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【上座部仏教】五位七十五法 無為法

2022年の三箇日も本日で終わりですね。昨年の年末あたりにまとまった休日が取れ、記事も進みましたが、明日からまた仕事の日々です。三箇日の大半は姪っ子のベビーシッター状態で過ごしましたが(笑)、いい思い出になりました。

さて、世親の『倶舎論』における五位七十五法、無為法に入っていきたと思います。ちなみに、ここまでお話してきました心法・色法・心所法・心不相応行法は全て有為法に該当します。

「有情」「所得法」「得」「非得」という言葉を用いますが、意味は下記の記事をご参照ください。

○五位七十五法

▽五位七十五法 無為法
有為法のような四相を示さず、三世にわたって恒常不変な法体です。

①虚空無為:
有部は「本体の世界」=「思惟・言葉の世界」と「現象の世界」=「知覚の世界」を想定していますが、前者において、有為法体が生起・持続・変化・消滅を行う場を虚空無為といいます。時空のような法体ですが、涅槃と同じく恒常不変で、従来の空間を意味する有為法の「色境の空界」と混同されがちですが、全く異なります。

②択滅無為:
智慧による煩悩の消滅と一般的に訳されます。意味は無漏の智慧によって、「有情」と「所得法」となる煩悩を離繋させた(両者を結び付けている得を引き離した非得の状態にした)涅槃の境地です。原始仏教では全ての煩悩が断ち尽くされたときにはじめて涅槃の境地に至りますが、有部では一つ一つの煩悩が断たれて「有情」の相続がその「所得法」なる煩悩の成就から離繋するごとに一つ一つの涅槃があると考えます。

③非択滅無為:
智慧によらない煩悩の消滅と一般的に訳されます。「有情」の相続(特に心相続)の過程において、心法の現在領域への二心併起は起きませんが、その対象となる色法の地・水・火・風・色・香・味・触の八種は必ず同時に現在領域へ生起します。しかし、現在領域における一刹那において、心法の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識は一種のみしか生起できないので、対象となる八種の法体の中で七種は必ず心法に認識されないまま過去領域に消滅していくことになるのです。そこで、その未認識のまま過去に消滅した対象法を因として生起するはずだった未来領域の「所得法(特に対象へ抱くはずだった煩悩)」は現在へ生起する機会を永久に失います。つまり、自然と「有情」からの離繋が生じるのですが、これを非択滅無為といいます。

有部の教説では、煩悩の法体もまた永遠の本体であるため、存在がなくなることはありません。あくまで、「有情」と煩悩の法体を結びつける「得(成就)」が智慧等によって断たれ、「非得(不成就)」となることが煩悩の消滅に該当します。

有部が説く「自性」を持つもの=実在するものとは特有の「一つの本体+一つの作用」でしたが、特に心不相応行法において、この定義が成り立たなくなってきているように思います。「一つの本体+一種類の作用」と解釈した方がいいかも知れません。