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【上座部仏教】説一切有部の因果関係

世親の『倶舎論』における五位七十五法、心不相応行法へ入る前に有部が説く因果関係について触れていきたいと思います。心不相応行法の「得・非得・生・住・異・滅」がかなり難しいので、理解を助ける意味でも先に法体の因果関係をお話したほうがいいかと思い、今回の記事をはさみました。

法体の生起の原因となるものは他の法体です。どのような法体が原因となり、何の法体が結果となるかは実に様々であり、この因果の法則は一様ではありません。一つの法体は他の無数の法体を因として生起し、同時に他の無数の法体を果として生起させていると言えます。

▽能作因(原因)→増上果(結果)
消極的な因果関係であり、どの法体も自ら以外の法体を因としていと言えます。そのような因を能作因とし、その果を増上果とします。無為の法体を含む如何なる法体でも能作因になり得ます。そして、全ての有為の法体は増上果となりえます。

▽倶有因(原因)→士用果(結果)
 ▽相応因(原因)→士用果(結果)
「倶有因→士用果」と「相応因→士用果」との二つは因・果が同時に生じ、相互に因となり果となるという点で同様な関係です。このような関係を広く一般的に「倶有因→士用果」といい、特殊に心法と心所法との間のそれに限って「相応因→士用果」とします。

▽同類因(原因)→等流果(結果)
 ▽遍行因(原因)→等流果(結果)
因が先にあって、後に果が生ずる関係です。因と果が同類のものであることがこの二つの因果関係に共通する特質であって、「同類因→等流果」はこのような因果関係が広く有為の法体一般の上に見られる場合をいいます。「遍行因→等流果」は特に遍行の煩悩(無明・疑・有身見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見)が同類の煩悩や煩悩的な法体を引き起こす場合に限っていいます。「同類因→等流果」は因・果が全く同種類の法体である場合もあれば、別種類の法体である場合も有りえますが、因が善ならば果も善、悪ならば悪、無記ならば無記というようにその性質は同じです。また、因が欲界に属するなら果も欲界に属するというように、その属する部類も同じです。それらが同類ということの意味になります。同類因と等流果とが前後に直接連続する二瞬間において生ずる場合もありますが、そうではなく、幾何かの時間を隔てた法体と法体との間にこの関係を認めることもあります。

▽異熟因(原因)→異熟果(結果)
「異熟因→異熟果」は善・悪の業(無記の業は異熟因にならない)とその果との関係であって、因がまずあって後に果が生ずることと、因と果とが同類のものでない(因は善か悪かで、果は無記である)ことがその特質です。善あるいは悪の行為によって好ましい、あるいは好ましくない境遇を得るという場合も、因が先にあって果が後に生ずるという因果関係の一列になります。この場合、因は業(行為)であり、異熟因と呼びます。果は境遇・境涯であり、これを異熟果と呼びます。ただし、異熟果は異熟因とはなりません。因と果の性質が同じではなく、因が善もしくは悪であり、果が無記(苦・楽)のようなことであるのが特徴と言えるでしょう。この善悪の因は個人の死後も滅ぶことなく、未来世の果とも成り得ます。

▽増上縁(原因)→増上果(結果)
「増上縁→増上果」は「能作因→増上果」と同じであって、最も広い意味の因果関係を示しています。増上縁とは増上果の間接的原因となる法体です。

▽等無間縁(原因)→増上果(結果)
「能作因→増上果」の関係に含まれますが、それのように弱い因果関係とは全く異なっています。具体的には「心相続」が関わってきます。心法は刹那刹那に先の心法が消滅しては後の新しい心法が生起します。それによって、あたかも心が継続して存在しているように振舞います。それを心相続といいますが、心相続においては善行の因(先の心法)が悪行の果(後の心法)に繋がる場合、悪行の因(先の心法)が善行の果(後の心法)に繋がる等の場合があります。同類因の同類において、同類という以上は因が善ならば果もまた善であるなどの関係がなくてはならないのですが、心相続の場合には先の瞬間の心法・心所法が善であって後のそれは悪であるなどもあり得るため、それと区別されて、この因を等無間縁と呼び、果は増上果と見なされています。

▽所縁縁(原因)→増上果(結果)
所縁縁も等無間縁と同じく有力な能作因の一部です。所縁とは心法(およびそれと相伴う心所法)の対象です。心法(+心所法)は所縁がなければ生じない(有部では対象のない心は絶対に有り得ない)ため、心法・心所法の対象は因、即ち所縁縁であって心法・心所法は果、即ち増上果です。

▽因縁
因縁とは能作因以外の五因を含めての総称です。その五つの内、倶有、相応の二因は士用果を、同類、遍行の二因は等流果を、異熟因は異熟果を持つため、因縁には三種類の果があることになります。

▽離繋果
三種の無為法体の内、煩悩の止滅(即ち涅槃)は離繋果として五果の一つに数えられます。無因→離繋果。

まとめると、以下のような関係になります。

○六因五果
・能作因→増上果
・倶有因→士用果
・相応因→士用果
・同類因→等流果
・遍行因→等流果
・異熟因→異熟果
・    離繋果

○四縁五果
・増上縁 →増上果
・等無間縁→増上果
・所縁縁 →増上果
・因縁  →士用果、等流果、異熟果
・     離繋果

○六因四縁
・能作因ー増上縁、等無間縁、所縁縁
・倶有因ー因縁
・相応因ー因縁
・同類因ー因縁
・遍行因ー因縁
・異熟因ー因縁

説一切有部の教説の情報量は原始仏教よりも遥かに多いですね。私も頭が痛くなります(笑)。互いに因と果になって同時生起する因果関係と、因が先で果が後の因果関係があるというくらいの理解で大丈夫だと思います。さて、次回は心不相応行法に入っていきます。

【追記】
・異熟因→異熟果:道徳的かつ主体的な因果関係
・同類因→等流果:数多くの自然現象的な因果関係
・能作因→増上果:幅広く論理的・思惟的な因果関係をも含む