『改革が作ったアメリカ』森丈夫の章のファクトチェック(3)協調原理

「ヴァジニアの特徴的アプローチは、[…]一三歳のイギリス人少年サベージの贈与である。この贈与はニューポートがイギリス王と対等な主権者としてワハンソナコックを認知したことを示す(イギリスからは以後二人の少年が贈与)。」(45頁)

森の論考を読まずにこのノートだけを読んでいる読者は、上のように切り抜かれても何のことだかよくわからないかもしれない。しかし、森の論考を読んでも同じであるので私を責めないでほしい。なぜ少年の贈与(そもそも贈与という言葉が的確かも問わねばならないが)が相手を対等な主権者とみなしたことを意味すると(研究者が)解釈できるのか、その論理は提示されていない。一次史料で明記されていることではないと思うので(少なくとも私はそのような史料があることを知らない)、当時のヨーロッパの慣習からの類推かと推測されるが、その類推元の事例にはどのようなものがあるのか、また、先住民との関係への類推が適切なのか、そのような疑問がわいてくる。

当時の植民者がワハンソナコック(連合首長パウハタンの別名)を対等な主権者として認知していたことは事実としても、この贈与からそれが読み取ることが可能かは別の問題である。一次史料のこの場面の記述には「友情の全き保証(full assurance of our loves)」とあり、従来の研究者はそれに加え、情報の収集、通訳の育成、そのほか今後の交易・交流における仲介者になることを期待してのものと理解している。このとき、ワハンソナコックからは先住民の少年ナモンタックが植民者のもとに預けられており、その動機も同様に考えられている[1]。

また、その後にさらに二人の少年が贈与されたというが、それが誰のことを言っているのか定かではない。イングランドから渡航してきて先住民のもとで生活するようになったり、中間的な存在として生きたりした人物はわかっているだけで何人かいる。例えばヘンリー・スペルマンは15歳の頃、1609年にヴァージニアにやってきて、スミスによってパウハタンの息子で連合内の一地域の首長パラハントに「売られた」とされる。植民地初期メンバーの一人、サミュエル・コリアーは1608年、言語を学ぶためにパウハタン連合内のワラスコヤックの首長に預けられた。ロバート・プールという人物は、1611年に植民地に来て、1614年からオペチャンカナウやその地の先住民と生活するようになり、その後通訳を務めて植民者から忠誠心を強く疑われたこともあった[2]。彼らの人生や異文化越境の経緯はいずれも明らかになっていないことも多いが、対等な主権者とみなしていたことを含意する2人の贈与として森は誰を念頭に置いていたのだろうか。

さて、前回の記事では、近世の主権の問題に関して、森が西洋近世史の議論を十分に反映させることができていない旨を指摘したが、今回のこの箇所は、もしかしたら近世西洋史の事情に精通していることを示す部分かもしれない。ただ、はたから見て「精通している」と言い切れなかったのは、森の説明があまりに端的で根拠を語らず、初期アメリカの先住民関係の研究者として、正しいかどうかの判断ができなかったからである。見慣れない内容のため、私の無知というより、この分野の研究者のあいだで一般に了解・関知されているとはかぎらないのではないかと思われる。それを主張するためにはそれなりの説明があってしかるべきなのに、それをせずに済ませている。

この森の論述は、ポール・グライスの「協調原理(Cooperative Principle)」に照らすと、あまりに協調的姿勢が足りていないと感じる。グライスによれば、円滑なコミュニケーションを実現するためには発話者側に4つの条件があるという[3]。

1.       Quantity(量)
情報の量が適正で、不足も過剰もしていないこと。過剰は時間の無駄だし、余計な問題を引き起こして混乱を招きうる。
例:私が車の修理をするのをあなたが手伝ってくれるという場合、私は必要な限りの手伝いしか望んでいない。ネジが4つ欲しいときは、2つや6つではなく4つ渡してほしい。
2.       Quality(質)
間違っていると思うこと、十分な根拠がないことを言わない。
例:私がケーキをつくるのをあなたが手伝ってくれるという場合、砂糖が欲しいと言ったら塩をとってほしいわけではない。スプーンが欲しいと言ったら手品用の曲がるスプーンをとってほしいわけではない。
3.       Relation(関係)
関連していることを言う。
例:私がケーキをつくるために材料を混ぜているときは、オーブンクロス(熱いものを持つための布)を渡されても困る。
4.       Manner(様式)
曖昧な言葉を使わない。冗長な表現を避ける。順序良く説明する。
※上3つが「何を言うか」の問題だったのに対し、これは「どのように言うか」の問題。内容というより字面や組み立て方の問題。
例:何かを手伝ってくれるなら、何をするのかを明確にして、手際よくこなしてほしい。

協調原理の紹介でやや間延びしてしまったが、この4条件のうちの内容に関する3つについて、森は明らかに適切な「量」を提供しておらず、そのせいもあって「質」や「関係」の点も疑わしいものになっている。確かに、伊勢田哲治が強調するように、協調原理に対して、読み手・聞き手側にも「思いやりの原理」というものがあり、書き手・話し手が筋の通った話をしようとしているはずだということを前提に、読み手・聞き手がその意図をくみ取りながら理解すべきとされる[4]。しかしそれにも程度と限界があろう。この論考のコミュニケーションは読者側の努力で満足なものに仕上がるだろうか。


[1] ジョン・スミス(平野敬一訳)「真実の話」(1608年)『イギリスの航海と植民 二』(岩波書店、1994年)、437頁;J. Frederick Fausz, “Middlemen in Peace and War: Virginia’s Earliest Indian Interpreters, 1608-1632,” Virginia Magazine of History and Biography 95, no. 1 (January 1987): 43-44; Helen C. Rountree, Pocahontas Powhatan Opechancanough: Three Indian Lives Changed by Jamestown (Charlottesville: University of Virginia Press, 2005), 98-99; Karen Ordahl Kupperman, Pocahontas and the English Boys: Caught between Cultures in Early Virginia (New York: New York University Press, 2019), 26-28; Martha McCartney, “Thomas Savage (ca. 1595–before September 1633),” (2021, December 22) in Encyclopedia Virginia, Virginia Humanities [https://encyclopediavirginia.org/entries/savage-thomas-ca-1595-before-september-1633]. 森はナモンタックが1607年6月にパウハタンから植民者に贈与されたと書いているが、その日付は誤りである。

[2] Martha W. McCartney, Virginia Immigrants and Adventurers 1607-1635: A Biographical Dictionary (Baltimore: Genealogical Publishing Company, 2007), 216, 565, 659-660; Kupperman, Pocahontas and the English Boys, 3.

[3] H. P. Grice, “Logic and Conversation,” in Speech Acts, eds. Peter Cole and Jerry L. Morgan, Syntax and Semantics, vol. 3 (Academic Press, New York, 1975), 41-58 (esp. 45-47).

[4] 伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』(筑摩書房、2005年)、48-52頁。

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