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学生時代のヨーロッパ旅行(その十六、スイス)

フランス、ストラスブールから南下して、スイスに入りました。ここではあまり長居せず、4日ほどで離れました。
そして、いったんパリに戻り、そこからスペインを目指しました。

La Chaux-de-Fonds

スイスでの見学ポイントは、La Chaux-de-Fondsという街でした。これまでにル・コルビュジエの建物をいくつか見てきましたが、そのル・コルビュジエの生まれた街が、このスイスのLa Chaux-de-Fondsなのです。
僕が大学2年生の時の近代建築史の研究テーマが、この街で建てられたル・コルビュジエの初期の建物を分析することだったので、実際にその建物を現地で見ることにしました。

後に近代建築の巨匠の一人として、モダニズムの旗手になったル・コルビュジエですが、このLa Chaux-de-Fondsでの設計には、そのような傾向はあまり見られません。古典様式のスタイルを基礎に、この不思議な白い空白の壁が計画されています。このようなデザインに、様式建築に対するアンビバレントな意識が見えると、大学の研究室ではそのような分析をしていました。
Villa Turqueという作品が、このLa Chaux-de-Fondsにあり、それを実際に見に行ってみました。

しかし、実際にこの地に立つと、当時の世紀末の様々な文化活動のあった、パリ・ブリュッセル・グラスゴーなどという街と比べると、La Chaux-de-Fondsはとても田舎でした。そして、このスイスの田舎町の人間であるということのル・コルビュジエにおける意味は、とても大きいのではないかと考えました。それは文化的なコンプレックスというか、スイスという保守的な土地で、さらにその田舎では自由な発想ができない。そんな中で試行錯誤を続けていたのがこの時代のル・コルビュジエで、この様なベースを元に、パリに行って新たな近代建築のスタイルを宣言するという道に進んでいったのではないか。建築家のことを分析する際に、この様な歴史小説家の様なアプローチをする文章はあまり見かけませんが、その様な感想を持ちました。

ジュネーブ

今回のヨーロッパ旅行は、建物の見学と友人を訪ねることが主目的だったので、スイスの自然景観はあまり時間をかけて見ませんでした。唯一立ち寄ったのがジュネーブです。レマン湖のほとりの優雅なリゾート地といった風情でした。

しかし、スイスは物価も高く、貧乏学生のバックパッカーがうろうろしている雰囲気ではなかったので、一泊してすぐに次の目的地に進みました。

ジュネーブ

パリに戻りマドリードへ

次の目的地は、スペインのマドリードでした。スイスからマドリードというのは、鉄道では直接行くルートはないので、いったんパリに移動し、そこから夜行のエクスプレス列車で移動しました。パリからマドリードというのは、一晩かけて移動する距離でした。
この様に、アイルランドからの入国時、バリ観光、マドリードへの中継点と、都合3回パリの街に来ています。パリというのは、ヨーロッパ全体で見て。交通の要衝にある街だという印象を持ちました。

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