定外の要素や条件の例を挙げると、俳優のキャラクターや活動実績、制作予算(おそらく数億円以上)、俳優を押さえるスケジュール、想定する視聴者や放送枠(尺)、映像/音声/CG/特殊効果などの技術スタッフ、主題歌を歌うアーティスト、テレビ局やスポンサーなどからの要望などなど、山盛りてんこ盛りです。主役だけ見ても原作の主人公にピッタリな演技ができて、主人公のイメージに相応しい活動実績を持ち、容姿はもちろん身長や体重もイメージ通りの俳優をマッチさせることが果たしてできるのでしょうか?

仮に、身長が原作のイメージと違うだけでも、エピソードを変える必要が出たりドラマには使えなくなったりします。「原作に忠実に」は細部にこそ効いてくるので、あれもこれも合わせる必要が出てきて負荷がべらぼうに高まることでしょう。

てんこ盛りの条件を目の前にしてなお「原作に忠実に」と主張するのが正しい事なのか?は私には分かりません…と逃げたくなりますが、あえて踏ん張って言いましょう。それは、虫が良すぎる要求なのではと。

これらの諸条件が大量に加わった瞬間にドラマ化作品は、原作と別作品と言ってよい状態となるはずです。スタートラインがまったく異なるからです。例外として、制作者が原作者の要望にすべて合わせてくれる(もちろん予算も必要なだけ確保してくれるし、ピッタリな俳優陣が揃うまで撮影は始まらない)場合にのみ「原作に忠実に」が許されるのです。

ですが例えば、原作者がどうしてもこだわりたいシーンがあって、その追加費用を原作者が負担するとか、原作ファンがクラウドファンディングなどでドラマ制作費用の一部を出すというのであれば、話は変わってくると思います。こういう負担をすることで「原作に忠実に」を言う余地(権利)が生まれてきます。

同じ悲劇を繰り返さないためにも繰り返しますが、多くのドラマ化作品において「原作に忠実に」とタダで求めるのは違うのではないでしょうか。それが許される作品は限定されていると考えるべきです。制作側の理解や協力、献身など無くしてはできません。

原作ドラマ化を目の前にした原作者がするべきことは「原作に忠実に」ではなく「どれだけ原作のイメージに近づけられるか、伝えたいメッセージをどこに残せるか工夫しよう」ではないでしょうか。

原作ファンがするべきことは「ドラマ化したら、こうなったのか~」と原作との違いを楽しむことではないでしょうか。原作にあるメッセージを見つけ出して楽しむことではないでしょうか。決して、原作とは違う!などと怒ったりガッカリするのではありません。批判やガッカリした声は、第二の芦原先生を生む負の圧力になります。

原作とはスタートラインがまったく異なるドラマ作品を安易に批判をすることは、その原作者の新しい作品を二度と楽しめなくなることにつながります。本当によく考えて発言してもらいたいです。

脚本家の立ち位置について

「時系列」シートを確認していて、登場人物の中で最も振れ幅が大きかったのが脚本家でした。原作改変をリードしていた人物だと思い込んでいたのですが、日テレのコアメンバーの1人にすぎず、単なる外注業者に過ぎない印象を受けました。

脚本制作の手順はこんな感じです。日テレ社員5人+脚本家のコアメンバーが本打ち(脚本打合せの略。全体で30回以上行ったようなので1話当たり平均3~4回。おそらく原作漫画を手にしながら話し合っている)をして、その中で出たアイデアを脚本家がまとめて脚本にする、という流れです。

この形なら、確かに専門の外注業者(脚本家)に任せたくなりますね。単にアイデアをまとめるだけでなく、必要な検証作業やおもしろエピソード等を追加するとは思いますが、脚本のベースはコアメンバー全員で作っています。

脚本家の仕事スタイルが、私のイメージとはズレているのも分かりました。脚本家が単独で最初にたたき台を作って、それをコアメンバーがチェックする形なんだと思っていました。これなら芦原先生が脚本家を責めるのも分かるんですが、実際はかなり違いました。

日テレプロデューサーは、この体制や手順であると何度も説明したと語っています。それを理解しないかのように何度も脚本家だけを標的にして責める原作者側の行動には、強い違和感を感じ続けたことでしょう。虚偽発言の際も、結局は脚本家が原因を作ったんだと告げられた時、頭の中に「?」が浮かんだはずです。

