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【大乗仏教】如来蔵思想・唯識思想

大乗仏教の主な思想の中に、中観思想の他に、如来蔵思想と唯識思想があります。ここまで、「空の思想」ということで、初期般若経典・浄土経典→龍樹→中期中観派と一気に話を進めてきましたが、本来であれば、その途中に如来蔵思想の原点となった初期大乗経典(龍樹以前の経典)、そして如来蔵系経典や唯識系経典が存在しています。

如来蔵思想と唯識思想の原点となった初期大乗経典は「華厳経」と言われています。また、「法華経」も如来蔵思想に影響を与えていると言われています。

【華厳経】
「十地経」「大方広仏華厳経(六十華厳経・八十華厳経)」「大乗梵網経」などが挙げられます。釈尊がブッダガヤーの菩提樹のもとで実現された覚りの世界、その世界の内容をそのまま表そうとしたものであると言われています。釈尊の覚りの場が中心の舞台として設定され、覚りの場にある釈尊が盧舎那如来と呼ばれ、その盧舎那如来の世界の光景の描写にも力が注がれています。あらゆるものには互いに一体化、互いに和合し合って一つの世界の中で存在を全うしているという「法界縁起説」が説かれ、これを根拠として盧舎那如来に支えられつつ、自利利他の願いを持って覚りの世界へと歩を進める菩薩の実践が示されています。また、三界は仮に現れている空虚なものであって、ただ心が造り出しているに過ぎないという「三界唯心思想」、更には盧舎那如来の法身が一切の衆生世界に様々な有様で遍満しているとする「如来蔵思想」の原点となる思想も登場します。この経の「入法界品」に登場する主人公・善財童子が五十三人の善き導き手を歴訪し、求道の旅を続ける物語は有名です。

【法華経】
「法華経」の古来の注釈家はこの経を前後の二段に分け、その前半を「迹門」と呼び、後半を「本門」と名付けています。本門の主題は「仏身常住」です。釈尊は人間としての八十歳の生涯において初めて仏陀となったと我々の眼には映るけれども、実は無限の過去から既に仏陀(久遠の本仏)なのであり、仏身は常住永遠とします。これに対して人間としての仏陀は久遠の本仏が仮にこの世にあらわれた姿に他ならず、それが迹門における仏陀(釈尊)です。迹門というのは人間の理解にかなった姿で、本門の仏陀がその「迹」を世の中に示すことです。本門の主題の「仏身常住」に対して、迹門の主題は「開三顕一」であるとされ、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗が一乗に帰するということを非常に力強く主張しています。上座部派仏教の立場を方便説として認めつつ、本経の立場(これを一乗または仏乗という)に止揚しようとしました。

「空の思想」の方も、まだ肝心な「般若心経」が残っていますが、同時並行で「如来蔵・唯識」にも入っていこうと思います(後期中観派は唯識派とほぼセットになり、この頃になると各学派同士の統一が進んでいきます)。他派への否定的な要素が強かった中観派と異なり、唯識派は自派の主張があるため、そういう意味では掴み処がありますが、認識論的要素が強く、中観思想とは異なった難しさがあります。