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いただきますという幻

エッセイには自分だけが見い出した新しい視点が含まれるべき
というものを見て、納得があった。
考えたことが、言語化できるところまでこないといけない。
と思ったのだ。

狩りに行くっていうとすごいねって言う人も多いが、
中にはサイコパスだとかいう人もいる。

殺しに興奮するのではない。
かわいそうだなとも思う。
死んだ後の目はあまり見たくない。思い出す。
しかし、確かに楽しさはある。

鹿を見つけた時、アドレナリンがすごいでる。
逆に、撃つ時は冷静。

東出くんも言ってたけど、撃つ前は色々考える。

ここは、撃っていい場所か?
バックストップはあるか?
本当に鹿か?

それがクリアになった場合、初めて撃てる。

独りで猟をするときは、鹿のことばかり考える。
こうしよう、ああしようとか。けどそんなうまく行くことはない。
やっぱりああしよう。

考える。

鹿以外にも、普段気になっていることを考える。
日常生活のこと。あぁすればよかった。こうすればよかった。
じゃあこうしよう。

山の中は、ケータイが使えないことが多い。
デジタルから離れ、自分の頭の中だけで思考を続ける。

ずっと考える。考えても仕方ないことを考える。ずっとずっと。

たまーに、発見がある。

その発見は帰ってから、生かす。

猟に行くと、生かすことを一つは持って帰る。

考えることが好きなんだと思う。

考えたことを実行すると1日が充実する。

猟はそれを教えてくれる。

鹿の命が教えてくれる。

肉をいただくとともに、教えもいただくのだ。

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408字

宮川博至の頭の中

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