私も「?」になりました。それで私は、芦原先生が過去の映像化作品などで脚本家の方と激しく衝突して、その時の経験からニュアンスが上手く伝わらない場合の犯人は脚本家である、といった何らかの思い込みがあったのではないかと考えました。もしくは、どういう手順であれ脚本にする以上、すべての責任は脚本家にあるとマイルールで決めていた、とかでしょうか。

この見誤りが、本件で起きた多くのトラブルの一因になっています。標的にされた脚本家は本当に運が無かった、という感じです。SNS問題は自らが起こしていますから単なる被害者ではありませんが、それにしても脚本家生命を断たれたのが与えられた罰というのは、少々重すぎるように思います。

クレジット問題の方ですが、9,10話にも脚本家の名前を入れろというのは、1~8話の脚本執筆した者として当然の権利でしょう。これを許さなかった芦原先生の敵意は、相当に強かったと思います。脚本家はどこかのタイミングで何か恨まれるようなことや、失礼などを働いたんでしょうか?

どうしても、そう思ってしまいます。
芦原先生は、なぜ脚本家を標的にしたのでしょうか?
私のこの疑問は、もう明らかにされることはないですが。

日テレのプロデューサーたちは、驚くほど原作者側の話を聞いてない

2023年5月に入って、1話プロットからキャラブレを中心に原作者から指摘が始まり、原作者が9, 10話の脚本を自ら書くまでの半年間、それがずーっと続きます。

半年間もやり取りを続けて、終わりも見えてきているのに、相手の好みをつかめてないことに私は驚愕しました。日テレのプロデューサーとは絶対に仕事をしたくないです(笑)。絶対にイライラすると思うんですよね。

日テレ側は、最後まで自分たちの目的を果たそうとする姿勢に囚われていたように思います。そして調査報告書を作っている段階でも、その気持ちは変わっていないようです。

初めて小学館社員とミーティングした時から、ドラマ化決定についても認識の差が明らかになっています。ずーっと相手の気持ちや考え方を受け止めてないんですよね。

今後、スムーズにドラマ制作を進行させたいなら、好きなように原作を扱ってよいとする原作者を見つけてやるのが、全員幸せになれると思いました。こんなに相手の話を聞けない日テレのプロデューサーたちに期待するのは、時間や労力の無駄でしょう。

日テレや小学館の社員は意外なほど上司に報告せず、限られた少人数で注目度の高い業務を動かしている

調査報告書を見ていると、日テレも小学館も上司にあたる人物(部長クラス以上)がなかなか出てきません。彼らに責任が及ばないようにする忖度なのかもしれませんが。

そんな邪推は置いといて、実際に両社の上司は本件程度のトラブルに顔を出さないし、普段から報告も受けていないというのは、私にはとても意外なことでした。

日テレや小学館が扱う仕事は、世間の注目度が高いものばかりのはずです。それなのに上司は業務フォローをせず、限られた現場の社員で業務が当たり前のように進められています。よく言えば、裁量や権限を与えられてやりがいを感じられる状態になっていますが、リスク管理の面では大きな疑問が残ります。

現実に、本件では度重なる要求に窮したプロデューサーが虚偽発言してしまうなど、その場限りの対応をして事態を悪化させました。普段から組織的なリスク対応ができていれば、この虚偽発言は起こらなかったんじゃないでしょうか。

日テレや小学館はリスク管理の視点を取り入れて、社内の役割分担や人数配置などの組織作りを見直す段階に来ていると思います。ここで見逃したら、また同じようなトラブルが起こることでしょう。

組織作りを見直さずして、制作期間を9か月から1年半に延ばしたところで無駄でしょうね。次の項目が「契約」ですがこれも軽視されているので、リスクが起きれば今と変わらずに解決できず、モヤモヤする期間が延びるだけかなと思います。

クリエイティブな全員が「契約」を完全に軽視している

調査報告書の中で、とあるプロデューサーと思われる人物から「契約するとがんじがらめになって仕事が進めにくくなる」といった発言がありました。また、本件でも最終回の放送が終わるまでに、日テレと小学館の間で必要な契約書が締結されなかったようです。

これらの事から契約の軽視や、契約の役割を理解してないのが分かります。または、悪意を持って大企業の要求を下請けに押し付けようとしている姿にも見えます。

みなさんもご存じだと思いますが、契約は約束です。その約束は事前に結ばないと意味の大半が失われます。特に事後契約だとリスク管理については無意味になります。

大企業の社員は、これを悪用することに慣れきってしまっているのかもしれないです。先に挙げた「仕事がしにくくなる」なんていうのはパワハラ思考そのものですね。契約しない間はスムーズに進むように自由に仕事を進めていい。それが双方のためだ、などと考えているのでしょう。クリーンに仕事をしたければ、こんな大企業とは契約しないことをお勧めします。

彼らと仕事する人たちは、いつか理不尽な要求やしわ寄せを押し付けられるかもしれない、という覚悟を持って仕事をしてもらいたいです。その理不尽に対する慰謝料や迷惑料を、今から少しずつ上乗せしておくといいかもですね(ニヤリ)。

過去の原作モノで揉めた貴重なノウハウは、ほぼすべて無駄になっている

今回の日テレプロデューサーは、経験が浅いと社内で認識されていたので、ベテランのプロデューサーが補助についていたそうです。

片や、過去の原作モノで「原作とはまったく違う!」などと原作者を含めて不満を抱えるドラマ化作品は数多くあると言われています。

こういう禍根を残した作品のノウハウは、日テレ内で蓄積、活用などされていなかったようです。逆に本件では「別の作品ほど指摘が酷くないね」などと安心材料に使われてしまったみたいです。

先に述べたように原作改変は避けられない問題としても、原作に魅力あるからこそドラマ化したいと考えたのなら、もっと原作や原作者を大事に扱うのが制作者としての姿勢ではないでしょうか。

過去に原作者と揉めたノウハウを無駄にするのは、それらを大事に扱っていない証拠と言えます。その程度の制作者なのであれば、二度と原作モノを扱って欲しくないです。

直接、原作者と対面した時に認識合わせや謝罪をしたのか?

日テレのプロデューサーは二回、芦原先生と直に対面しています。それも脚本制作で指摘を繰り返されている最中にです。でも2つの調査報告書には、その時の詳細がまったくありません。小学館に至っては記述自体がありません。

この二回のタイミングで芦原先生に謝ったり、真面目に取り組んでいると伝わるようなやり取りはあったのでしょうか? 一体、どんなやり取りがされたのでしょうか?

この貴重な機会を上手く使えていれば、こんなに揉め続けなかったんじゃないかな、と思う自分がいます。

撮影途中での尺不足の発生更は、わりとよくあることなのか?

「原作に忠実に」とする原作者にとって、2話の尺不足(それも2回発生)は、その経緯(2023年9月14日~24日)や内容を見ても、非常に許しがたかったのではと思いました。

でも日テレ側からは「尺不足が起こっちゃいました~」という程度の軽さを感じました。私はドラマ制作業務は知らないですが、尺不足は割と起こることなんでしょうか? 私は多少、動画配信をしているので、起こりそうな気はするな、という想像はできます。撮影したシーンを編集したりテンポを調整した結果、尺が足りないって分かるのでしょうが。

原作者は過去の作品で映像化しているので、尺不足にも理解はあったことでしょう。ですが、今回に限っては許しがたい想いが強く残ったように思います。

原作者の話を聞かないことといい、この尺不足は日テレ側の甘えの表れのように見えました。同じ話で尺不足が2回に分かれて原作者に伝えられるなんてことはなかったはずです。日テレプロデューサーはマジで反省して欲しいです。

プロジェクトマネジメント的視点で見ると、原作ドラマ化は過去の成功体験に頼り切り、抜け漏れだらけのように思う

プロジェクトマネジメント(PM)が何たるかは、ここでは語りませんが、ドラマ制作を一つのプロジェクトと考えた場合、これを適切に進行管理するマネジメント手法やノウハウの蓄積はあってしかるべきです。原作モノのドラマ化は長年、行われている業務ですし。

ですが、PM的に下記の重要なポイントが抜け漏れているようです。こんなに抜け漏れていてプロジェクトが成功する方が奇跡だと思いました。

  • いつも同じ業者に出していて、日テレにて全体的なスケジュール、見積り等は適切にされてなさそう(原作ドラマ化の個別内容とは関係なく、慣例的に制作期間9か月や制作予算を決めていそう)

  • 役割分担が不明確で曖昧

  • ゴールが統一化されてない(制作側は放送できればよい/原作者側は原作に忠実に作りたいという2つのゴールが今回は存在してた)

  • どんなリスクがあって、リスクが起きた場合にどう解決するか等の備えが無い

  • メンバーの認識合わせもしていない、バラバラ

  • それなのに契約すらせずにプロジェクトを走り出させる

  • 個人のノウハウに頼った進行をしていくから、行き当たりばったり

  • 過去に原作モノで揉めたノウハウは蓄積や活用がされてない

見出しに入れた「成功体験」ですが、これは制作側にとっての成功体験を指しています。制作側は放送完了できることがゴールであり、ほぼ毎回、この成功だけはしてきたでしょうから。ただ、この成功の裏には、いろんな犠牲を残してきたはずです。その犠牲は、今は無きものとされているようです。未だにこの程度のPMなので。

そんな程度で原作ドラマ化するなら、素敵な原作を放送枠を埋めるためだけに利用しないで欲しいです。せめてもの償いとして原作利用料とかは、もっと上げてあげてください!

あとがき

久しぶりのnote記事を公開したのは、ドラマや漫画を愛する者として再発防止を強く願っている気持ちとともに、私も芦原先生の自死に関わっている自責の念があったからです。SNS問題以降、私も多数、Xでポストした記憶があります。私は脚本家や日テレに誹謗中傷はしてないですが批判はしています。

この行為こそが、芦原先生の自死へと誘った理由の小さな小さな一部になっていることでしょう。悔やんでいます。

私にできることは何かないかと、今回の資料を公開してみることにしました。そして、これを読んでくれた方に、この問題について改めて考えてもらいたいと思いました。日テレや小学館に改善を求めることよりも、私たち一人一人が考えることが再発防止につながると思ったからです。

私の他記事を読んだことがある方なら、私が企業に期待してないこともお分かりだと思います。会社員はクソですね~(笑)。期待するに値しません。

もう会社員に戻るつもりはないので、今は自立に向けていろいろ試していて忙しくてnote更新が疎かになっているのですが、ビア検が新しくなり第14回ビール検定(2024年9月1日~10月31日)が近づいてきたので、また本格的に復活したいと思っています。

さて、今回と同じく原作漫画のドラマ化は?と思って一番最初に浮かんだのは「波よ聞いてくれ」でした。私はドラマから観てドハマりしたのですが、原作漫画を読んだ時、本当に驚愕したのを覚えています。これは果たして同じ作品と言ってよいのかと…

原作漫画だとミナレ(小芝風花)はあんなに暴力的ではなかったし、まどか(平野綾)もキレッキレではありませんでした。麻藤(北村一輝)はカッコよくなくてダークなアングラ感が強かったです。

この作品は原作の設定からしてかなりふざけたコメディなので、このドラマ化も成立したのでしょう。たぶん「原作に忠実に」作っていたら、つまらなかったと思います。「原作に忠実に」しなかった一例でしょうね。

話を戻して、この記事を公開できたので「セクシー田中さん」をやっと観ることができます! 女性向けの原作漫画とドラマなので、私が楽しめるかは分からないですが、着眼点の面白さは秀逸だなと思います。よくこんな設定を思いついて、さらにドラマ化に採用されるまでの作品に仕上げたものです。

芦原先生は私と同年代というのも、ちょっと心が揺れるポイントですね。そろそろ老後が見えてくるアラフィフ世代(苦笑)なわけですが、漫画家という厳しい世界で着実に実績を挙げてきた方が、こんな悲しい最期を遂げてしまうなんて、理不尽だと思ったし同情せずにはいられませんでした。私なんかと比べるまでもなく、ずっと努力してこられたはずなのに。

同世代として悔やまれるのは、かっこいいアラフィフ代表として、大人の余裕を感じさせるような懐の深く、広い視野を感じさせる対応をしてもらいたかったです。真面目だったからこそ仕事に完璧さを求めたのかもしれないですが、時間やパートナーに解決できない制限が多かったのに、無理して突き詰めすぎて後戻りできない所にまで行ってしまったんだろうな、と思います。アラフィフの私たちにも、まだ時間は残されていましたよ。ここで他人のせいにして失敗してもよかったんですよ。本当に残念で痛々しくて、この問題を考える時、つい天を仰いでしまいます。

最後になりますが、このnote記事に対する批判や意見をお持ちだと思いますが、批判はExcelファイルで公開した「時系列」シートを一通り確認された前提でお願いします。「時系列」シートを無視して批判されても、私は意味を感じないので無視します。私は全体像を見た上で、このnote記事を公開しているので、ポイントを限定し切り抜いた批判に答えることに意味を感じません。その部分だけ見れば別の理屈も成り立つでしょうけど、その前後がつながらなくなるでしょうから。

この長い記事を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。感謝します。

まだまだサポートしてもらえるような実績はありませんが、ご期待に応えられるよう頑張ります!